9世紀
| 千年紀: | 1千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
| 十年紀: |
800年代 810年代 820年代 830年代 840年代 850年代 860年代 870年代 880年代 890年代 |



























9世紀(きゅうせいき)は、西暦801年から西暦900年までの100年間を指す世紀。


できごと
[編集]- 9世紀
800年代
[編集]810年代
[編集]820年代
[編集]830年代
[編集]840年代
[編集]- 840年
- 841年
- 842年
- 843年
- 844年 - クラビホの戦いでアストゥリアス王ラミロ1世がイスラム教徒に勝利。
- 845年
- 846年 - ローマを攻撃したイスラム軍をグイード1世・ディ・スポレートが撃退。
- 846年頃
- ブハーリーがハディース『真正集(サヒーフ・アル=ブハーリー)』を完成させる。
- イブン・フルダーズベがアラビア語として最古の地理文献である『諸道と諸国の書』を執筆。
- 847年
- 849年
- イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。
- 東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダス(東ローマ皇帝の叔父)によりコンスタンティノポリス大学(マグナウラ宮殿大学)が再興される。
850年代
[編集]860年代
[編集]- 860年
- 行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
- ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
- 861年
- 日本で宣明暦が採用される。
- 唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。
- ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士により建立される。
- 日本で宣明暦が採用される。
- 862年
- 863年
- 864年
- 864年頃
- 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
- 865年
- 866年
- 867年
- 868年以前
- 868年
- 869年
870年代
[編集]880年代
[編集]890年代
[編集]- 890年 - シリア北部にハムダーン朝が成立。
- 891年
- 892年
- 892年頃 - 東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
- 893年
- ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
- 唐に滞在中の留学僧中瓘が日本に宛てて遣唐使中止を奏上。
- 894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
- 895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
- 896年
- 897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
- 898年 - 古マタラム王国のバリトゥン王が即位。その治世でプランバナン寺院群を建立。
- 899年
900年代
[編集]- 900年
- バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
- サーマーン朝はホラーサーンとマー・ワラー・アンナフルを支配下に置き最盛期を迎える。
- ランゴバルド系カプア公国が独立する。
- 甄萱が後百済を建国。
- バルフの戦いでサーマーン朝のイスマーイールはサッファール朝のアムル・イブン・アル=ライスに勝利。
時代の動向
[編集]東アジア
[編集]大陸
