機物神社

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機物神社

機物神社
拝殿

所在地 大阪府交野市倉治1-1-7
位置 北緯34度47分40.3秒 東経135度41分40.9秒 / 北緯34.794528度 東経135.694694度 / 34.794528; 135.694694座標: 北緯34度47分40.3秒 東経135度41分40.9秒 / 北緯34.794528度 東経135.694694度 / 34.794528; 135.694694
主祭神 天棚機比売大神
栲機千々比売神
地代主神
八重事代主神
社格等 旧村社
本殿の様式 檜皮葺一間社流造
例祭 7月7日 七夕祭
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機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市倉治にある神社。七夕に関する伝説で知られる神社である。御祭神は機織の神で天照大神の神衣の和衣(にぎたえ)を織った天棚機比売大神(あめたなばたひめおおかみ)[1]、一説に織女を指すとされる栲機千々比売命大神(たくはたちちひめおおかみ)[2]、地代主大神(とこしろぬしおおかみ)、八重事代主大神(やえことしろぬしおおかみ)[3]。南西に天野川(あまのがわ)が流れている[4]。

由緒

この神社の創建年代等については不詳であるが、卜部兼倶が奉幣した伝承や[5]、室町時代頃製作されたと思われる中央に仏の姿が描かれた『十六善神図』[6]を所有することから中世頃には存在したと推定される。

一説によれば、大陸からの帰化人である秦氏がこの地の近辺にいたため、古代には周囲に「秦」の付く地名が多く、神社はこの「秦者」の人たちが祀る社ということで「ハタモノの社」が本来の呼び名であったが、 後に七夕伝説と結び付けられ、「秦」が機織りの「機」に換えられたとする[7]。

史料上の初見は延宝7年(1679年)の『河内鑑名所記』で、「はたほこ大明神」と絵図に記入されている[8][9][10]。享保20年(1735年)の『五畿内志』には「機物神祠」とあり、七月七日に行われた祭祀の内容が書かれている[11]。十六の家の元服前の童男を神主に定め不浄を禁としその内の1人が朝夕に十六善神画像を護ったが、江戸時代には十二家に減り、文化十四年(1817年)本分争いが起こって大阪町奉行所で訴訟となったが、明治時代に一人の社掌で神事を掌ったという[12]。

機物神祠 在㆓倉治村㆒村民選㆓一童男堪㆑事者㆒爲㆓祭主㆒且以㆑禁㆓汚穢㆒爲㆑要毎歳七月七日到㆓祭禮㆒ — 並河永、五畿内志(1735)[13]

1801年『河内名所図会』では七月七日に例祭が行われたと書かれている。

機物神祠 倉治村(くらぢ)にあり。此所の生土神とす。例祭、七月七日。祭礼(さいれい)の時、童男(どうなん)老人を選(えら)んで祭主(さいしゅ)とし、甚(はなはだ)、汚穢不浄(おえふじやう)を禁(きん)する事を専要(せんよう)とす。 — 秋里籬嶋、河内名所図会(1801)[14]

1963年『交野町史』では十六善神の絵図が用いられる江戸時代の新年例祭と春祭と秋祭が書かれている[15]。

江戸時代を通じて正月十日の例祭には……十六善神の画像を懸けて、大般若経を読誦した。……又春祭は二月十日、秋祭は九月十日で、この時には参拝者にも十六善神画像を拝ませたという — 片山長三、交野町史(1963)[16]

1981年『交野市史』によると昭和54年(1979年)機物神社の七夕祭りは復活した[17]。

はたほこ大明神の「はたほこ」は倭名類聚抄によると寳幡: 華厳経偈之寳幢諸幡盖 訓波多保古であり[18]、その「幡盖(ばんがい・はたぬきがさ)」とは幡(はた)と天蓋(てんがい)。幢幡(どうばん)と天蓋を指し[19]百済聖明王からの献上品にも釈迦仏金銅像や経論と並んで「幡盖(ばんがい)」がみられる[20]。萬葉集16巻3856婆羅門乃 作有流小田乎 喫烏 瞼腫而 幡幢尒居……3856婆羅門(ばらもん)の作れる小田を喫(は)む烏瞼(まなぶた)腫(は)れて幡幢(はたほこ)に居り[21]とある様に婆羅門僧正菩提僊那[21.1]の小田をはむ鳥がとまる「はたほこ」は「幢幡(どうばん)」とも読む。また、はたほこは幢|橦|幡|〔幡桙の義〕鉾の上部に、小旗を着けたるもの。又、寺院にて、竿の先に旗を建てたるもの……大舎人寮式「幡桙四枚」……[22]、小旗を上部につけたほこ。または、ほこを上部につけた旗竿。朝儀や法会の儀仗に用いるである[23][24]。天照大神の和衣(にぎたえ)を織るご祭神・天棚機姫神の孫の天八千々姫も天照大神へ和妙(にぎたえ)を奉げる神御衣祭(かんみそさい)[25][26]の神服織機殿(かんはとりはたどの)神社のご祭神とする伝承説話があり[27][28]その服部神部の祖神は「天御桙命(あめのみほこのみこと)」とされている[29]。

