荒谷弘樹

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荒谷 弘樹
名前
カタカナ アラタニ ヒロキ
ラテン文字 ARATANI Hiroki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-08-06) 1975年8月6日(49歳)
出身地 富山県高岡市
身長 192cm
体重 83kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1991-1993 日本の旗 富山第一高校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1994-1997 日本の旗 浦和レッズ 0 (0)
1998 日本の旗 川崎フロンターレ 0 (0)
1999-2008 日本の旗 大宮アルディージャ 118 (0)
2009 日本の旗 コンサドーレ札幌 30 (0)
2010-2011 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 22 (0)
通算 170 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、富山県高岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。

来歴

元日本代表FW柳沢敦は高校の2期後輩にあたる。高校卒業後1994年に浦和レッドダイヤモンズに入団。しかし田北雄気・土田尚史の前に出場機会は全くなく、1998年に川崎フロンターレに期限付き移籍[1] するも浦上壮史の控えに終わる。1999年に大宮アルディージャに移籍したがここでも白井淳の控えとなり、正GKはおろか第2GKすらままならない時期が続いた。

しかし白井引退後の2002年に公式戦初出場するとその年12試合に出場して徐々に頭角を現す。2003年は川島永嗣にポジションを奪われるが、川島が名古屋グランパスエイトに移籍した2004年からは完全に正GKの座を射止め、ようやく「守護神」と呼ばれるようになった。しかし、2007年の途中から故障もあって江角浩司にポジションを奪われ、2008年には出場機会なしに終わった。2009年、かつての同僚高木貴弘と入れ替わる形でJ2に降格し新体制でスタートするコンサドーレ札幌に移籍した。

札幌では不安定なプレーが目立った佐藤優也に代わって途中から正GKを務めて30試合に出場しまずまずのプレーを披露したが、チームの不調や自身の故障もあって終盤戦は高原寿康にその座を譲った。11月28日に石井謙伍、中山元気らと共に戦力外通告を受け、2010年よりヴァンフォーレ甲府に移籍。甲府では主に荻晃太の控えを務めるが、2010年の終盤戦は荻がヘルニアで離脱したこともあり代役を務め、安定したプレーを披露した。J1に昇格した2011年も荻が故障離脱した時期などもあって13試合に出場したがチームはJ2に降格した。

2011年限りで現役を引退。2012年より、古巣大宮でU-12コーチを務める。

所属クラブ

ユース
プロ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994浦和-J00000000
199500-0000
199600000000
19973100000000
1998川崎29旧JFL00000000
1999大宮21J200000000
200000000000
200100000000
2002120-00120
20032000-0000
2004270-20290
2005J13107020400
20063104020370
200711703000200
200800300030
2009札幌16J2300-00300
2010甲府2190-20110
2011J11301010150
通算日本J1 920180501150
日本J2 7800040820
日本旧JFL 00000000
総通算 1700180901970

指導歴

出典

  1. ↑ 『川崎フロンターレがGK・荒谷選手を獲得(期限付き移籍)』(プレスリリース)川崎フロンターレ、1998年2月26日。オリジナルの2000年6月13日時点におけるアーカイブ。2017年11月2日閲覧。

関連項目

外部リンク