[編集]唐は9世紀に入ると宦官の専横や中央官僚間の牛李の党争、地方における節度使(藩鎮)の割拠傾向が深刻化し、中央集権的な統治機構は徐々に弱体化した。845年には皇帝武宗による大規模な仏教弾圧(会昌の廃仏)が行われ、仏教寺院の経済的基盤に打撃を与えた。世紀末の875年から884年にかけては黄巣の乱が発生し、長安・洛陽をはじめ各地が荒廃、唐王朝の権威は決定的に失墜して、乱の鎮圧に協力した朱全忠や李克用ら軍閥が台頭し、次代の五代十国時代への道が開かれた。
朝鮮半島
[編集]新羅では中央貴族の内紛や地方豪族の自立が進み、世紀末には甄萱による後百済の建国など、王朝の統制力が急速に低下し分裂の様相を呈するようになった(後三国時代の始まり)。一方、渤海は大仁秀・大彝震らの治世のもとで国力を増進させ、唐や日本との関係も良好に保たれたことから「海東の盛国」と呼ばれる最盛期を迎えた。
日本
[編集]日本では平安時代前期にあたり、唐制に基づく律令制が衰退に向かい、戸籍に基づく人別課税から、田堵と呼ばれる実際に公田を請け負い経営している富豪層を負名として土地課税する制度に移行する。変動する在地社会を現実に即して統治するために現地派遣の国司の筆頭者に大幅な権限が付与され、受領と呼ばれるようになる。
政治面では、810年の薬子の変を経て嵯峨天皇が権力基盤を固め、以後嵯峨・淳和・仁明の三代は「崇文の治」と呼ばれる安定期となった。842年の承和の変、866年の応天門の変を経て藤原良房・藤原基経ら藤原氏北家が台頭し、良房は人臣として初めて摂政となり、基経は初の関白となるなど、後の摂関政治につながる政治体制の萌芽がみられた。
文化面では最澄・空海が入唐して天台宗・真言宗をそれぞれ伝え、日本仏教に密教が本格的に根付いた。宮廷では『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』の勅撰漢詩集が相次いで編まれるなど、唐風文化を規範とした文雅が重んじられた(弘仁・貞観文化)。894年には菅原道真の建議により遣唐使が停止され、これ以降、日本独自の文化的展開(国風文化)への転換が徐々に進んでいくことになる。
西アジア
[編集]アッバース朝はハールーン・アッ=ラシードとマアムーンの治世(8世紀末から9世紀前半)に最盛期を迎え、都バグダードでは「知恵の館」を中心にギリシア語文献のアラビア語への翻訳が進み、フワーリズミーやキンディーらの学術活動によってイスラム科学が発展した。しかし9世紀後半になるとカリフの権威は次第に弱まり、ターヒル朝・サッファール朝・サーマーン朝など、東方のイラン系地方政権が相次いで自立した。エジプトではトゥールーン朝が独自の勢力を築き、イラク南部では869年から879年にかけて黒人奴隷による大規模な反乱(ザンジュの乱)が発生するなど、アッバース朝中央政府の統制力は低下していった。
南アジア
[編集]北インドではパーラ朝とラーシュトラクータ朝、プラティーハーラ朝の三勢力がカナウジの覇権を巡って抗争を続けた。チベットでは吐蕃がティツク・デツェンの時代に唐との長慶会盟を結ぶなど仏教興隆期を迎えたが、9世紀半ばに王ランダルマが暗殺されると急速に分裂・崩壊し、統一国家としての吐蕃は消滅した。
東南アジア
[編集]カンボジアでは802年にジャヤーヴァルマン2世がシャイレーンドラ朝から自立して国土を統一し、アンコール朝が成立した。ジャワ島では古マタラム王国のもとでプランバナン寺院群をはじめとするヒンドゥー教建築が盛んに造営され、シャイレーンドラ朝によるボロブドゥールと並ぶ宗教建築文化の隆盛期を迎えた。
ヨーロッパ
[編集]西ヨーロッパでは814年のカール大帝の死後、フランク帝国は843年のヴェルダン条約、870年のメルセン条約を経て東・西フランクとイタリアなどに分裂し、後のドイツ・フランス・イタリアの原型が形作られていった。この分裂と並行して、北欧からヴァイキングの活動が西ヨーロッパ各地に拡大し、イングランドでは大異教軍の侵入に対しアルフレッド大王が抵抗して879年頃までにイングランドの大部分を再統一する一方、フランク王国領ではパリ包囲戦などの攻撃が続いた。東方ではリューリクやオレグらヴァリャーグ(ルーシ)によるノヴゴロド公国・キエフ大公国の建国が進み、ロシア国家形成の端緒となった。
