矢崎滋

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やざき しげる
矢崎 滋
本名 矢崎 滋(やざき しげる)
生年月日 (1947-09-02) 1947年9月2日(79歳)
出生地 日本の旗 日本・東京都
身長 173 cm
血液型 AB型
職業 元俳優
ジャンル 舞台、テレビドラマ、映画
活動期間 1968年 - 2014年
配偶者 なし(離婚歴あり)
著名な家族 父 矢崎源九郎
主な作品
『帰ってきた時効警察』など
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矢崎 滋(やざき しげる、1947年〈昭和22年〉9月2日 - )は、日本の元俳優。身長は173 cm。体重は65 kg。血液型はAB型。東京都出身。

来歴

東京教育大学附属駒場高等学校を経て、東京大学へ進学する。言語学者で多言語を解した父の影響もあり、高校時代から複数の印欧語や古典語をかじった。一度は父親と同じ道を志すべきか迷ったこともあったが、言葉にかけては天才肌である父との資質の違いを悟り、演劇の道を選ぶ[1]。東京大学文学部英文学科を中退している。

舞台芸術学院夜間部を経て、1968年(昭和43年)に劇団四季へ入団し俳優となる。浅利慶太演出の『ブラックコメディ』では主演を務めた。1974年フリーへ転向し、井上ひさしの『小林一茶』主演などで注目を集めた。1987年東京芝居倶楽部を設立し座長を務め、2010年頃まで主宰した。福山大学客員教授として演技・演出論を担当したこともある。

1970年代半ばからテレビドラマにも活躍の場を広げて、1982年の「 3年B組貫八先生」(TBS)で教師役としてレギュラー出演し、1983年4月からの金曜8時枠の後番組となる「 オサラバ坂に陽が昇る」(TBS)では、主演の河西壮太役を務めた。1984年にはNHK大河ドラマの「山河燃ゆ」、1986年には 連続テレビ小説の「 はね駒」にレギュラー出演するなどバイプレイヤーとして確固たる地位を築いた。1989年からは白鶴酒造の「白鶴まる」のCMに2006年まで、1993年からはNHKの「クイズ日本人の質問」でレギュラー回答者を2000年まで担当し、お茶の間にも広く知られるようになる。ただ、テレビ出演は2005年頃から徐々に減り、2014年(平成26年)のドラマ出演以来、芸能活動は確認されていない。

長らく消息はわからなかったが、2020年(令和2年)9月、週刊女性が東北のビジネスホテルにいた矢崎に直撃取材すると、「だって俺“引退”してるから。引退宣言してないけれど、もう役者はやらない」と答えている[2]。芸能界引退の理由として、60歳手前から「相手にされなくなってきたな」と感じたこと、ギャラの下降から芸能界、ひいては東京も嫌になったからとしている[2]。2000年頃より、東北のある街の駅前にあるビジネスホテルを定宿として、近くの場外馬券場に通っていた。引退決意後は、東京を離れ、主宰していた劇団の稽古場を畳み、このホテルで1ヶ月15万円で1室を借りる形で定住している[2]。携帯電話を変えたとき、テレビ局のみならず、芸能関係者含め親しい人々との関わりもすべて絶ったと語る[2]。ある日、近所で偶然ロケをしていた役所広司のマネージャーが消息を尋ねてホテルに来訪した際も、居留守を使い顔を合わせなかったという[2]。

2021年(令和3年)3月、今度は、『フライデー』に、歌手の都はるみと共に、上記の東北のビジネスホテルで暮らしをしていること報じられた。2008年に都はるみ座長の芝居に矢崎が出演したことで交友がスタートした。都はるみも2015年頃から引退状態だったが、矢崎の部屋の隣に1室を借りて、東京の自宅と行き来しているという。[3][4]。

人物

阪神タイガースの大ファン。2003年、阪神のリーグ優勝直前に「優勝の瞬間を大阪で見てみたい」と熱望、全ての仕事をキャンセルし優勝当日まで関西のホテルへ泊り込み、当時放送されていた毎日放送『あさトラ!』へ連日出演した。ただし甲子園球場で観戦せず、ホテルにてテレビ中継を観ていただけだったため、ダンカンらは疑問視していた。このエピソード以前には、サンテレビジョンの阪神戦中継『サンテレビボックス席』にゲスト出演している。

愛煙家でありヘビースモーカー。

タモリなどから東大中退を「ムダに高学歴」といじられることもあるが、得意の英語を生かし『映画の演技-映画を作る時の俳優の役割』[5] の翻訳などを行なっている。

家族

父は言語学者でアンデルセンの翻訳家としても知られる東京教育大学教授の矢崎源九郎。叔父は法哲学者で大阪大学名誉教授の矢崎光圀。

出演

舞台

テレビドラマ

映画

クイズ

ナレーション

報道

音楽

CM

バラエティ

ラジオ

ラジオドラマ

寄席

  • 池袋演芸場(2009年2月)
    • 落語協会の上席公演に落語で出演。他に、単発の落語会へ出演した経験も多数。

著書

翻訳

脚注

  1. ↑ 「スタジオパークからこんにちは1996年3月7日放送[出典無効]
  2. 1 2 3 4 5 “矢崎滋、『白鶴まる』CMでおなじみの俳優が東北で送る“哀愁に満ちた余生””. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 2020年9月22日. 2020年9月22日閲覧.
  3. ↑ “都はるみが「好きになった人」は矢崎滋だった”. フライデー. 2021年3月12日. 2021年5月17日閲覧.
  4. ↑ “都はるみが矢崎滋と「田舎ホテル暮らし」 音楽関係者から「やっぱりね」と言われるワケ”. デイリー新潮. 2021年3月19日. 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2021年5月17日閲覧.
  5. ↑ マイケル・ケイン劇書房、1994年4月。ISBN 9784875745624。
  6. ↑ サンデー毎日1998年5月3日号71頁

外部リンク