松平定芝

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
松平定芝
時代 江戸時代後期
生誕 寛政3年9月22日(1791年10月19日)
死没 天保8年7月16日(1837年8月16日)
改名 安次郎、安之丞(幼名)、定芝
別名 甘裳、盾山(号)
戒名 謙徳院
墓所 東京都江東区白河の霊巌寺
官位 従五位下采女正、若狭守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉→家慶
藩 伊予今治藩主
氏族 久松松平家定勝流
父母 父:松平定剛、母:土岐定経の娘・磯
兄弟 定芝、高力直行、大嶋義彬、松平某室、斉藤利伊正室、近藤徳用正室、酒井忠堅正室、石川正保正室、堀親孝室ら
妻 正室:松平康任の娘・知
子 定法、久、善子、女子3人ら
養子:勝道
テンプレートを表示

松平 定芝(まつだいら さだしげ)は、江戸時代後期の大名。伊予国今治藩の第8代藩主。定房系久松松平家8代。官位は従五位下・采女正、若狭守。

生涯

寛政3年(1791年)9月22日、第7代藩主・松平定剛の長男として誕生。文化2年(1805年)12月に従五位下、采女正に叙任する。後に若狭守に転任する。文政7年(1824年)6月5日、父の隠居により跡を継ぎ、父と同じように文治政策に尽力した。天保8年(1837年)7月16日、父に先立って死去した。享年47。

子のほとんどは早世し、残っていた3男・定法も幼少のため、従弟の勝道(第6代藩主松平定休の6男・池田政行の次男)を婿養子として跡を継がせた。

系譜