東方では、東ローマ帝国で787年の第2ニカイア公会議後も断続していたイコノクラスム(聖像破壊運動)が843年の教会会議で聖像崇敬派の勝利により最終的に終結し、867年にはバシレイオス1世によるマケドニア朝が成立して帝国は安定期に入った。この時期、コンスタンティノポリスから派遣されたキュリロス・メトディオス兄弟によるスラヴ人への宣教が進み、グラゴール文字の考案とともにスラヴ世界への正教文化の伝播が始まった。バルカン半島では第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教を受容し、シメオン1世の時代に全盛期を迎えた。
人物
[編集]キリスト教世界
[編集]フランク王国
[編集]- カール大帝(742年 - 814年) - フランク王(在位768年 - 814年)・西ローマ皇帝(在位800年 - 814年)
- ルートヴィヒ1世(敬虔王)(778年 - 840年) - カール大帝の子でフランク王・西ローマ皇帝(在位814年 - 840年)
- ロタール1世(795年 - 855年) - ヴェルダン条約による中央フランク王(在位843年 - 855年)
- ルートヴィヒ2世(804年 - 876年) - ヴェルダン条約による東フランク(ドイツ)王(在位843年 - 876年)
- シャルル2世(禿頭王)(823年 - 877年) - ヴェルダン条約による西フランク(フランス)王(在位843年 - 877年)
- カール3世・シャルル肥満王(839年頃 - 888年) - 東西フランク王を兼任した最後のカロリング朝皇帝(在位881年 - 887年)
- ウード(860年頃 - 898年) - パリ伯・ノルマン人からパリを死守した功で西フランク国王となる(在位888年 - 898年)
- メッツのオド(742年 - 814年) - フランク王国の建築家・集中式プランのアーヘン大聖堂の宮廷礼拝堂を建設
- アニアーヌのベネディクトゥス(750年頃 - 821年) - 修道士・ルートヴィヒ敬虔王に近侍しベネディクトゥスの修道規則を普及させる
- オルレアンのテオドゥルフ(750年/760年頃 - 821年) - オルレアン司教・詩人・ジェルミニー=デ=プレの小礼拝堂を建設
- アインハルト(770年頃 - 840年) - フランク王国宮廷学校教授・アルクインの弟子・『カール大帝伝』の著者
- ラバヌス・マウルス・マグネンティウス(780年頃 - 856年) - マインツ大司教・『事物の本性』ほかを執筆・「ゲルマニアの教師」
- ヒンクマール(806年頃 - 882年) - ランス大司教・ランス大聖堂でのフランス王の塗油戴冠を定式化・『サンベルタン年代記』も執筆
- オルベのゴットシャルク(808年頃 - 867年頃) - 修道士・二重予定説を唱えヒンクマールらと対決するが異端の嫌疑を受け幽閉中に死去
- ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ(810年? - 877年?) - フランク王国宮廷学校校長・神学者・哲学者・『自然区分論』を著す
- セドゥリウス・スコトゥス(9世紀) - 修道士・『キリスト教徒の君主について』は「君主の鑑」の最も初期の作品とされる
イタリア
[編集]イングランド・スコットランド
[編集]東ローマ帝国
[編集]- ゲオルギオス・シュンケロス(? - 810年以降) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・帝都総主教タラシオスに仕え『年代記選集』を執筆
- テオファネス(752年頃 - 818年頃) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・この時代の記録として『テオファネスの年代記』は重要
- ニケフォロス1世(760年? - 811年) - 東ローマ皇帝(在位802年 - 811年)・アモリア朝の始祖・クルムに敗北し戦死する
- レオーン5世アルメニオス(? - 820年) - 東ローマ皇帝(在位813年 - 820年)・イコノクラスムを再開し総主教ニケフォロス1世を解任
- テオドラ(815年頃 - 867年以降) - 東ローマ皇帝テオフィロスの皇后・息子ミカエル3世の摂政としてイコノクラスムを終結させる
