紀元前1400年
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メムノンの巨像。エジプトはルクソールのナイル川左岸に建造された高さ18メートルのアメンホテプ3世の巨像。ローマ時代にはトロイア戦争の英雄メムノンに比定され、巨像が何らかの物理現象で声を出していたことが、ストラボンやパウサニアスによって記録されている。

アマルナ芸術。エジプト第18王朝の王アメンホテプ4世はアトン神信仰による宗教改革を断行した。都もテーベからテル・エル・アマルナに遷され、この地でエジプトにあっては例外的な写実的な芸術が花開いた。画像は「王妃ネフェルティティの胸像(ベルリン新美術館(ノイエス・ムゼウム)蔵)」。

ツタンカーメン王墓。アマルナからテーベに還都した少年王ツタンカーメンはその短い治世も相俟って長らく忘れられた存在であった。しかしイギリス人考古学者カーターによって1922年に発見されたほとんど盗掘されていない王墓と埋葬品の数々は驚きをもって迎え入れられた。画像はツタンカーメン王の黄金のマスク(カイロのエジプト考古学博物館蔵)。

カッシート人の伸長。バビロン第三王朝とも呼ばれるこの王朝のクリガルズ1世の時代には、新首都ドゥル・クリガルズが建設された。画像はドゥル・クリガルズのジッグラト。

「ヴァルチトランの遺宝」。古代トラキアにおける金属加工はこの時代に一つの頂点に達した。巧みな細工を施されたこの総重量12㎏の黄金の儀式用の品々はブルガリアの誇る名宝である。ソフィアの国立考古学研究所・博物館所蔵。
目次
紀元前14世紀
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(紀元前1400年から転送)
| 千年紀: | 紀元前2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 前15世紀 - 紀元前14世紀 - 前13世紀 |
紀元前14世紀(きげんぜんじゅうよんせいき)は、西暦による紀元前1400年から紀元前1301年までの100年間を指す世紀。





出来事
[編集]紀元前1400年代
[編集]紀元前1390年代
[編集]紀元前1380年代
[編集]紀元前1370年代
[編集]- 紀元前1373年3月27日 - 甲骨文から殷の盤庚の治世中の支配地域において、月食があった事が確認されている。
紀元前1350年代
[編集]- 紀元前1350年頃
- エジプトでアメンホテプ3世が死去。息子のアメンホテプ4世(アクエンアテン)が即位。
- エジプトのテーベの神官であるネブアメンの墓が作られる(墓の壁画は大英博物館その他が所蔵)。
- トルコ南部アンタルヤ県のウルブルン岬で交易船が沈没する(ウルブルン沈没船)。
- この沈没船の船体は1982年に発見され、現時点では世界最古の沈没船とされている。
- ヒッタイト王シュッピルリウマ1世がミタンニの都ワシュカンニを攻撃。
- ミタンニは敗走し、その途中でトゥシュラッタ王は息子の一人に殺される。
- この混乱でヒッタイトはアルタタマ2世を、アッシリアはシュッタルナ3世をミタンニの新王に擁立し対立。
- ヒッタイトがアッシリアに勝利しミタンニの新王シャッティワザを擁立し条約を締結(「シュッピルリウマ・シャッティワザ条約(Suppiluliuma-Shattiwaza Treaty)」)。
- イズミル近郊のカラベル峠にある象形文字ルウィ語の「カラベルの石碑」が建てられる。
- ここに刻まれていた人物像は現在アルザワ系ミラの王タルカスナワであると考えられている。
紀元前1340年代
[編集]紀元前1330年代
[編集]- 紀元前1334年頃 - アメンホテプ4世とスメンクカーラーが死去。ツタンカーメン王の即位。
- この時期までにアマルナからテーベに還都。アメン神信仰が復活しアテン神信仰は廃絶する。
- 紀元前1330年頃 - ミタンニの支配下にあったアッシリア王アッシュール・ウバリト1世が独立(中アッシリア時代)。
紀元前1320年代
[編集]紀元前1310年代
[編集]紀元前1300年代
[編集]- 紀元前1300年代後半 - ブルガリアの「ヴァルチトランの遺宝」が埋蔵される( - 紀元前1200年代前半)。