紀元前400年
| 世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
|---|---|
| 十年紀 |
前420年代 前410年代 前400年代 前390年代 前380年代 |
| 年 |
前403年 前402年 前401年 紀元前400年 前399年 前398年 前397年 |

紀元前400年(きげんぜんよんひゃくねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「Esquilinus、Capitolinus、Vulso、Medullinus、Saccus、Vulscusが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元354年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前400年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
場所
エジプト
- サイスのアミュルタイオスはペルシアの支配への反乱を成功させ、上エジプトの支配権を得て、ペルシア帝国からの独立を確実にする。エジプト第28王朝のファラオ、アミュルタイオスが、ペルシア(アケメネス朝)に対する数年間にわたる反乱を成功させ、上エジプト(南部)にまで支配権を広げてエジプトの完全独立を達成した(エジプトのデモティック年代記(Demotic Chronicle)やエレファンティネ・パピルスにおいて、ペルシアの支配が完全に排除された公式な記録がこの年の夏頃の日付やファラオの統治年として現れることを根拠に学者らはそう判断している)。
ペルシア帝国
- アケメネス朝の王アルタクセルクセス2世は、反乱の前まで弟の小キュロスが治めていた小アジアの大部分をティッサフェルネスに引き継がせた。
ギリシア
- (夏頃)スパルタ軍による小アジア遠征(スパルタ・ペルシア戦争の端緒)- スパルタの将軍ティブロン(Thibron)が、ペルシアのサトラップ(総督)ティッサフェルネスからイオニア地方のギリシア都市を守るため、約1,000人の兵を率いて小アジアへ派遣され、遠征を開始した。
- (秋頃)クセノポンの「1万人の傭兵」は、ギリシアへ帰還した。ペルシアからの行進はスパルタを再び小アジアでペルシア軍との戦争に向かわせた。
- 帰還した1万人傭兵団、トラキア王セウテス2世への傭兵奉公 - ペルシアから逃げ延び、ギリシア(トラキア地方)に戻ってきたクセノポンら傭兵団だったが、一文無しだったため、トラキア人の王(オドリュサイ王)セウテス2世に雇われ彼の政敵を討つための極寒の冬山での軍事作戦に従事することになった(クセノポンの『アナバシス』第7巻に衣服や水が凍りつく極寒のトラキアで傭兵たちがどのように戦ったかが詳細に描写されている)。
- スパルタとペルシアの戦争が始まると、アテナイの司令官であるコノンはペルシアのファルナバゾスの統合部隊を受け入れた。
- スパルタとエーリスの間でも戦争が始まった。
カルタゴ
中国
アメリカ
- ラ・ベンタの街が放棄され、メソアメリカのオルメカ文明が終焉を迎えた。
- サン・ロレンソ・テノチティトランが放棄された。
トピック
芸術と科学
- ギリシアの技術者によりカタパルト (投石機) が発明された。
- 彫刻における古典期(クラシック期)の最盛期が終わり、後期に入った(古代ギリシアの彫刻)。
- アテネのアクロポリスのモデルが製作された。これは現在、トロントのロイヤルオンタリオ博物館に展示されている。
- ポカイアのテオドロスがデルポイにドームを建設した。
宗教
伝説・文学
誕生
→「Category:紀元前400年生」も参照
死去
→「Category:紀元前400年没」も参照
脚注
注釈
出典