- バシレイオス1世(827年 - 886年) - 東ローマ皇帝(在位867年 - 886年)・ミカエル3世を倒しマケドニア王朝を開く
- フォティオス(820年 - 897年) - コンスタンティノポリス総主教・神学者・古典文献学者・『図書総覧』を著す・ローマ教皇と対立
- メトディオス(826年 - 885年) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・グラゴル文字を作る・キュリロスは弟
- キュリロス(827年 - 869年) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・グラゴル文字を作る・メトディオスは兄
東欧
[編集]- クルム(755年 - 814年) - ブルガリア国王(ハーン)(在位803年 - 814年)・プリスカの戦いで東ローマ帝国を破り領土を拡大
- リューリク(? - 879年) - ヴァリャーグ(ヴァイキング)の一族でノヴゴロド公国の建国者(在位864年 - 879年)
- ラスチスラフ(? - 870年) - モラヴィア王国の国王(在位846年 - 870年)・メトディオスとキュリロス兄弟の宣教を支援
- ボリス1世(? - 907年) - ブルガリア国王(在位852年 - 889年)・キリスト教(東方正教)を受容し従来の宗教を弾圧
- オフリドのクリメント(840年頃 - 916年) - オフリドの主教・スラブ人へ東方正教を宣教・スラヴ語での説教や著述活動を行う
- シメオン1世(863年頃 - 927年) - ブルガリア最盛期の君主・国王(在位893年 - 913年)・皇帝(在位913年 - 927年)
- オレグ(? - 912年/922年) - リューリクの一族か・キエフ公国の建国者(在位882年 - 912年)・ドニエプル川水系から黒海を支配
北欧
[編集]イベリア半島
[編集]イスラム世界
[編集]アッバース朝
[編集]- ハールーン・アッラシード(763年 - 809年) - アッバース朝第5代カリフ(在位786年 - 809年)・王朝の全盛期を現出
- ジャアファル(766年? - 803年) - アッバース朝の政治家・名門バルマク家出身・権力を恣にしたがカリフにより一族とも殲滅される
- ズバイダ(768年 - 823年?) - アッバース朝第5代カリフのハールーン・アッラシードの正妃・第6代カリフのアミーンの母
- マアムーン(786年 - 833年) - アッバース朝第7代カリフ(在位813年 - 833年)・弟アミーンを倒す・「知恵の館」を設置
- ムウタスィム(794年 - 842年) - アッバース朝第8代カリフ(在位833年 - 842年)・バグダードからサマッラーに遷都
- アリー・ブン・ムハンマド(? - 883年頃) - イラク南部での黒人反乱のザンジュの乱の指導者・アッバース朝を弱体化させる
イラン系諸王朝
[編集]その他の王朝
[編集]宗教指導者
[編集]学者・詩人
[編集]- アブー・アル=アターヒヤ(748年 - 828年) - アッバース朝最盛期に活躍した詩人・人生の様々な機微を詠み清貧を称賛する作風の詩を残す
- アブー・ヌワース(756年 - 814年) - アッバース朝最盛期に活躍した詩人・飲酒や少年愛などを享楽的な詩を歌ったことで知られる
- シャーフィイー(767年 - 820年) - イスラム法学者・シャーフィイー学派の祖・著作に『起源の書』がある
- ジャーヒズ(776年 - 869年頃) - アラブ古典散文学の確立者・著作に『けちんぼども』『動物の書』などがある
- フワーリズミー(780年/800年 - 845年/850年) - 「知恵の館」で活躍・地理学者・天文学者・数学者として移項の原則をまとめる
- イブン・ハンバル(780年 - 855年) - イスラム法学者・ハンバル学派の祖・著作に『ムスナド』がある
- アリブ・アル・マムニア(797年/798年 - 890年/891年) - バグダード宮廷の歌姫(カイナまたはキヤーナ)・歴代カリフの寵愛を受け長寿で知られる
- アブー・マーシャル(787年 - 886年) - イスラム天文学者・占星術師・キンディーの弟子・著作に『大序説』がある
