松葉会の代紋 | |
| 設立 | 1953年3月 |
|---|---|
| 設立者 | 藤田卯一郎 |
| 本部 | 〒111-0035 |
| 首領 | 伊藤芳将(伊藤義克) |
| 活動範囲 | 1都7県[1] |
| 構成員数 (推定) | 約300人(2023年末現在)[1] |
松葉会(まつばかい[2])は、東京都台東区に本部を置く博徒系指定暴力団。構成員は2023年末の時点で約300人[1]。その勢力範囲は関東以北の1都7県に及ぶ。1994年2月、東京都公安委員会から指定暴力団に指定された。
1936年(昭和11年)、談合屋の河合徳三郎門下の関根賢が、東京墨田、江東方面の博徒や愚連隊を糾合し、土建業「関根組」の看板を掲げた。
1953年(昭和28年)3月に、藤田卯一郎が関根組幹部だった久野益義、田山芳徳、木津政雄、和泉武、武井紀義、山中吾一(後の榎戸一家五代目)らとともに、旧関根組と旧藤田組の組員を集めて松葉会を結成した。藤田卯一郎が初代会長に就任した。1959年(昭和34年)9月、政治結社届出。
1960年(昭和35年)4月2日、毎日新聞東京本社を襲撃。組員19名が発煙筒を焚き、机や椅子を投げ、書類を荒らしまわり、輪転機に砂を掛けるなど暴れ回った。毎日がヤクザと自民党議員の腐れ縁を書いた事に対する報復であった。このことは国会でも問題になり、当時の首相岸信介は「松葉会と自民党が関係があるようなお話がありましたが、関係はございません[3]」と答弁した。
警察による頂上作戦で藤田会長をはじめとした幹部が逮捕されたことで1965年(昭和40年)9月20日に一度は解散が宣言されるも、1968年(昭和43年)に藤田が死去すると佐藤栄助は旧松葉会一門を糾合し松友会を結成。
1973年(昭和48年)4月に銀座の菊池徳勝を会長として「松葉会」として復活した。
1996年(平成8年)3月、極東会会長・松山眞一(曹 圭化)と、松葉会の牧野国泰(李 春星)は親戚の血縁盃を交わした[4]。
2009年(平成21年)3月、跡目問題をめぐり主流派と反主流派との内紛状態になり、反主流派は4月に『松葉会同志会』を結成した[5]。
同年6月、牧野国泰が引退し、牧野会長を五代目会長と改め、会長代行・荻野義朗が六代目会長に就任した。
2014年3月、荻野義朗が「総裁」に就任し、伊藤芳将が七代目会長に就任した。 就任に際し、現会長の就任を承認しないグループにより「松葉会関根組」(2017年、関東関根組に改称)が結成された。
執行部副会長
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