旧池田氏庭園
| 旧池田氏庭園 | |
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| 分類 | 日本庭園 |
| 所在地 |
日本 |
旧池田氏庭園(きゅういけだしていえん)は、秋田県大仙市高梨にある、明治時代末から大正時代につくられた日本庭園。面積は約4万2000平方メートル[2]。当地の旧家で大地主であった池田家の依頼で、長岡安平が作庭した[2]。
池田家の歴史
池田家は、山形県庄内地方の本間家、宮城県石巻市の齋藤家とともに「東北三大地主」と称された[2]。
池田家の家伝によれば、中世末期から近世初期に摂津国からこの地に土着・帰農した武士の池田孫左衛門を始祖とするとされ、10代目まで代々「孫左衛門」を世襲した。近世には高梨村の長百姓や親郷肝煎などを務めた。江戸時代後期の文化期頃に名字を許可された。第11代の池田文八郎(1818年 - 1880年)も親郷肝煎を担い、倹約家として一時期傾きかけていた家産を立て直し、地主としての土台を築き上げたことから池田家中興の祖とされている。
幕末頃から明治初期にかけて在村地主に成長。1876年(明治9年)には耕地約300町歩(水田が9割、畑が1割)と山林原野を所有していた。明治10年代には約500町歩の耕地を有した。
第12代の池田甚之助(1845年 - 1901年)は秋田県では最初の貴族院議員に選ばれたほか、秋田銀行初代頭取を務め、地域の政治経済発展に尽力した。貴族院議員を1期で退いた後、1889年(明治22年)の町村制施行により高梨村の初代村長に就いた。
第13代の池田文太郎(1868年 - 1927年)は甚之助に続いて第2代高梨村長に就任する。1924年(大正13年)には耕地1,046町歩を所有し、池田家の最盛期を築いた。私財を投じることで、小作人や使用人の福利厚生に資するような社会資本の整備や社会福祉、教育向上に尽力した。
第14代の池田文一郎(1893年 - 1943年)は庭園内に洋館建築の私立図書館を設けて、地域の青少年教育と地域の文化的向上に尽力。更に秋田県立秋田図書館大曲分館長を務める。1930年(昭和5年)には池田家からの物的・経済的支援などによって、払田柵の発掘調査が開始された。払田柵は1931年(昭和6年)、秋田県内では初めて国の史跡に指定された。
旧池田氏庭園の構成
概要
この節の出典は主に大仙市教育委員会編『国指定名勝 旧池田氏庭園 保存整備管理計画』5頁による。
旧池田氏庭園は仙北平野のほぼ中央部に位置し、東に奥羽山脈、西に神宮寺岳、南西に鳥海山を遠く臨む広大な田園地帯に囲まれている。
約42,000平方メートル(12,700坪)の広大な敷地は、池田氏の家紋にならって亀甲の平面形を呈しており、周囲は石垣を伴う堀と土塁で区画される。仙北平野を特徴づける屋敷林を伴う散居でもとりわけ傑出した景観を有している。庭園は明治29年(1896年)の陸羽地震により家屋が倒壊したのを機会に耕地整理事業と併せて所有地を集約し、大正時代にかけて、後に近代造園の祖と呼ばれた造園家長岡安平により造られた貴重な文化財であり、観賞上の価値だけでなく、学術的な価値もきわめて高い。
池泉廻遊式の庭園、笠の直径が約4メートルもある巨大な雪見灯籠、1922年(大正11年)竣工の洋館(私設図書館)を配している。現在、過去の地震で倒壊した高さ4.8メートルの石造五重層塔も復元されている。
正門[3]
形式は薬医門である。親柱の寸法470×350㎜、控え柱の寸法235×235㎜の太さをもつ大型の門である。
冠木(かぶき) - 化粧棟木間は両端および中央に束(木鼻付)、その間、左右に雲水の台座をもつ池田家の家紋である「亀甲桔梗」の彫物が入っている。門の両側にさらに脇口を構えるなど、大資産家の正門としての重厚さ、格式をよく表している。
雪見灯籠
旧池田氏庭園内部には雪見灯籠が配置されている。江戸型三本足雪見灯籠に分類され、高さ、笠の直径ともに4mの巨大な灯籠である。
この灯籠は、見る角度によって2本足に見えたり、火袋部分の形が見る角度によって変化したりと景観と調和するような多彩な表情を見せる。
灯籠の石は男鹿石(寒風石)であり、男鹿半島から搬出されたと考えられ、その際の資料がいくつか見つかっており、詳細については今後の調査が待たれる。池田氏邸内で保存されている巨大なソリで灯籠の石や庭園の景石を運んだものと考えられる。
庭園周辺を囲む木々[4]
洋館(私設図書館)
