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絹織物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(絹布から転送)
フランスリヨンのブロケード。1760-1770.
縦糸に青色、横糸にピンク色の絹糸を使ったショットシルク(英語版)(玉虫織)

絹織物(きぬおりもの)は、絹で織った織物のことである。

肌ざわりがなめらかで、美しい光沢があるため、古来から珍重されてきた。様々な色糸を用いたものは錦(にしき)と呼ばれた。

歴史

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絹織物は、中国で創出されたもので、絹を生産している形跡が新石器時代遺跡(西陰村遺跡(中国語版)、河姆渡遺跡(中国語版)など)から幾度も発見されている[1][2]。最古級の絹織物が発見されたのは、銭山漾遺跡(中国語版)とされている[3]。刺繍が施されるようになった最も早期の事例は、中国にある戦国時代(紀元前3世紀~5世紀)の墓から発見されたものである。

中国漢の時代になると高価な貴重品としてシルクロードの主要な交易品目とされた。その製法は長い間秘密とされ、蚕を中国の国外に持ち出したものは死刑に処せられたとされる[4][2]。14世紀になると絹織物刺繍が最盛期となり、蘇州の宋錦、南京の云錦、四川省の蜀錦などの刺繍デザインが発展した。

日本での歴史
前漢の時代に経錦(たてにしき)という経糸を緻密に使った技術が確立し、日本に伝来している[5]。『魏志倭人伝』には、239年に卑弥呼が魏帝へ貢物を献じた礼として、紺地句文錦(こんじくもんきん)などが贈られた[5]。また魏志倭人伝には、243年(正始4年)に倭錦を送っていることから、この時代に錦を製造する技術があったことがわかる[6]。
しかし、経錦は色数の制限・織り方の難しさから、唐代に登場した様々な色が使えるようになる横糸を利用した緯錦 (よこにしき、ぬきにしき) という織り方がとって代わり、日本には奈良時代に伝わり経錦はすたれていった[7]。
中国から西洋へ流出
西暦6世紀中盤に、産業スパイにより東ローマ帝国に蚕と養蚕技術が導入され、東ローマ帝国首都周辺のトラキアで生産が始まった。その後、東ローマ帝国が廃れ養蚕技術が拡散した。

防御力

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強靭であることから、矢や銃弾を防ぐ用途にも使われた。日本では870年ごろから絹製の母衣と呼ばれる矢を防ぐ装備が身につけられた[8][9]。モンゴル帝国は西夏との1207年の最初の戦い後、矢が体に刺さらないよう絹製のシャツを着用していた[10][11]。

1881年、トゥームストーンの医師ジョージ・グッドフェローは、ルーク・ショートにより2回銃撃された賭博ブローカーを診察した際、絹製のハンカチによって銃弾が貫通しなかったことに気が付き[12][13]、1887年に銃弾に対する絹織物の防弾性について記事を書いた[14]。

1901年に作られた絹織物を何層にも重ねたベストは、スペイン王アルフォンソ13世を銃弾から救っている。また、1900年までギャングは防御用に800ドルのシルク製ベストを着こんでいた[15]。

注意点

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  • 光沢はセリシンによるため、セリシンを完全に落として着色した際の光沢は化学染料のもつ発色性による。現在の絹織物のほとんどはこれである。セリシンが石油系の溶剤と相性が悪く、通常の精練はセリシンを完全に落とす。逆にセリシンと親和性が高いのが、植物から抽出した色素である。
  • 蚕の種類によって、吐く糸の太さ細さやなめらかさ、吐き出す糸の太さの連続性は異なるので、蚕の品種によって、上記の特性値は大きく異なる。
  • 細い糸で織られた織物ほど軽く、艶も出るので珍重される。ただし、織る際に切れやすいという製造技術上の問題を持つ。
  • 麻、木綿、化学繊維に比して、染めた際の発色性は、染料の種類を問わず最も高い。

主な絹織物

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日本伝統の絹織物

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中国

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  • 紗
  • 羅
  • 綸子
  • 四川省の蜀錦(別名:蜀江錦)、杭州・蘇州の宋錦、南京の雲錦は「中国3大名錦」と呼ばれる[17]。また、チワン族の壮錦も加え中国の「四大名錦」とされることもある[18]。

海外

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種類分類

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金襴

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金襴(きんらん)とは、絹織物などの地組織に金切箔または金銀糸などで紋様を織り出した美麗豪華な織物。中国では「織金」と呼ばれる。中国から日本の堺に伝わり、後に西陣織に発展した[19]。ブロケード (織物)(英語版)なども含まれる。

絹織物の関連施設

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博物館

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中国
海外

その他

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  • Koza Han(英語版)(絹繭宿の意) - トルコでの絹織物はブルサとイスタンブールが中心地となっていた。Koza Hanはブルサのキャラバンサライ(隊商宿)であり絹織物市場の中心地であった。

脚注

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  1. ↑ 学術月報, 第 407~411 巻 文部省大学学術局, 1979 367ページ
  2. 1 2 3 浙江省004杭州旧城と開発区 ~マルコポーロのたたえた「美麗都市」著者: 「アジア城市(まち)案内」制作委員会
  3. ↑ “新闻背景:“世界丝绸之源”:钱山漾文化遗址-新华网”. www.xinhuanet.com. 2025年9月11日閲覧。
  4. ↑ 世界大百科事典 第2版 きぬおりもの【絹織物】(コトバンク)
  5. 1 2 “文化遺産データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2022年7月9日閲覧。
  6. ↑ 魏志倭人伝
  7. ↑ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及, 精選版. “緯錦とは”. コトバンク. 2022年7月9日閲覧。
  8. ↑ 大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本の合戦 82p
  9. ↑ 日本三代実録
  10. ↑ Wounds and Wound Repair in Medieval Culture 178 ページ
  11. ↑ Subotai the Valiant: Genghis Khan's Greatest General 32 ページ
  12. ↑ Erwin, Richard E. (1993). The Truth about Wyatt Earp (2nd ed.). Carpinteria, CA: O.K. Press. ISBN 9780963393029
  13. ↑ Edwards, Josh (May 2, 1980). “George Goodfellow's Medical Treatment of Stomach Wounds Became Legendary”. The Prescott Courier. pp. 3–5.
  14. ↑ “Dr. George Goodfellow”. 2014年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月8日閲覧。
  15. ↑ Hollington, Kris (2008). Wolves, Jackals, and Foxes: The Assassins Who Changed History. St. Martin's Press. ISBN 9781429986809
  16. ↑ チャウ縞コトバンク
  17. ↑ 中国3大名錦・南京雲錦博物館がリニューアル(フォーカス・アジア)
  18. ↑ 錦織(国立民族学博物館)
  19. ↑ 金襴(きんらん)(コトバンク)
  20. ↑ 成都「蜀錦刺繍博物館」 無形文化財の織物技術(人民網日本語版)

関連項目

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