知立神社

登録有形文化財の拝殿
所在地 愛知県知立市西町神田12
位置 北緯35度0分47.2秒 東経137度2分28秒 / 北緯35.013111度 東経137.04111度 / 35.013111; 137.04111座標: 北緯35度0分47.2秒 東経137度2分28秒 / 北緯35.013111度 東経137.04111度 / 35.013111; 137.04111
主祭神 鸕鶿草葺不合尊
彦火火出見尊
玉依比売命
神日本磐余彦尊
社格等 式内社(小)
三河国二宮
旧県社
創建 (伝)第12代景行天皇年間
本殿の様式 三間社流造檜皮葺
(社殿は尾張造)
別名 池鯉鮒大明神
札所等 東海道三社
例祭 5月3日(知立祭り)
地図
知立神社の位置(愛知県内)
知立神社
知立神社
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鳥居

知立神社(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、愛知県知立市西町にある神社。式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。

旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた。

祭神

祭神略系図

彦火火出見尊
 
豊玉姫命
(摂社親母神社)
 
 
 
 
鸕鶿草葺不合尊
 
玉依比売命
 
 
 
 
神日本磐余彦尊
(初代神武天皇)

祭神は次の6柱。主祭神4柱に相殿神2柱を併祀する[1]。

主祭神
  • 鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと) - 主神。
  • 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の父。
  • 玉依比売命 (たまよりびめのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の妻。
  • 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:初代神武天皇) - 鸕鶿草葺不合尊の子。
相殿神
  • 青海首命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方の開拓にあたったと伝える人物。
  • 聖徳太子

祭神について文献では、日本武尊従者の大伴武日や吉備武彦とする説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説が挙げられている[2]。また聖徳太子の併祀は、江戸時代中期の史料まで遡って見られる[2]。

歴史

創建

社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神の上記4柱を祀ったのが創建という[2][1]。一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説もある[2]。

江戸時代まで当社を氏神として祀っていた永見氏一族の『永見氏家譜』によれば、その出自について饒速日尊後裔で知波屋見命(知波夜命:初代三河国造)十五世孫の三河連貞連が、白鳳2年に天武天皇の勅命により知立神主になったとしている[2]。

なお、当初の鎮座地は東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる[2]。一時上重原を経て、現在地に移ったのは天正元年(1573年)になるという[2]。

概史

三河主要3神の神階推移
年砥鹿神知立神狭投神
(猿投神)
850年従五位下----
851年従五位上従五位上従五位下
864年従五位上
→正五位下
従五位上
→正五位下
従五位下
→従五位上
870年正五位下
→正五位上
正五位下
→正五位上
従五位上
→正五位下
876年従四位下
→従四位上
従四位下
→従四位上
従五位上
→正五位下
877年----正五位上
→従四位下
一宮制一宮二宮三宮

国史では、「知立神(智立神)」の神階が仁寿元年(851年)に従五位上、貞観6年(864年)に正五位下、貞観12年(870年)に正五位上、貞観18年(876年)に従四位上に昇叙されたと見える[2]。いずれの記事でも砥鹿神(愛知県豊川市の砥鹿神社:三河国一宮)と併記され、六国史終了時点の神階は三河国内では砥鹿神とともに最高位になる[3]。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では参河国碧海郡に「知立神社」と記載され、式内社に列している[2]。なお、『和名抄』では三河国碧海郡に「智立郷」と見えるが、これは当地付近に比定される[2]。

また、『参河国名所図絵』知立神社の項に「さなげ社伝に云、一宮とか神社(砥鹿神社)、二宮知立神社、三宮さなげ神社(猿投神社)」と見えることから、知立神社は三河国の二宮の位置づけにあったと見られている[4]。ただし、知立神社を三河国二宮と記載する中世史料はなく、上記図絵の出典も明らかでない[4]。その後、正安3年(1301年)筆の社蔵扁額「正弌位智鯉鮒大明神」や『三河国内神名帳』(慶安2年(1649年)書写本)によると正一位の極位に達したとされる[2]。

中世には水野氏の崇敬を受け、文明3年(1471年)3月に水野直守が社殿を修造し、大永6年(1526年)には水野忠政も修理を行なったが、天文16年(1547年)の兵火で焼失し、重原に遷座した[2]。元亀2年(1571年)にはさらに現在地に遷座し、水野信光から社殿修造と社領10石の寄進があったという[2]。

江戸時代に入り、寛文年間(1661年-1672年)には松平忠房から社領として10石が追加寄進された[2]。江戸時代には主に「池鯉鮒大明神」として知られ[4]、「東海道三社」の1つにも挙げられ、近隣20数か村の産土神として、また蝮除け・長虫除け・雨乞・安産の神として信仰された[3][1]。特に神札を身につければ蝮蛇に咬まれないとされ、北関東から山陰地方に至る各地に分社が建てられた[1]。『東海道名所図会』では、知立神社について祭神・多宝塔・古額・末社・神籬門・石橋・的場・除蝮蛇神札・御手洗池などが記述されている[5]。

