| 田中ケロ | |
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| プロフィール | |
| リングネーム |
田中 秀和 田中ケロ |
| 本名 | 田中 秀和 |
| ニックネーム | ケロちゃん |
| 誕生日 | 1959年1月6日(65歳) |
| 出身地 | 愛知県稲沢市 |
| デビュー | 1980年8月22日 |
田中 ケロ(たなか けろ、1959年1月6日[1][2] - )は、日本のプロレスリングアナウンサー、ナレーター。芸能プロダクションONE COLOR(ワンカラー)所属。愛知県稲沢市出身[2]。本名:田中 秀和(たなか ひでかず)、愛称はケロちゃん[2][3] で、現在の活動名はこれに由来する。
父親の転勤で日本各地を転々とし、高校時代は青森県の弘前市で過ごす。弟と妹がいる[2]。
大東文化大学経済学部[2]在学中より新日本プロレスでアルバイトをし、その後、正社員として入社する。1980年8月22日、品川プリンスホテル・ゴールドホール大会のジョージ高野 vs. 荒川真戦でリングアナデビュー[2]。
現在のリングアナウンサーの主流となる紹介方法や言葉の抑揚は、先代のリングアナであった倍賞鉄夫(現・猪木事務所社長、倍賞千恵子・美津子姉妹の末弟でアントニオ猪木の元義弟)のスタイルに自己流を加えたものである。
東京ドーム大会などでの試合での前口上はファンの気持ちを高め、試合を盛り上げる要素のひとつでもある。
蝶野正洋対三沢光晴戦が行われる際、この試合はスポーツ界に対して影響力をもたらすものであるとの信念から、この試合前の前口上において田中は「K-1! PRIDE! プロ野球! Jリーグ! いいか、よく見ていろ! これがプロレスのパワーだ! プロレスは、絶対に負けない!」と叫んだ。
この田中の前口上はPlayStation 2用プロレスゲームソフト『キングオブコロシアム』にも裏技として収録されており、シングルマッチで蝶野と小橋建太、あるいは蝶野と三沢の試合を組むと、試合前の選手のコールの前に実際の会場でのものと同じ前口上を聞くことが出来る。
リングアナ以外にも、田中は新日本プロレス在籍時にはウェブサイト・パンフレット・週刊ゴングで移動中や試合の無いときの選手達のことを書いたコラム「旅日記」を掲載し、毎年「旅日記」1年分をまとめたものも出版されていた。
2003年頃になると、邪道・外道・竹村豪氏等に襲撃されるようになり、田中もゴングを鳴らす木槌で頭をやられ血染め状態になってしまい、包帯をグルグル巻きにする姿もよく見られた。なお、田中の負傷時の進行は別のリングアナウンサーが代理を務めた。
2005年5月からは執行役員も務めたが、2006年2月19日の両国大会を最後に新日本プロレスを去った。
田中のフリー転向後、最初のリングとなったDDTでは観客から「ケロさん、過去の発言を一言でいいから謝ってください。インディファン一同」と横断幕まで張られた。また高木三四郎とリングの内外で壮絶な舌戦を繰り広げ、ヒートを買った。その後も元新日本プロレスのみを集めたユニット「ケロ軍団」を率いてDDTの興行を盛り上げた。
その後は藤波辰爾らと共に団体「無我ワールド・プロレスリング」の一員として活動したが、西村退団などのトラブル時に無我を退社し2008年以降はフリーである。
田中のリングアナとしての技量はプロレス以外からも評価されており、新日本プロレス退団後は色々な団体やシュートボクシング興行でもリングアナを務めている。
2009年7月から芸名(プロレスでいうリングネーム)を本名「田中秀和」から「田中ケロ」に改名。
2012年3月4日、新日本プロレス「NJPW 40th anniversary 旗揚げ記念日」では、IWGPヘビー級選手権の特別リングアナを務めた。
2012年11月5日、ももいろクローバーZのライブ「ももクロ男祭り2012-Dynamism-」に出演。
2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で武藤敬司・大谷晋二郎(当初は橋本大地の予定だったが、大地が怪我のため変更。)vsテンコジのリングアナウンサーを務めた。
2014年5月31日、東京競馬場にて翌日行われる日本ダービー前日イベントに参加し、日本ダービー騎乗ジョッキー紹介を行なった。翌2015年に行なわれた同イベントにも参加している。
2020年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガーの引退試合のリングアナを務めた。
2021年7月末、田中は新型コロナウイルス感染に伴う陽性反応が認められたため自宅療養をしていた。同居していた田中の次女・音緒はホテルへと移り、大きい症状もなく過ごしていたが数日後、保健所からの定期連絡に出なかったため、連絡を受けた音緒が自宅へ戻ると田中が意識不明の状態で発見された。田中は救急搬送から集中治療室にて治療を受けることになり[7]、血圧の急降下など心停止になりかける緊急事態から医師から延命治療にするか否かの選択を迫られた際に家族は延命治療を選択、その間に肺炎を2回発症して人工呼吸器による治療の際も、ノドへのチューブ挿管手術に対しては「声が命」と音緒が拒否した[8]。しかし、翌9月には快方に向かい、リハビリを開始したことを発表した[8]。田中は肺や脳への後遺症、投薬による影響により仕事復帰は先になる見込みであることも併せて明かされた[9]。
田中は2021年10月に退院し、同時にリハビリ専門の病院へ転院して復帰に向けリハビリを開始した。年明けの2022年1月1日、田中はTwitterで動画を投稿し「人間vsコロナ史上最大の決戦」と称した前口上を披露。後遺症や投薬による影響もなく往年と変わらぬ元気な姿を見せた。その後、2月25日に退院して3月1日に新日本プロレスの日本武道館旗揚げ記念日大会で行われた「旗揚げ50周年記念セレモニー」でリングアナを務め、半年ぶりに表舞台に登場した[10]。
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