1932年(昭和7年)2月11日発会。行地社の大川周明、松延繁次、狩野敏、等と国本社の一派からなる。1932年2月の衆議院総選挙を期して
を掲げ、主要新聞に「国難に処して国民は何人に投票するか」と題した檄文の広告を出した。
本部は当時の東京の麹町区内山下町1丁目1番地の東洋ビルに置かれた。1932年当時、全国に36の支部を、4500人の会員を擁した。
軍部を中心とする急進的社会改革を理想とし、綱領には
などを掲げた。
1932年(昭和7年)6月14日には東京上野公園自治会館で大日本生産党、勤皇維新同盟、日本国家社会党と「共同国民大会」を開催した。
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