東金砂神社

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東金砂神社
所在地 茨城県常陸太田市天下野町9740
位置 北緯36度40分42秒 東経140度29分52秒 / 北緯36.67833度 東経140.49778度 / 36.67833; 140.49778 (東金砂神社)座標: 北緯36度40分42秒 東経140度29分52秒 / 北緯36.67833度 東経140.49778度 / 36.67833; 140.49778 (東金砂神社)
主祭神 大己貴命
少彦名命
創建 大同元年(806年)伝
別名 お東さん、金砂さん
札所等 常陸五山
例祭 嵐除祭(2月11日)
主な神事 金砂神社磯出大祭礼(72年に1度)
地図
東金砂神社の位置(茨城県内)
東金砂神社
東金砂神社
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東金砂神社(ひがしかなさじんじゃ)は、茨城県常陸太田市天下野町(けがのちょう)に鎮座する神社。旧社格は郷社。

東金砂山(標高494 m)の山頂付近に位置し、山田川を挟んで西側に位置する西金砂山の西金砂神社と対をなす。花園山、黒前神社、真弓山、西金砂山とともに「常陸五山」の一角を形成する山岳信仰の拠点である。72年に一度行われる金砂神社磯出大祭礼や、毎年2月の嵐除祭で奉納される「東金砂神社田楽舞」(無形民俗文化財)で知られる。

祭神

歴史

創建と伝承

社伝によれば、平安時代初期の大同元年(806年)、平城天皇の勅願により、天台宗の僧・宝珠上人が近江国比叡山の日吉山王権現(現・日吉大社)の分霊を勧請・創祀し、国家安泰と五穀豊穣の祈願所としたのが始まりとされる[1]。西金砂神社も同年・同人による創建と伝えられる。

社記等の伝承では、翌大同2年(807年)に坂上田村麻呂が東征(蝦夷征討)の折に祈願のため多宝塔を建立したと伝わるほか、嘉祥2年(849年)には慈覚大師円仁が登山し、山上の景観が比叡山に酷似していることから羅漢堂を設けて十六羅漢を安置したと伝える。また、平安後期の前九年の役・後三年の役に際しては、源頼義・源義家父子が奥州平定祈願のため太刀や長巻を奉納したという伝承を残す[2]。

中世

中世においては、常陸国守護である佐竹氏の篤い崇敬と保護を受けた。山内には別当寺として天台宗の金砂山東清寺が置かれ、神仏習合の修験道場・霊場として栄えた。東西の金砂山は天然の要害でもあり、金砂山城として南北朝期や戦国期の合戦において佐竹氏の軍事拠点(籠城の地)となった。金砂山の衆徒(僧兵)も武装して佐竹氏に従軍した記録が残る。

近世

慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽国秋田へ転封された後、常陸国に入封した水戸徳川家(水戸藩)の庇護を受けた。特に第2代藩主・徳川光圀は領内の寺社改革を進めるなかで東金砂神社への崇敬篤く、社殿の修復や寄進を行っている。

近代以降

明治初年の神仏分離により、別当寺の東清寺は廃されたものの、境内には山門(仁王門)や鐘楼、薬師堂などの仏教色を残す建造物が破却を免れて現存している。近代社格制度においては郷社に列格した。

1903年(明治36年)1月の火災によって社殿を焼失したが、1911年(明治44年)に再建された。1960年(昭和35年)には伝承される田楽舞が茨城県指定無形民俗文化財に指定され、1976年(昭和51年)には西金砂神社の田楽舞とともに「金砂田楽」として国の選択無形民俗文化財に選択された。

境内

東金砂山の急峻な山上に位置し、神仏習合時代の伽藍配置の名残を強く留めている。

  • 本殿・拝殿 - 明治44年(1911年)再建。
  • 山門(仁王門) - 神仏習合期の名残をとどめる楼門形式の門。
  • 田楽堂(薬師堂) - 嵐除祭の祭儀や田楽舞の奉納が行われる舞台建築。
  • 鐘楼 - 神社境内に現存する梵鐘を備えた鐘楼。
  • モチノキ - 社務所前に自生する御神木。樹齢約500年、樹高約8 m、幹周約3.4 m。茨城県指定天然記念物[3]。
  • 境内社 - 境内には21の末社が鎮座する。

祭事

  • 嵐除祭(らんじょさい) - 毎年2月11日(旧暦正月3日)に斎行される例祭。暴風雨や自然災害を防ぎ、五穀豊穣と豊漁を祈願する。田楽堂において、方角と干支を記した「護摩餅」の焼け具合によってその年の天候・豊凶を占う年占いや、赤鬼・黒鬼・青鬼が護摩餅を奪い割る神事が行われ、境内の田楽堂にて田楽舞が奉納される[4]。
  • 金砂神社磯出大祭礼 - 72年に一度(数え年で73年目、未年)に行われる大祭。西金砂神社とともに執行される。祭神が大己貴命と少彦名命が鮑に乗って現れたという開基縁起にちなみ、両社から日立市水木浜(太平洋岸)までの往復約75 - 80 kmに及ぶ行程を、神輿や約500人の行列が6泊7日かけて渡御する。道中の各所宿所および浜辺で金砂田楽が奉納される。近年では2003年(平成15年)に執行され、次回は2075年の予定である。

文化財

国選択無形民俗文化財

  • 金砂田楽(1976年〈昭和51年〉5月4日選択) - 西金砂神社および東金砂神社の田楽舞を包括して選択。

茨城県指定文化財

  • 東金砂神社田楽舞(無形民俗文化財、1960年〈昭和35年〉3月28日指定) - 平安期以来の古式を伝えるとされる田楽舞。面を着用して舞う点に特徴があり、「四方固め」「獅子舞」「巫女舞」などの演目が東金砂神社田楽舞保存会によって継承されている[4]。
  • 東金砂神社のモチノキ(天然記念物、1972年〈昭和47年〉12月18日指定)[3]

常陸太田市指定文化財

  • 長巻(無銘)(有形文化財・工芸品、2013年〈平成25年〉4月25日指定) - 鎌倉時代初期の作と推定される長巻。全長140.0 cm、刀渡り69.5 cm。祭礼の神宝として良好な状態で伝存する[2]。

その他所蔵文化財

  • 太刀(銘 信國) - 鎌倉時代末期から南北朝時代の山城鍛冶・信国作と伝わる太刀。
  • 太刀(無銘) - 南北朝時代から室町時代初期の大和伝の太刀。

現地情報

所在地
茨城県常陸太田市天下野町9740
交通アクセス

脚注

  1. ↑ “東金砂神社”. 常陸太田市観光物産協会. 2026年10月11日閲覧。
  2. 1 2 “【R8集中曝涼】東金砂神社”. 常陸太田市公式ホームページ (2026年8月5日). 2026年10月11日閲覧。
  3. 1 2 “東金砂神社のモチノキ”. 常陸太田市観光物産協会. 2026年10月11日閲覧。
  4. 1 2 “東金砂神社田楽舞”. 茨城県教育委員会. 2026年10月11日閲覧。

参考文献

  • 水府村史編さん委員会 編『水府村史』水府村、1971年。
  • 茨城県教育委員会 編『茨城県の文化財』茨城県教育委員会、1980年。
  • 『日本歴史地名大系 第8巻 茨城県の地名』平凡社、1982年。

関連項目