松飛台

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松飛台(まつひだい)は、千葉県松戸市にある町名。

概要

市内西部に位置し、西隣には東京都立八柱霊園が、北は五香に、東は鎌ヶ谷市、南は市川市に接する。南東は串崎新田に接するが、いまでは松飛台である松飛台自動車があるところまで串崎新田だった。

もとは一帯は原野であって、江戸時代には同地で、計4回にわたる将軍鹿狩りが行われている(小金原御鹿狩)。松飛台の旧字名に御立場(1番地~166番地)、御囲(167番地~264番地)、中原(265番地~527番地)、実台(528番地~609番地)、上馬原作(611番地~689番地)、中関(690番地~714番地)、という名称は、その名残とされる。その後も、クヌギや雑木が生い茂り、木炭などが作られたり、きのこなどもたくさん取れたところであったという。また、ここで作ったクヌギの木炭は麦わらで編んだ俵に入れて、東京方面へ出荷されて「さくらたん」と呼ばれた。

1938年(昭和13年)4月に、航空郵便パイロット養成を目的とした逓信省航空局松戸飛行場中央航空機乗員養成所が設立され、この一帯が訓練用の飛行場と化していた。松戸飛行場と呼ばれ、東西 約1000m 南北 1000m で面積はおよそ30万坪に及ぶ規模であった。松戸市秋山の大地主である渡辺や市川大野の板橋といった人物が土地を買い上げ、造成したものである。

1940年4月には、高等航空機乗員養成所と改正された。当時の所長は佐藤陸軍少将であったが、主として民間パイロットの要請を目的としたものであったのが、戦争が激しくなるとこの飛行場も軍の使用するところとなり、米軍機襲来の時には、遊撃のため日本軍戦闘機がここから発進した。付近は戦後に工業団地として造成するが、1954年の町名新設の際に松戸飛行場の名を「松飛台」という地名に残すこととなって、名付けられたという[1]。

戦前に津田沼の伊藤製作所が養成所の東側に約1万坪の敷地を伴って、いまの五香南1丁目に大日本航空機会社工場が建てられたが、終戦になると日航の工場は取り壊され、工場跡地はいまの松飛台あたりまで開拓されて、周辺は大半が農地へと変わっていった。ここへ大鵬原開拓組合が松戸農業会の指導で作られ、六実の松沢元吉が6年間組合長を務め、国から農地の払い下げが終了した時点で、野口末吉に移ったという。しかし、開墾してから数年間は人民も痩せていて水の便も悪く干害を受けやすかったので、芋などを作ってみたがこれも大変収穫が少なく、開拓者は困難を極め、明治開墾の時と同様に脱落者もあったという。

ところがその後、1962年(昭和37年)頃からの工業団地化によって農地は買収され、区画整理も行われ人口も増加し、さらに京成電鉄の電線開通も伴って、宅地化が盛んになっていったのである。松飛台地区は戦後、外地からの引き揚げ者の開墾地に提供され、入植者を受け入れることになった。そして陸軍鉄道敷設隊が演習線として敷設した路線について、1946年(昭和21年)に新京成電鉄株式会社が発足し営業権を獲得すると、1955年(昭和30年)までに、松戸駅と初富駅間が開通し、松戸と新津田沼までが鉄道で結ばれた。その後当時、東洋一といわれた常盤平団地に入居が始まったのは1960年(昭和35年)である。

松戸駐屯地の地も、もとは松戸市側の住所は「松飛台」が使われていた。当時の行政や駐屯地が実際に「松飛台」の住所(地番)を広く公称・使用していたが、1980年代以降、自衛隊の公式な「本部所在地(正門住所)」が五香六実へと変わっていった(あるいは戻った)背景には、松戸市特有の「町名地番整理」のタイミングと駐屯地の広大な敷地が関係している。

1954年の町名新設から1980年代前半まで、駐屯地で当時「松飛台」が使われていた理由として、松戸駐屯地は西側の広大な訓練場や隊舎を含めると、敷地の大部分が「松飛台」に属していた。町名新設やその後の工業団地造成(1960年代)を経て、周辺エリアが「松飛台」として完全に定着したため、1980年代初頭の時点では、駐屯地全体の代表住所や郵便物の宛先として「松飛台」または「松飛台無番地」という表記が公式・民間問わず一般的に使われていた。そのため、当時の都市地図にも「松飛台」と住所区分されている[2]。