明治維新後、明治5年(1872年)9月に近代社格制度において県社に列した[2]。

神階

境内

拝殿(国の登録有形文化財)
多宝塔(国の重要文化財)

現在の主要社殿は、江戸時代後期から昭和にかけての造営になる。社殿配置は「尾張造」と呼ばれるもので、本殿・幣殿・祭文殿・回廊・拝殿を縦長に接続する。この尾張造は、尾張地方には多いが三河地方では珍しく、知立神社社殿はその三河への伝播を表す遺構になる[1][6]。これらの社殿は国の登録有形文化財に登録されている。各社殿の詳細は次の通り。

本殿
江戸時代の天保2年(1831年)の造営。三間社流造で、屋根は檜皮葺[7]。
幣殿
本殿前に接続する。大正期(1912年-1926年)の造営。桁行五間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺[8]。
祭文殿・回廊
幣殿前に接続して祭文殿が立ち、その左右に回廊が伸びる。明治20年(1887年)の造営で、大正期と昭和29年(1954年)に改修されている。祭文殿は四脚門形式で切妻造。祭文殿・回廊とも屋根は檜皮葺[9]。
拝殿
主要社殿群の正面に立ち、祭文殿に接続する。桁行六間・梁間三間、切妻造妻入で、屋根は檜皮葺。前二間は土間で、奥は板敷になる。前面には、間口一間で切妻造の向拝が付属する[6]。

また、拝殿前の神池にかかる石橋は、江戸時代の享保17年(1732年)の造営である。花崗岩製の太鼓橋で、規模は全長6.6メートル、幅2.4メートル。弧状の石桁の上に、厚さ12センチメートルの石板19枚を並べて橋と成している。『東海道名所図会』にも記載が見える。この石橋は知立市指定文化財に指定されている[10]。

境内入り口付近に立つ多宝塔は、室町時代後期の永正6年(1509年)の再建とされる。三間四方の2層の塔で、塔高は約14.5メートル、屋根は柿葺、四隅には宝珠を置く。社伝では嘉祥3年(850年)に円仁が神宮寺を建立した際に2層の塔を建立したというが、現在の遺構はその後の再建になる。明治元年(1868年)の廃仏毀釈の際には、本尊(愛染明王)・仏壇を塔内から除いて文庫に改めたため、難を逃れている。その後、大正9年(1920年)の解体修理で復元された。なお、塔内にあった本尊は現在総持寺にある。この多宝塔は、神宮寺の遺構を伝える全国でも珍しい例とされ、国の重要文化財に指定されている[11][10]。

そのほか境内には、明治期の建築で昭和43年(1968年)に地元旧家から移築された茶室「池鯉鮒庵」(国の登録有形文化財)や、明治19年建築の洋風建築「養正館」、高さ6メートルのトネリコ(知立市指定天然記念物)がある[12][1][10]。

摂末社

登録有形文化財の親母神社
土御前社
摂社
末社

祭事

知立まつり時の山車と多宝塔

年間祭事は次の通り[14]。

文化財

重要文化財(国指定)

登録有形文化財(国登録)

愛知県指定文化財

知立市指定文化財

神宮寺

境内にあった神宮寺は、社伝では嘉祥3年(850年)の僧円仁(慈覚大師)による建立という[2]。寺内には玉泉坊を始め7坊があったが、天文16年(1547年)に焼亡し、元亀年間(1570年-1573年)に再建されたという[2]。現存の多宝塔はその神宮寺の名残を伝えるものであるが、墨書によると永正6年(1509年)の再建になる[2]。

江戸時代には寛永寺末として総持寺を称し知立神社の別当寺を成したが、明治に廃された[2][17]。その後、総持寺自体は大正15年(1926年)に知立神社近くに再興され現在に至っている[2]。多宝塔内にあった本尊の愛染明王像は、現在はこの総持寺に安置されている。

現地情報

所在地
交通アクセス
周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. 1 2 3 4 5 6 7 神社由緒書。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 知立神社(式内社) & 1988年.
  3. 1 2 知立神社(神々) & 1987年.
  4. 1 2 3 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 125-127.
  5. ↑ 早稲田大学「古典籍総合データベース」より、『東海道名所図会 第3巻』28カット、29カット参照。
  6. 1 2 3 知立神社拝殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  7. 1 2 知立神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  8. 1 2 知立神社幣殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  9. 1 2 知立神社祭文殿及び回廊 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  10. 1 2 3 境内説明板。
  11. ↑ “知立神社多宝塔”. 愛知県. 2014年11月16日閲覧。
  12. 1 2 知立神社茶室 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  13. 1 2 知立神社摂社親母神社 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  14. ↑ 年間行事 知立神社公式サイト
  15. ↑ “知立の山車文楽とからくり”. 愛知県. 2014年11月16日閲覧。
  16. ↑ 知立神社多宝塔 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  17. ↑ 知立神社(角川) & 1989年.

参考文献

関連項目

外部リンク

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