織田信朝

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
織田信朝
時代 江戸時代中期
生誕 宝永6年9月28日(1709年10月30日)
死没 元文2年1月6日(1737年2月5日)
改名 菊千代(幼名)、信朝
別名 右近(通称)
墓所 奈良県宇陀市大宇陀岩室の徳源寺
官位 従五位下、出雲守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
藩 丹波柏原藩主
氏族 織田氏(信雄系高長流)
父母 父:織田信休、母:生田氏
兄弟 信朝、信旧、長卿、柳原光綱室ら
妻 正室:松平宣富の五女
子 養子:信旧
テンプレートを表示

織田 信朝(おだ のぶとも)は、江戸時代中期の大名。通称は右近。丹波国柏原藩2代藩主。官位は従五位下出雲守。高長系織田家5代。

生涯

宝永6年(1709年)9月28日、初代藩主・織田信休の次男として柏原にて誕生した。幼名は菊千代。

享保5年(1720年)4月1日、8代将軍・徳川吉宗に御目見する。享保7年(1722年)12月24日、信休の死去により家督を相続する。享保8年(1723年)12月18日、従五位下・出雲守に叙任する。享保11年(1726年)3月18日、藩主として初めてお国入りする許可を得る。

元文2年(1737年)1月6日、柏原において死去、享年29。柏原・徳源寺に葬られた。嗣子がなかったため、弟の信旧を養子とした。

内大臣・烏丸光栄の添削を受けた和歌集『水月詠藻』(475首収録)が伝わっている。

系譜