横田誠一郎

ウィキペディアから、無料の百科事典
よこた せいいちろう
横田誠一郎
生誕 1881年9月
日本の旗 日本・岡山県哲多郡矢神村
(現・新見市)
死没 (1920-04-03) 1920年4月3日(38歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
職業 外交官
栄誉 勲四等瑞宝章
テンプレートを表示

横田 誠一郎(よこた せいいちろう、1881年(明治14年)9月[1] - 1920年(大正9年)4月3日[2])は、日本の外務官僚。岡山県新見市出身[3]。

経歴

生い立ち

1881年(明治14年)岡山県哲多郡矢神村(現:新見市)に生まれる[3]。地元に近い旧制・高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)を経て、1901年(明治34年)第六高等学校に進学[1]、その後、1904年(明治37年)7月に同校卒業、同年に東京帝国大学法科大学政治学科へ進学した[4]。1908年(明治41年)7月、26歳で同大学を卒業した。

国家公務員として

大学を卒業した翌年の1909年(明治42年)文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)に合格した。外務省の同期には、徳川宗家17代当主の徳川家正、後に文部大臣になる岡部長景がいた。その後、初任地として中国の天津官補へ配属された。その後、外務省政務局の第二課長へ昇進したが、在任中の1920年(大正9年)4月3日に病没した[要出典]。後日、国より勲四等瑞宝章が授与された[5]。

脚注

  1. 1 2 第六高等学校一覧 明治33-35年 p.134 横田誠一郎 高梁
  2. ↑ 『官報』第2300号、大正9年4月6日。
  3. 1 2 陰陽八郡郡勢一斑 49頁, 﨏雨村 編, 陰陽八郡時報社, 大正6年
  4. ↑ 第六高等学校一覧 明治37-39年 p.149 横田誠一郎 東大政治科
  5. ↑ 官報 1920年09月08日 197頁