沈義謙

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沈義謙
各種表記
ハングル: 심의겸
漢字: 沈義謙
発音: シム・ウィギョム
日本語読み: しん ぎけん
ローマ字: Shim Eui-gyeom
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沈 義謙(しん ぎけん、シム・ウィギョム、朝鮮語:심의겸、1535年-1587年)は、韓国李氏朝鮮中期の文臣、政治家、性理学者である。本貫は青松沈氏[1]。西人党の初代党首であった。金孝元との対立から、士林派の東西分党を誘発した。字は方叔、号は巽菴・艮菴・黄斎[2]。李滉・閔箕の門人。13代国王 明宗の王妃仁順王后は姉にあたる。また、20代国王景宗の最初の妃 端懿王后、23代国王純祖の妃純元王后、26代国王高宗の妃明成皇后の祖先にあたる。

脚注

  1. ↑ “스카이데일리, 세종 아내 일가후손, 서울·수원 5채빌딩 300억대”. www.skyedaily.com (2017年2月10日). 2022年11月15日閲覧。
  2. ↑ 沈義謙 (朝鮮語)

外部リンク