- アブー・タンマーム(788年頃/807年頃 - 845年頃) - アッバース朝のカリフに仕えた詩人・遠征に従軍し『ハマーサ』を残す
- キンディー(801年 - 873年?) - 「知恵の館」で活躍・科学者・数学者・哲学者であり「アラブの哲学者」と呼ばれる
- フナイン・イブン・イスハーク(808年頃 - 873年頃) - 「知恵の館」で活躍・主任翻訳官でネストリウス派キリスト教徒
- ファルガーニー(9世紀前半) - 天文学者・『天の運動と天文知識の集成』やアストロラーベに関する著作がある
- ブハーリー(810年 - 870年) - イスラム法学者・スンナ派ハディース集の最高峰とされる『真正集』の編纂者
- アッバース・イブン・フィルナス(810年 - 887年) - 後ウマイヤ朝の博学者・技術者・気象実験やレンズの製法のほか空中滑空でも有名
- バラーズリー(? - 892年頃) - 歴史学者・イスラム帝国の拡大を描いた『諸国征服史』や有名人の伝記集『貴族の系譜』がある
- イブン・ワーディフ・ヤアクービー(? - 897年頃) - 歴史学者・シーア派の視点からを描いた『年代記』や歴史地理学の『諸国の書』がある
- ジュッバーイー(? - 915年) - イスラム神学者・合理主義的神学ムウタズィラ派の代表・アシュアリーは弟子だったが後に離反
- イブン・フルダーズベ(820年頃 - 912年) - アッバース朝のペルシャ系官僚・地理学者・アラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』を執筆
- サービト・イブン・クッラ(826年 - 901年) - 「知恵の館」で活躍・ハッラーンのサービア教徒の出身・数学者として友愛数を発見
- タバリー(838年 - 923年) - イスラム法学者・歴史学者として『諸使徒と諸王の歴史』がある
- バッターニー(850年? - 929年) - シリアで活躍した天文学者・数学者・三角法の整理や私設天文台の設置で知られる
南アジア・東南アジア・チベット
[編集]- ダルマパーラ(? - 815年) - インドのパーラ朝の王(在位770年 - 815年)・仏教を保護しヴィクラマシーラ寺院を建立
- ゴーヴィンダ3世(? - 814年) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位793年 - 814年)・カナウジからインド南端コモリン岬まで征服
- シャンカラ(788年頃 - 820年頃) - インドのヴェーダーンタ派の哲学者で不二一元論を提唱する・著作に『ブラフマ・スートラ注解』がある
- ジャヤーヴァルマン2世(? - 834年) - カンボジアのアンコール朝の建国者(在位802年 - 834年)・シャイレーンドラ朝から独立
- アモーガヴァルシャ1世(801年 - 878年) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位814年 - 878年)・『カヴィーラージャ・マールガ』を執筆
- ティツク・デツェン(レルパチェン)(? - 841年) - チベットの吐蕃の王(在位815年 - 841年)・唐との間に長慶会盟を結び仏教興隆に尽くすが暗殺される
- ラン・ダルマ(803年/809年 - 842年/843年) - チベットの吐蕃の王(在位841年? - 842年/843年)・ティツク・デツェンの弟・廃仏を行い暗殺される
東アジア
[編集]唐
[編集]- 恵果(746年 - 806年) - 唐の僧侶・真言宗第七祖・長安青龍寺住持・両部曼荼羅を大成・空海の師
- 百丈懐海(749年 - 814年) - 唐の僧侶・禅門の規範として『百丈清規』を定め勤労を尊重する自給自足の体制を確立した
- 裴度(765年 - 839年) - 唐の政治家・宰相・憲宗に仕え淮南西道節度使の呉元済の乱を鎮圧させる・敬宗没後の文宗の擁立にも参与
- 韓愈(768年 - 824年) - 唐の文人士大夫・唐宋八大家の一人・皇帝憲宗の怒りに触れた『論仏骨表』がある
- 白居易(772年 - 846年) - 唐の詩人・政治家・詩文集『白氏文集』があり「長恨歌」「琵琶行」が有名
