元光年間、漢の武帝が司馬相如を莋・邛・斯楡の地に派遣し、1都尉と10県あまりを置き、蜀郡に属させた[1]。紀元前111年(元鼎6年)、武帝が莋侯を殺害させ、莋都の地に沈黎郡を立てた[2]。紀元前97年(天漢4年)、沈黎郡は廃止され、蜀郡に併合された[3]。
晋の永嘉年間、成漢の李雄が漢嘉郡と蜀郡を分割して、沈黎郡と漢原郡を立てた。347年(永和3年)、桓温が成漢を滅ぼすと、沈黎郡と漢原郡は廃止されて、南陰平郡・晋原郡・寧蜀郡・始寧郡の4郡が置かれた[4]。
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