河原塚

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河原塚(かわらづか)は、千葉県松戸市にある町名。

概要

市内にある東京都立八柱霊園の西側と北西側に広がり、霊園の正門参道は同町に当たる。正門参道には石材店が連なっている[1]。

旧字名は1番地~30番地が橋戸、31番地~70番地が宮下、71番地~95番地が高田、96番地~117番地が南花、118番地~145番地が谷、155番地~156番地の1、156番地の3、158番地の1、158番地の3~159番地の1、159番地の3~164番地が初崎、165番地~189番地が南山、190番地~207番地が狐塚、208番地~220番地が大割、221番地~235番地が中割、236番地~254番地が小割、255番地~264番地が荒公、265番地~289番地が寺の台、290番地~312番地が作畑、313番地~318番地が木戸場、319番地~343番地が宮ノ内、344番地~356番地が宮ノ台、357番地~368番地が台畑、369番地~382番地が関場、383番地~399番地が小屋後、400番地~404番地が菖蒲作、405番地~422番地が庚申前、423番地~427番地が根切、428番地~431番地がハイ松と称した。

名称の由来は、大塚・狐塚の古墳群を関連した国分川の河原近くにある塚に由来、あるいは、土器の呼び名「かわらけ」から、土器が大量に出土した台地(河原塚古墳群[2])に由来するものと推測され[3][4]、遺跡や古墳群があるとおり、古代から人が住んでいることから、全国的に珍しい苗字である河原塚(かわはらづか)姓の発祥地とも考えられているようであるが、この姓はいまでは埼玉県上尾市などに集中していて、この地には河原塚姓の家はいない。埼玉県の河原塚氏は岩付太田氏の家臣だったとも目されているという。そして、北小金の名刹本土寺に所蔵されている記録書『本土寺過去帳』に「妙原尼 河原塚御方」や「妙行尼カワラツカ彦太郎」「妙慶尼カハラツカ」という人名がみられることが記されているという[5]が、江戸時代の河原塚村の住民は矢野、大田原、飯沼、高橋の4家であったことが知られ[6]河原塚を称した人物は江戸期になる前には既にこの地を去っているとみられている。

その後も河原塚村として、村落が形成され[7]、明治期に周辺の8村落とともに合併し、八柱村が発足する。ただし河原塚は旧八柱村のなかでも、人口、面積とももっとも小さく、明治の初めのころは20数世帯、昭和の初めでも30世帯、200人弱が、細々と農業で生計を立てていたという。その後は高度成長期に地方から出てきた人たち用に分譲住宅地化し、その後は約2500世帯、6000人ほどが暮らすベットタウンとなっていった。

町の西境に春木川が流れ、度々氾濫を起こしている。町内は縦に東日本旅客鉄道武蔵野線が通り、南端にまてばしい通りが、町中央に松戸都市計画道路の横須賀紙敷線が南北に走り、千葉県道51号線と合流、合流付近は京成が分譲した住宅地が広がる。

町内にある寺院・本勝寺の南側に調整池が設けられており、その南に「河原塚寺ノ台地区」として土地区画整理事業が行われた住宅地が広がる。組合施行により行われ、1992年に事業計画が決定、1997年(平成9年)8月22日に換地処分が公告される[8]。

町内には、グリーンスローモビリティが運行されている[9]。

主な事業所・施設等

(横須賀紙敷線沿い)

(まてばしい通り沿い)

関連組織

消防団

松戸市消防団東部方面隊-第32分団消防センターがある。

脚注

  1. ↑ 八柱霊園石材同業組合
  2. ↑ 『河原塚古墳』 - コトバンク
  3. ↑ 松戸市の地名の由来その三⑨河原塚(かわらづか) リノベ不動産
  4. ↑ 松戸の地名の由来(1) 『松戸よみうり』第813号(2017年5月28日発行)
  5. ↑  『角川日本地名大辞典』角川書店
  6. ↑ 河原塚史編纂委員会(編 『わが街河原塚いまと昔の物語』 2016.12.5 千葉日報社
  7. ↑ 『河原塚村』 - コトバンク
  8. ↑ 河原塚寺ノ台地区 松戸市
  9. ↑ グリーンスローモビリティを運行しています(河原塚地域) まつどDEいきいき高齢者 松戸市

参考文献

  • 河原塚史編纂委員会 著(2016)『わが街河原塚いまと昔の物語』千葉日報社