松戸駐屯地の公式な住所が、現在の「五香六実17」として確定し、広く使われるようになったのは1980年代後半(1986年〜1990年代初頭にかけて)で、これには2つのきっかけがある。駐屯地へのアクセスや、本部長・司令部が置かれている中枢建物が、敷地東側の「五香六実」側にあったため、行政手続きや防衛庁(当時)の登録上、正門がある「五香六実17」を正式な所在地(代表住所)として一元化していくことになった。周辺のさらなる町名整理があった1980年代半ば(1986年ごろ)から1990年代にかけて、松戸市は周辺(五香・六実・六高台など)の町名や地番の整理を大規模に進めた。この過程で、駐屯地側の住所の境界線も明確に引き直され、外部向けの公式住所を「五香六実」に統一。1980年代後半の区域整理や本部の位置関係の見直しによって、現在の「五香六実17」へと公式表記が代わった。

町の北から中央にかけては京成松戸線元山駅やくぬぎ山駅が最寄りで、京成松戸線に並行して南北に都市計画道路3・4・23五香松飛台線が走り、この街道にそって松飛台商店街が形成されている。南側は京成成田空港線・北総鉄道北総線が開通し、市内に最寄り駅となる松飛台駅や大町駅が開設された。ただし、松飛台駅の所在は、紙敷になる。

八柱霊園の東隣に松飛台工業団地(マブチモーター、セノー、サイズ (メーカー)、精工技研、駒井ハルテック(旧駒井鉄工)テクニカルセンターなど)が形成されており、町全体が整形された街区の町となっている。松飛台工業団地は1961年(昭和36年)12月に建設が開始され、1962年(昭和37年)に都市計画区域を工業専用地域と準工業地域へと変更、1964年(昭和39年)3月に建設が完了した[3]。面積は51万4千平米(うち準工業地域が28万平米)、当初は33社ほどが進出した。

泉ヶ丘団地

かつての陸軍工兵学校演習場敷地は、戦後宅地化されていくが、その中で松飛台の南、旧字みのり台にあたる地区「泉ヶ丘団地」は、昭和40年代から入居が始まった住宅街である。1963年(昭和38年)に開発・分譲された。いまでは緑豊かな住宅地として知られている。松飛台のさくら通り南側エリアにあたり、さらに、もと串崎新田の飛地一部(37番地)が範囲となる[4]。

なお、紙敷の飛地だったエリア-泉ヶ丘緑地のところは団地範囲外であるがその区域と、串崎新田飛地全体、串崎新田298番地から316番地まで、自治会範囲となっている[5]。

1961年(昭和36年)、松戸市は、松飛台地域を工業団地として開発することを決定したが、それまで泉ケ丘はこのとき一面のサツマ芋畑だったという。また、団地が出来て以降も、泉ヶ丘からの通勤時、最寄り駅である旧新京成線(現・京成松戸線)くぬぎ山駅までは、広い畑のなかの農道を歩くよりほかに方法はなく、当然舗装はないので、晴れた日は歩くと膝から下ぐらいまで細かい土挨が舞い上がり、ズボンは土色になったという。雨の日はくるぶしの上まで泥水に浸かり、靴の中が泥水まみれになるほどで、したがって、晴天時は土埃、雨天時は泥水を避けるため駅までは靴を持って晴雨にかかわらず長靴を履いて向かい、駅で長靴を靴に履き替え電車に乗る、帰りは駅で長靴に履き替えて靴を手に持って帰途につくことになったことで、くぬぎ山駅は親切に長靴を置く木製の棚を作ってくれたという。また、駅まで広々と続く農地には野犬が多く集団になって人を取り囲んで吠えたてたという。泉ケ丘からくぬぎ山駅までには家がなく、その間街灯が道路には4灯、泉ケ丘内でも40灯しかなかったため真っ暗で、夜の帰途は同じ電車で降りた人が皆で連れだって歩き、闇の怖れや野犬群の被害を受けないように心がけたというほどであった[6]。