- 劉禹錫(772年 - 842年) - 唐の詩人・政治家・柳宗元らと永貞の革新に関与するが失敗・詩では「竹枝詞」が有名
- 柳宗元(773年 - 819年) - 唐の詩人・政治家・唐宋八大家の一人・詩では「江雪」散文では「永州八記」が有名
- 柳公権(778年 - 865年) - 唐の政治家・書家・楷書に優れ「玄秘塔碑」などを残す
- 牛僧孺(779年 - 847年) - 唐の政治家・科挙出身者の代表として牛李の党争を引き起こす
- 元稹(779年 - 831年) - 唐の詩人・政治家・詩文集『元氏長慶集』や小説『鶯鶯伝』がある
- 圭峰宗密(780年 - 841年) - 唐の禅僧・華厳五祖・「教禅一致」から著作『原人論』では儒仏道の「三教融合」を唱える
- 王守澄(? - 835年) - 唐の宦官・皇帝憲宗を暗殺したのち穆宗・敬宗・ 文宗を擁立・仇士良に倒される
- 仇士良(781年 - 843年) - 唐の宦官・甘露の変で李訓や鄭注を処刑し皇帝文宗を幽閉
- 李徳裕(787年 - 849年) - 唐の政治家・門閥貴族の代表として牛李の党争を引き起こす
- 李賀(791年 - 817年) - 唐の詩人・「蘇小小歌」など幻想的な作品を残し「鬼才」と評される
- 呂洞賓(798年? - ?) - 唐の道士・中国を代表する仙人の「八仙」の一人
- 段成式(803年 - 863年) - 唐の官僚・怪異をまとめた『酉陽雑俎』の著者
- 杜牧(803年- 853年) - 唐の詩人・官僚・李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される
- 李商隠(812年 - 858年) - 唐の詩人・官僚・杜牧と共に「晩唐の李杜」とも称される
- 武宗(814年 - 846年) - 唐の第18代皇帝(在位840年 - 846年)・会昌の廃仏を行う
- 趙帰真(? - 846年) - 唐の道士・皇帝武宗に近侍し会昌の廃仏を進める・廃仏中止で斬殺される
- 宣宗(810年 - 859年) - 唐の第19代皇帝(在位846年 - 859年)・牛李の党争を抑え小康期をもたらす
- 裘甫(? - 860年) - 唐の反乱指導者・没落農民の出身で浙江にて裘甫の乱を起こすが王式により鎮圧される
- 龐勛(? - 868年) - 唐の反乱指導者・武寧藩鎮の軍人で桂州にて龐勛の乱を起こすが朱邪赤心に鎮圧される
- 臨済義玄(?- 867年) - 唐の禅僧で臨済宗の開祖・語録に『臨済録』がある・「臨済の喝」で有名
- 張彦遠(815年頃 - 877年頃) - 唐の官僚・著述家・『歴代名画記』を著し画史の祖とされた
- 皮日休(830年代 - 883年) - 唐の詩人・政治批判を多く含む詩文集『皮子文藪』がある・黄巣に与したが疑われ処刑される
- 韋荘(836年 - 910年) - 唐の詩人・黄巣の乱で荒廃した長安を「秦婦吟」で歌う・後に王建の前蜀に仕える
- 魚玄機(844年頃 - 871年頃) - 唐の女流詩人・女道士となり詩人温庭筠らと交わる・侍婢を殺した罪で処刑される
- 王仙芝(? - 878年) - 唐末の反乱指導者・黄巣の協力者・後に黄巣と別れるが反乱は鎮圧される
- 黄巣(? - 884年) - 唐末の反乱指導者・黄巣の乱を起こし大斉皇帝を名乗る(在位880年 - 884年)・反乱は鎮圧される
- 楊復恭(? - 894年) - 唐末の宦官・僖宗没後に昭宗を擁立するが討伐される・「門生天子、定策国老」の語は有名
- 李克用(856年 - 908年) - 唐末の突厥沙陀部出身の軍閥指導者で黄巣の乱を鎮圧・後唐の李存勗(荘宗)の父
新羅
[編集]日本
[編集]- 桓武天皇(737年 - 806年) - 第50代天皇(在位781年 - 806年)・平安京遷都、蝦夷制圧を実施
- 菅野真道(741年 - 814年) - 公卿・参議・藤原緒嗣との徳政論争で有名・平安遷都を推進し『続日本紀』の編纂を行う
- 坂上田村麻呂(758年 - 811年) - 征夷大将軍・大納言・陸奥国の蝦夷制圧に功績を残す
- 霊仙(759年? - 827年?) - 入唐僧・唐の憲宗により日本人唯一の三蔵法師の号を得る・帰国を許されず唐で死去