今村敬輔[注釈 1]が設計したこの洋館は、1922年(大正11年)の竣工で、秋田県内で最初の鉄筋コンクリート造建築物である。2017年(平成29年)に「旧池田家住宅洋館」の名称で国の重要文化財に指定された[5]。2022年(令和4年)12月12日、 秋田県の「未来に伝えたい秋田のインフラ50選」に「国指定名勝 旧池田氏庭園内洋館(建築物)」が選出された[6]。
外壁は白磁のタイル張りで、御影石の基壇がめぐり、車寄せの柱には国外から取り寄せたと言われる白色大理石が使われている。洋館内の随所にシャンデリアがきらめき、貴重な高級壁紙金唐革紙が部屋を彩る、ルネサンス様式を取り入れた洋館である。
設計仕様[7]
内装
壁紙
金唐革紙の壁紙は以下のように名付けられている。
- 1階 食堂兼音楽室「THE EARLY SPRING(早春)」
- 2階 食堂「THE ISPHAHAN(唐花)」
床材
リノリウム(1階食堂兼音楽室、2階食堂他)
建具
洋館で使用されている材木は、外回り建具などにはヒバ、内装造作等にはヒノキなどが使用されている。一方、華麗で豪華な洋館の天井や建具ドア、腰高の壁などには洋館創建当時の高級建材であるベニヤが使われている。
- 洋館外観
- 1階にある玉突室
- 階段室
アクセス・利用[2]
アクセス手段はタクシーを含む車で、秋田新幹線大曲駅から約10分、秋田自動車道大曲インターチェンジから約20分。
公開は4月下旬から11月中旬までで、月曜日休園(祝日の場合はその翌日)。入園料は大人300円。池田家顕彰会のスタッフがガイドを務め、見学・散策だけでなく結婚式などの撮影にも使われる。
払田分家庭園
払田分家庭園(ほったぶんけていえん)は1908年(明治41年) に第13代池田文太郎の弟・禮冶(1872年 - 1943年)が真山丘陵の麓に分家した際の邸宅と庭園であり、明治末に実施された高梨村耕地整理と同時期に造営された。無料で常時一般公開されている。
この庭園も長岡安平の設計によるもので、庭園設計図が現存し、池田家事務所日誌には造園の様子が記されている。本家庭園と同様に亀甲形平面の敷地で、池泉回遊式庭園であるが、旧主屋から真山を望む意匠構成は本家庭園と異なる。
沿革

- 2004年(平成16年)2月27日:「池田氏庭園」として、国の名勝に指定[1]。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)7月28日:池田家の払田分家庭園が名勝に追加指定され、指定名称が次のように変更される。
- 池田氏庭園
- 池田氏庭園
- 旧池田氏(払田)庭園
- 池田氏庭園
- 2010年(平成22年)
- 8月5日:一部が追加指定されるとともに、「旧池田氏庭園」と名称変更される。
- 10月:旧池田氏庭園内にある洋館の修復工事が終了。
- 2012年(平成24年)6月1日:皇太子徳仁親王が第23回「みどりの愛護」のつどいに併せて、旧池田氏庭園(本家庭園)を視察。
- 2013年(平成25年)10月19日:庭園前の駐車場に案内所「巨洲館(おおしまかん)」がオープン、旧高梨村役場を模して建設された[8]。
- 2017年(平成29年)11月28日 - 洋館が「旧池田家住宅洋館」の名称で国の重要文化財に指定された[5]。
- 2018年(平成30年):当年度より、公開期間を5月から11月までの通年公開とする[9]。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 秋田県大仙市教育委員会監修『池田氏庭園ガイドブック』池田家顕彰会発行
- 1 2 3 4 【イチオシマップ】大仙市「旧池田氏庭園」洋館や灯籠 地主の歴史『毎日新聞』朝刊2026年10月11日13面(わたしのふるさと便)
- ↑ 秋田県仙北郡仙北町教育委員会編『池田家の庭園および建造物群に関する基礎調査報告書』57頁
- ↑ 大仙市教育委員会編『国指定名勝 旧池田氏庭園保存整備管理計画』25頁
- 1 2 平成29年11月28日文部科学省告示第177号
- ↑ 本多恒顕「知恵と工夫「未来に伝えたい」県、インフラ50選を発表 小中学校に冊子配布へ」『秋田魁新報』2022年12月13日3面
- ↑ 大仙市教育委員会編『洋館修復の記録』
- ↑ “旧池田氏庭園に案内所オープン 庭園は来月10日まで公開”. 秋田魁新報. 2013年10月20日. 2013年11月18日閲覧.
- ↑ “旧池田氏庭園、19日から一般公開 準備作業着々”. 秋田魁新報. 2018年5月16日. 2018年6月30日閲覧.
関連項目
外部リンク
- 旧池田氏庭園(大仙市公式サイト内)
座標: 北緯39度27分22.0秒 東経140度30分36.0秒 / 北緯39.456111度 東経140.510000度