この地は「建築技能者生活協同組合」(略称「建生協」)が、『松戸みのり台団地』として販売を開始したもので、「建築技能者生活協同組合」は、かつて住宅事業を手掛けた東京土建一般労働組合の事業部が独立して、1958年に設立された組織。その後、「東京住宅生活協同組合」に改称され、現在は活動を終了している労働者福祉・住宅事業体である[7]。

販売当時の「住宅生協新聞」によると、〈あなたも買える自分の土地〉の売り文句で『松戸みのり台団地』・都内へ 50分、総面積 15,000坪、区画数 168、1区画平均 50~60坪、坪単価はA地区 8,400円、B地区8,500円とある[8]。1963年(昭和38年)3月1日に、造成工事が着手された。同年4月30日現在の入居者(購入契約者)名簿を建生協から改称した東京住宅生活協同組合が作成、それによると、160名で、2区画を予約した人がいるため163区画、共有地1区画となっており、殆ど完売していたことになる。

1963年5月の第4回入居者総会で、運営費の決定(月額・1世帯 100円 - 給水ポンプ電気代と街灯電気代 50円・予備費 50円)、街灯の設置(団地入口から駅までの間に 11灯)などで、6月には造成工事が完了し、引き続き井戸ポンプの設置等の付帯工事にかかる。水道は完備されていなかったのである[6]。

またこのとき、団地名の件で話し合いが行われた。新京成線に『みのり台駅』があって『みのり台団地』からはかなり離れていて紛らわしいので、団地名を変えたい、という話が出た。しかし、案を募ると出席者からは、「くぬぎ山団地」、「平和団地」、「つくしヶ原団地」及び「百合ヶ丘団地」の4案だけで、この中から選ぶには余りにも淋しい、もっと大勢の人から多くの候補名が出されるようにと、ハガキで募集することにし、決定を後日に譲ることにした。そして9月15日、泉ケ丘自治会が発足された[6]。

1964年に入ると、6月4日・8月2日・9月19日と3回の団地委員会を行い、役員と、団地名の公募結果を協議。団地名称は、9月19日の第3回団地委員会で、それまでに53名から119件の応募があったと報告があり、最初の協議で「松美台」、「泉ケ丘」、「くぬぎ台」、「つつじヶ丘」、「あかつき台」、「昭和台」、「緑ケ丘」、「つくしケ丘」、「くぬぎケ丘」、「松美丘」、「松丘」及び「旭丘」の 12 案に絞り、さらに協議の結果、最終候補案として「松美台」、「つくしが丘」そして「泉ヶ丘」の3件に絞り込んだ。これを 9月22日の集まりに提案することになり、9月22日当日、井戸・給水タンクのある土地に多数の入居者が集合し、造成工事の引き渡し式を行った後、団地名候補の3案を提示すると、多数決で「泉ヶ丘」と決定した。これには「水が美味しいところ」、「友情が泉のように湧くところにしよう」との参加者全員の願いが込められた命名だった。この日をもって団地名を『松戸みのり台団地』から『泉ヶ丘団地』に正式に変更した。東京住宅生協は同日、生協としてのすべての業務は完了したとし、団地の管理業務を自治会に引き渡された[6]。

泉ケ丘には入居当初、電話線も引かれていなく、電話線は五香駅方面から工業団地までで、工業団地にも企業内の電話だけで公衆電話はなかった。当時の居住者は41世帯で、散在していた家には頻繁に空き巣泥棒の被害にあったというが、警察へ通報するにも、五香駅前の公衆電話まで行かなければならなかったという。さらにその五香駅への道は砂利が敷いてあるだけで、バスも運行されていなかったので、自転車で行くにも砂利道走行では大変な苦労を伴い、そして駅へ着いて110番通報しても、警官の大部分が成田へ動員されていると翌日となり、死傷害事件でもなければ、警察は捜査に熱心ではなかったという。また、未居住者の土地には背丈を超える雑草が生い茂り、下水溝や下水溜を埋めて各家庭からの排水の流れをしばしば停めたので、未居住者に土地の雑草を刈るように住宅生協を通じて連絡するが、未居住者には居住者の雑草による苦痛が、なかなか理解されなかったという。全戸をまかなう水も、泉ケ丘の中心地に深く掘られた給水ポンプ井戸での給水で賄われており、これがしばしば停止した。特に水の使用が集中する時間帯に停止したという。さらに子どもたちは悪路のなか、五香駅そばの踏切(現・地下道)を渡り、高木小学校までの通学を余儀なくされたが、大人でも徒歩45分はかかる距離である。幼稚園も1つしかなく、入園申込みのために親は申し込み前日に徹夜で並んだという。また、大勢が集まって相談する場所もなかったので、晴天時には給水塔の下、もしくは自治会長の自宅などに集まって相談をしたという[6]。これらの事項から、その後、自治会の総会で、