- 藤原薬子(? - 810年) - 尚侍(女官)・兄の藤原仲成とともに平城上皇を擁して薬子の変を起こす
- 景戒(生没年不詳) - 法相宗(薬師寺)の僧・日本最初の仏教説話集『日本霊異記(日本国現報善悪霊異記)』の著者
- 最澄(伝教大師)(767年 - 822年) - 入唐僧・天台宗の祖で比叡山延暦寺開山・著作に『顕戒論』がある
- 修円(檉生禅師)(771年 - 835年) - 法相宗の僧・興福寺別当・師の賢憬とともに大和国室生寺を創建する
- 空海(弘法大師)(774年 - 835年) - 入唐僧・真言宗の祖で高野山金剛峰寺開山・書家(三筆の一人)・著作に『三教指帰』がある
- 藤原緒嗣(774年 - 843年) - 公卿・左大臣(山本大臣)・菅野真道との徳政論争で有名・『日本後紀』や『新撰姓氏録』を編纂
- 藤原冬嗣(775年 - 826年) - 公卿・左大臣(閑院大臣)・最初の蔵人頭となる・『弘仁格式』や『内裏式』を編纂
- 徳一(781年? - 842年?) - 法相宗の僧・会津慧日寺開山・三一権実諍論で最澄と対決・著作に空海に宛てた『真言宗未決文』がある
- 清原夏野(782年 - 837年) - 公卿・右大臣(双岡大臣)・親王任国制などを献策・『令義解』を編纂
- 橘逸勢(782年? - 842年) - 官人・書家(三筆の一人)・遣唐使で唐に渡る・承和の変で流罪となる
- 嵯峨天皇(786年 - 842年) - 第52代天皇(在位809年 - 823年)・書家(三筆の一人)
- 橘嘉智子(786年 - 850年) - 嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)・仁明天皇の母・橘氏を支援し学館院を設立
- 円仁(慈覚大師)(794年 - 864年) - 入唐僧・天台山門派の祖・『入唐求法巡礼行記』を著す
- 高岳親王(真如)(799年 - 865年?) - 廃太子・空海の弟子となり入唐後さらに天竺を目指すが羅越国で没す
- 小野篁(802年 - 853年) - 公卿・参議・学者・歌人・遣唐副使の任免で衝突し隠岐へ流される
- 藤原良房(804年 - 872年) - 公卿・太政大臣・人臣最初の摂政・承和の変や応天門の変に勝利し北家全盛を築く
- 伴善男(811年 - 868年) - 公卿・大納言・応天門の変の犯人とされ伊豆に流される
- 円珍(智証大師)(814年 - 891年) - 入唐僧・天台寺門派の祖・長等山園城寺(三井寺)を再興
- 遍昭(花山僧正)(816年 - 890年) - 天台宗の僧・歌人(六歌仙の一人)・花山の元慶寺を創建
- 源融(822年 - 895年) - 公卿・左大臣(河原左大臣)・賜姓源氏の一人(嵯峨源氏の祖)
- 藤原保則(825年 - 895年) - 公卿・参議・「好二千石」の良吏として知られ元慶の乱を寛政で鎮撫する
- 在原業平(825年 - 880年) - 蔵人頭・歌人(六歌仙の一人)・『伊勢物語』の主人公とされる
- 小野小町(生没年不詳) - 女流歌人(六歌仙の一人)・絶世の美女とされ日本各地に伝説が残る
- 益信(本覚大師)(827年 - 906年) - 真言宗の僧・東密広沢流の祖で円成寺開山・仁和寺で宇多法皇を受戒
- 相応(831年 - 918年) - 天台宗の僧・比叡山での千日回峰行の祖とされ数々の霊験譚が伝えられている
- 聖宝(理源大師)(832年 - 909年) - 真言宗の僧・東密小野流の祖で醍醐寺開山・当山派修験道の祖
- 都良香(834年 - 879年) - 官人・文章博士・『日本文徳天皇実録』編纂に関与・『都氏文集』や『富士山記』も執筆
- 藤原基経(836年 - 891年) - 公卿・太政大臣・最初の関白・藤原良房の養子・陽成天皇を廃し光孝天皇を擁立
- 安然(841年? - 915年?) - 天台宗の僧・東密に対する台密の教理を大成・著作に『悉曇蔵』などがある・通称は阿覚大師
- 菅原道真(845年 - 903年) - 公卿・右大臣・詩人・学者・宇多上皇の信任を得て昇進する・遣唐使を廃止
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]
ウィキメディア・コモンズには、9世紀に関するカテゴリがあります。