源資俊

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源資俊
時代 鎌倉時代
生誕 寿永元年(1182年)[1]
死没 仁治2年(1241年)2月3日[2]
官位 従三位
主君 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇
氏族 村上源氏顕房流
父母 父:源家俊、母:河内守源光遠の女
妻 不明
子 教俊
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源 資俊(みなもと の すけとし)は、鎌倉時代の公卿。宮内卿源家俊の息男。非参議従三位。

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に基づいて記述する。

系譜

  • 父:源家俊(?-1209)
  • 母:河内守源光遠の女
  • 妻:不詳
    • 男子:源教俊

脚注

  1. ↑ 『尊卑分脈』の記述にある没年と享年から逆算。
  2. ↑ 『尊卑分脈』の記述に従う。
  3. ↑ 『公卿補任』には元久3年とあるが建久3年(1192年)が正しいのではないか。
  4. ↑ 『公卿補任』では建永2年とあるが建仁2年(1202年)が正しいのではないか。
  5. ↑ 息男である侍従教俊を少将に申任のため。
  6. ↑ 『尊卑分脈』では2月3日に卒去、享年59才とある。

参考文献