  1. 環境を守る。工場が進出してきたら絶対阻止する。
  2. 主要道路の完全舗装化を市に要請する。
  3. 三年計画で集会場建設に取り組む。
  4. 緊急切実な問題として、通勤・通学路線バスの実現を新京成電鉄に働きかけ、要請する。
  5. 県水道の給水指定区域となるよう県に働きかけてゆく。

などが決定。実情をよくするために、関係方面に陳情・要請行動をみんなで一所懸命にやろう、ということとなっていったという。自分たちで自主的にできることには限度があるため、電話線網の導入、団地内道路の舗装化、詰まりやすい細いドブ溝を広くしてもらう、通勤・通学用のバス運行、水道を導入してもらって停水障害を無くす、といったことは、自治の力を越えたところでの施行解決が必要と認識し、解決していったという。

主な事業所・施設等

  • 松飛台工業団地
  • 松戸市松飛台市民センター・松戸市立図書館松飛台分館
  • 松戸市立松飛台第二小学校
  • 松戸市資源リサイクルセンター跡地
  • 松戸南郵便局
  • 松戸松飛台郵便局
  • 松戸警察署松飛台交番
  • 東京都立八柱霊園(敷地の一部)
  • 松飛台公園
  • あさひ公園
  • 松飛台こどもの遊び場(けむし公園)
  • 松飛台第3こどもの遊び場
  • 御立場(おたつば)緑地
  • 泉ヶ丘緑地
  • 京成電鉄成田空港線・北総鉄道北総線
  • 松飛物心社
  • さくら通り(紙敷~松飛台)
  • 松飛台商店街(御立場商店街)
  • 山中梨園
  • 千葉銀行松飛台支店
  • ベルクス 松飛台店
  • コスモ電材 松戸松飛台店
  • マルハン 松飛台店
  • ファッション市場サンキ 松飛台店
  • レクサス松飛台
  • ペットセレモニープレア松戸
  • 千葉三菱コルト自動車販売 松戸店 三菱EV充電スタンド
  • 日産プリンス千葉販売松飛台店

関連組織

松飛台商店会

松飛台を南北に走る大通りに形成された商店街で。地域的には1954年以降の松飛台地域の開発や住宅地・工業団地の形成とともに歩んできた歴史を持ち、古くは「御立場商店街」と呼ばれていたエリアも、現在ではこの松飛台商店会に含まれている。商店会キャラクターは、まっぴー。

防犯組織等

わがまち防犯パトロール隊松飛台交番管内防犯協会がある。

その他

地区社会福祉協議会や地区町会・自治会の連合会は、五香と合同。

関連項目

脚注

  1. ↑ 松飛台(飛行場跡) Matsuhidai(former site of an airport) 松戸市観光協会
  2. ↑ 例えば、『エアリアマップニューエスト3 新刊千葉県都市地図』昭交社、1981年
  3. ↑ 松飛台工業会
  4. ↑ 泉ヶ丘区域図 松戸市
  5. ↑ 泉ヶ丘自治会
  6. 1 2 3 4 5 泉ヶ丘自治会(2014年)『未来への伝言 : 泉ヶ丘自治会五〇年史』松戸市泉ヶ丘自治会
  7. ↑ 例えば、等参照
  8. ↑ 「住宅生協新聞」第39号(1962年8月25日号)

外部リンク