白井博幸

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白井 博幸
名前
カタカナ シライ ヒロユキ
ラテン文字 SHIRAI Hiroyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-06-17) 1974年6月17日(50歳)
出身地 静岡県富士市
身長 180cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1987-1989 日本の旗 東海大一中学校
1990-1992 日本の旗 東海大一高校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1993-1996 日本の旗 清水エスパルス 43 (2)
1997 →日本の旗 ヴェルディ川崎 (loan) 17 (0)
1998 →日本の旗 セレッソ大阪 (loan) 21 (0)
2000-2005 日本の旗 湘南ベルマーレ 126 (2)
2006-2007 日本の旗 ベガルタ仙台 31 (0)
2008 日本の旗 FC琉球 3 (0)
通算 241 (4)
代表歴
1996  日本 U-23 2 (0)
監督歴
2018- 日本の旗 名古屋経済大学
1. 国内リーグ戦に限る。2017-08-2現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

白井 博幸(しらい ひろゆき、1974年6月17日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。

1996年、U-23サッカー日本代表に選出され、相手エースの密着マーク等粘り強い守備で28年ぶりのオリンピック男子サッカー出場に貢献した。アトランタ五輪男子サッカー日本代表にも引き続いて選出され、アトランタ五輪男子グループリーグD組初戦の後半30分に交代出場。ブラジル五輪代表を降す「マイアミの奇跡」を経験した。

経歴

クラブ

小学3年生のときにサッカーを始め[1]、東海大一中、東海大一高に進学。高校の同学年に松原良香、伊東輝悦がいる。

高校卒業後の1993年に清水エスパルスに加入。1993年10月2日のヤマザキナビスコカップ、横浜フリューゲルス戦で公式戦デビュー[2]。リーグ戦初出場は1994年9月10日サンフレッチェ広島戦の先発出場だった[3]。1995年にはリーグ戦24試合に出場したが、1996年より監督に就任したオズワルド・アルディレスとそりが合わず[4]、期限付き移籍により1997年はヴェルディ川崎、1998年はセレッソ大阪でプレーした[4]。

その後は所属クラブが決まらず、一時はサッカー選手を辞めて料理人の道に進むことを考えていたが、加藤久から直接連絡を受け、2000年より湘南ベルマーレに加入した[1][4][5][6]。湘南にはキャリアで最長となる6シーズン在籍し、126試合に出場。2004年シーズンにはキャプテンを務めた[7]。

2006年1月、ベガルタ仙台に完全移籍[8]。2006年シーズン開幕から主力として試合に出場していたが、6月の試合中に右アキレス腱を断裂して長期離脱[9][10]、復帰戦は翌年の開幕戦だった[11][12]。2007年シーズン限りで契約満了につき退団[13]。

2007年12月にはJリーグ合同トライアウトに参加[14]。2008年1月、JFLのFC琉球に移籍[15]。琉球では怪我もあり3試合の出場にとどまった。11月20日に引退が発表された[16]。

代表

アトランタ五輪男子本大会出場をかけて1996年3月24日に行われた日本とサウジアラビアのア最終予選準決勝において、西野朗監督は怪我から回復したばかりの白井にサウジアラビアのエースFWオバイド・アル・ドサリ(英語版)の密着マークを命じた。後に、西野監督は「サウジの攻撃のエースを封じるために、ウチの守備のエース白井を当てた」とインタビューで語っている。後半32分そのO・ドサリに1点を決められたが、白井は失点の場面以外はO・ドサリを封じ込め続けた。日本は2-1で勝利し、28年ぶりの五輪出場を決めた。

アトランタ五輪本大会でも日本五輪代表に選出され、「マイアミの奇跡」と呼ばれるグループリーグD組第1戦ブラジル戦では、後半30分に遠藤彰弘から交代して出場、試合は1-0で勝利した。第2戦のナイジェリア戦ではフル出場したが、0-2で敗れた。

引退後

2009年より2012年までFC琉球コーチ。2013年より名古屋経済大学男子サッカー部のコーチに就任[17]。2018年2月より名古屋経済大学サッカー部の監督に就任した[18]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993清水-J00100010
19941410010150
1995241-10251
199650100060
1997V川崎171702010200
1998C大阪42104000250
2000湘南31J22101000220
200151501000160
2002330-30360
2003302-40342
2004170-10180
2005100-00100
2006仙台4190-00190
2007120-10130
2008琉球JFL30--30
通算日本J1 8128030922
日本J2 157220901682
日本JFL 30-0030
総通算 24141001202634

その他の公式戦

代表歴

指導歴

  • 2009年 - 2012年 FC琉球:コーチ
  • 2013年 - 2017年 名古屋経済大学サッカー部:コーチ
  • 2018年 - 名古屋経済大学サッカー部:監督

脚注

  1. 1 2 “Player’s Voice”. 湘南ベルマーレ (2002年12月7日). 2005年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  2. ↑ https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=258
  3. ↑ https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=641
  4. 1 2 3 川端、2005、120-122頁。
  5. ↑ 川端、2005、135-137頁。
  6. ↑ 川端、2005、190-192頁。
  7. ↑ “2004シーズン、キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ”. 湘南ベルマーレ (2004年2月16日). 2004年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  8. ↑ “白井博幸選手 完全移籍加入のお知らせ”. ベガルタ仙台 (2006年1月19日). 2007年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  9. ↑ “仙台DF白井アキレスけん断裂で今季絶望的”. nikkansports.com (2006年6月9日). 2007年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  10. ↑ “仙台DF白井、来季こそJ1昇格で引退”. nikkansports.com (2006年12月8日). 2007年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  11. ↑ “J2仙台 白井上り調子 練習試合で手応え”. 河北新報社 (2007年2月20日). 2007年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  12. ↑ “J2仙台白星発進 中盤で主導権 湘南に逆転勝ち”. 河北新報社 (2007年3月4日). 2007年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  13. ↑ “契約満了選手のお知らせ”. ベガルタ仙台 (2007年11月29日). 2009年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  14. ↑ “[12.11] 2007/2008第1回Jリーグ合同トライアウト出場選手一覧”. Jリーグ選手協会 (2007年12月11日). 2010年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  15. ↑ 『白井博幸選手FC琉球へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2008年1月11日。オリジナルの2009年1月16日時点におけるアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  16. ↑ 『【お知らせ】白井博幸選手引退のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2008年11月20日。オリジナルの2009年2月8日時点におけるアーカイブ。2017年8月27日閲覧。
  17. ↑ “チャレンジする「新生サッカー部」” (PDF). MEIKEI 名経大通信 Vol.45. 名古屋経済大学短期大学部. p. 11 (2013年7月16日). 2017年8月27日閲覧。
  18. ↑ 『白井博幸コーチの新監督就任について』(プレスリリース)名古屋経済大学、2018年2月1日。2019年8月15日閲覧。

参考文献

  • 川端康生『星屑たち それからのアトランタ組物語』双葉社、2005年。ISBN 978-4575297560。 

関連項目

外部リンク