機物神社と七夕については近世中期以降に結び付けられるようになったと考える説がある[10][30]。

境内

  • 本殿
  • 拝殿
  • 前拝殿

境内社

  • 東宮
  • 西宮

交通アクセス

脚注

  1. ↑ 『古語拾遺』、4頁。
  2. ↑ “万幡豊秋津師比売命”. 古事記研究データ、神名データベース. 國學院大學. 2026年9月26日閲覧。 “……「万幡」のハタは織った布のことで、ヨロヅハタは多くの布の意とされる。……シは不詳であるが、技師の意で織女を指すとする説がある……”
  3. ↑ “機物神社”. 機物神社. 2026年9月26日閲覧。
  4. ↑ 物集, 高見 編「伊勢物語(第八十一段渚の院)」『校註日本文学叢書』 4巻、広文庫刊行会、1918年(原著AD900年前後)、49頁。2026年10月11日閲覧。
  5. ↑ 大阪府神社庁『大阪府神社史資料』 下、大阪府神社庁、1986年、1070頁。国立国会図書館書誌ID:000001922073。
  6. ↑ 『交野市文化財保存活用地域計画』交野市、2022年、31頁。
  7. ↑ “おりひめ伝説 機物神社”. 機物神社. 2025年1月7日閲覧。
  8. ↑ 三田, 浄久『河内鑑名所記』 6巻、西村七郎兵衛正光、1679年、34頁。
  9. ↑ 三田, 浄久 著「河内鑑名所記」、柏原市史編纂委員会 編『柏原市史』柏原市、1975年(原著1679年)、467頁。国立国会図書館書誌ID:000001227243。
  10. 1 2 馬部隆弘「茄子作の村落秩序と偽文書」『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に―』勉誠出版、2019年、253–254頁。ISBN 978-4-585-22231-6。
  11. ↑ 並河, 永 著「河内國之十一_交野郡」、正宗, 敦夫 編『五畿内志』 下、日本古典全集刊行会〈日本古典全集_第3期_第14〉、1930年(原著1735年)、420頁。
  12. ↑ 『交野町史』交野町、1963年、1089頁。「この神社の神主は村内に定まった家筋があって以前は十六人であった。それはまだ元服年令に達しない十五才以下の童男で、その内一人を選んで毎日朝夕宮仕え、に十六善神画像の護衛をした。その童男は特に身の不浄を禁じられて、その住む所を別にし、神前に出るには先ず斎戒沐浴させたという。江戸時代になると神主を出す家にも変遷があって十二家となり、文化十四年(1817年)には、その家のうちに本分争いがあって、昔からの神鬮でもその座席が決まらず、大阪町奉行所へ訴訟に及んだこともあった。しかし明治維新からは神主十二人制をやめて、一人の社掌で神事を掌ることになった。」
  13. ↑ 並河, 永 著「河内國之十一_交野郡」、正宗, 敦夫 編『五畿内志』 下、日本古典全集刊行会〈日本古典全集_第3期_第14〉、1930年(原著1735年)、420頁。
  14. ↑ 秋里, 籬嶋 著、堀口, 康生 編『河内名所図会』柳原書店、1975年(原著1801年)、499頁。国立国会図書館書誌ID:0000012211181。
  15. ↑ 『交野町史』交野町、1963年、1089頁。国立国会図書館書誌ID:000001050847。
  16. ↑ 『交野町史』交野町、1963年、1089頁。国立国会図書館書誌ID:000001050847。
  17. ↑ 『交野市史民俗編』交野市、1981年、41頁。国立国会図書館書誌ID:000001548713。
  18. ↑ 源順『和名類聚抄』。
  19. ↑ 『精選版 日本国語大辞典』。「ばん‐がい【幡蓋】〘 名詞 〙 幡(はた)と天蓋(てんがい)。幢幡(どうばん)と天蓋。」
  20. ↑ [舎人親王 編「欽明天皇十三年十月」『日本書紀』 30巻。「冬十月 百濟聖明王(更名聖王)遣西部姫氏達率怒唎斯致契等 獻釋迦佛金銅像一軀 幡蓋若干 經論若干卷」
  21. ↑ 高木, 市之助、五味, 智英、大野, 晋 編『萬葉集』 4巻(20版)、岩波書店〈日本古典文学大系7〉、1962年、152-153頁。
    1. ↑ 注記
  22. ↑ 大槻, 文彦 編『大言海』 3巻、富山房、1934年、856頁。国立国会図書館書誌ID:000000933867。
  23. ↑ “日本国語大辞典精選版”. コトバンク. C-POT. 2026年9月26日閲覧。
  24. ↑ 馬部隆弘「茄子作の村落秩序と偽文書」『由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に―』勉誠出版、2019年、253–254頁。ISBN 978-4-585-22231-6。
  25. ↑ 清原, 夏野『令義解』 10巻、1650年(原著833年)。doi:10.11501/2545162。
  26. ↑ 「4月例・10月例」『皇太神宮儀式帳』 1巻〈群書類従〉、52,64頁。
  27. ↑ 塙, 保己一『重校神名秘書-伊勢二所太神宮神名秘書幷序』 第3輯ノ下 神祇部、続群書類従完成会〈続群書類従〉、1925年、845頁。「令天棚機姫神裔八千々姫命。毎年四月。秋九月織神服以供神明。故曰神衣祭也。」
  28. ↑ “機殿神社 神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)”. 松阪市観光協会. 2026年10月9日閲覧。 “皇大神宮の神御衣(かんみそ)のうち、和妙(にぎたえ)を奉織する機殿(八尋殿(やひろでん))の守護神を、また伝承では服部神部の祖神、天御桙命(あめのみほこのみこと)と奉織工の祖先、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)をお祭りするといわれ、域内には八つの小さな末社がある。”
  29. ↑ 『新撰姓氏録』 3巻。2026年10月9日閲覧。「服部連(天御中主命十一世孫。天御桙命之後也。)」
  30. ↑ 原田実『偽書が揺るがせた日本史』(株)山川出版社、2020年3月25日、62頁。

参考文献

  • 機物神社由緒略記(社務所にて頒布のもの)

外部リンク