輞川荘

輞川荘(もうせんそう)は[† 1]、長安の東南約50キロ、輞水[† 2]に沿った輞谷[† 3]の扇状盆地にあった[1][† 4]、王維の別荘。『輞川集』をはじめ多くの輞川諸詠を王維がここで賦し[1]、また王維が描き後世さかんに模写された『輞川図』の題材となったことで知られる[3]。
輞水は終南山から渭水に注ぐ灞水(灞河)の支流であり、その川沿いの平地は「輞川」と呼ばれ[1]「山水勝絶」と評される風光明媚の地として[1]他にも多くの長安貴族が別荘を構えていた[4][† 5]。王維の輞川荘は欹湖(いこ)と呼ばれる湖水を中ほどに持つ広大な敷地を持ち[1]、『輞川集』で詠じられた数々の景勝地や建物が、輞水の河道およびその山沿いの傾斜地約10キロにわたって配置され[1]、北坨[† 6]・孟城[† 7]を中心に、山景区・湖景区・花木区が交錯するようにあったようである[1]。
ここはかつて宋之問(712年没)の別荘(藍田山荘)だった[1]。 若い頃は地方への左遷を繰り返した王維だが、738年に長安へ戻ってからは詩・絵画・音楽の才能もあって身分は安定し[5]、遅くとも744年頃(44歳頃)にここを取得して[6][† 8]、ながらく主不在で荒れきっていた敷地に手を入れて整備し[7]、756年(56歳頃)に安禄山に捕らえられるまでの間、公務の合間の休養と遊楽の場とした[1][† 9]。
輞川荘は中央官僚である王維にとって半官半隠の別荘であると同時に[1]、 小作人を使い[8]ある程度の規模で農業生産活動を行なう荘園的な土地でもあり[1]、また『輞川集』にあるように様々な景観や建物をしつらえ楽しめるようにしたのは、禅宗(北宗)に篤く帰依し質素に暮らす老母の慰みとする意図もあったようである[9][† 10]。王維が滞在する時は基本的に面会を謝絶し[8]、招くにしても盧象、裴迪、崔興宗など[1]ごく少数の親しい友人のみとし[8]、舟遊び、琴、詩作、画作、仏道に勤しんだ[1]。特に、15歳ほど年下の裴迪との親交は深く[2]、裴迪が輞川荘の近くに山居を構えていたことが王維の詩からうかがえる[2]。
美しく変化に富んだ輞川荘の景観は、詩としては王維の多くの山水・田園詩に結実して後世の彼の評価を決定づけ[6]、画としては王維の『輞川図』となり多くの画人が模写するところとなった[6][† 11]。
安史の乱の後、王維は陥賊官となった重罪を弟の王縉らの助力でかろうじて免れ、輞川荘に引きこもったが[1]、そこで悠々自適に過ごす精神的な余裕はもう無かった[8]。そして再び任官した758年に[1]輞川荘を亡母のため喜捨し[6]、母が仏道に勤しんだ草堂を[8]清源寺(後の鹿苑寺)とした[1]。寺の壁には王維による『輞川図』が勇壮な筆致で描かれていたという[1]。王維は761年に没すると、寺の西に葬られた[1]。
現在の西安市藍田県の南[1]、 藍田県城の南約17キロにある三人抱えほどの大銀杏がある場所(白家坪村(はくかへいそん)付近)がかつて清源寺があった場所と伝わっており[1]、その大銀杏は王維の手植えと言われる[1]。輞川荘があった一帯は20世紀末にはミサイル工場の敷地となって一般人の立ち入りは制限されていたが[10]、1999年頃に特別に許可を得て立ち入った石川忠久によると、川筋が変わって枯れた川のあとが畑になるなどかなり人の手が入っているものの、「ある程度当時をしのぶ」ことはできたという[10]。
脚注
注釈
- ↑ 輞川別業(もうせんべつぎょう)とも呼ばれた[1]。
- ↑ 輞峪水(もうこくすい)、輞渓(もうけい)とも[1]。現在の輞峪河[1]。
- ↑ もうこく、秦嶺山脈東の北麓[1]。
- ↑ 「輞」は車輪の外に嵌めるタガを意味し、川面の渦巻く紋様がこれに似ることから名づけられたという[2]。
- ↑ 長安からの距離としては、早朝に車馬で出発すれば夕方には到着できるほどの位置[2]。
- ↑ 現在の閻家村付近[1]。
- ↑ 現在の官上村付近[1]。
- ↑ 先輩の大詩人の宅という所縁も王維の念頭にあったであろう[7]。
- ↑ 王維は輞川荘とは別に、741年から743年にかけて「終南の別業」と称する別荘も持ち、やはり半官半隠の生活の場としていた[1]。
- ↑ 王維の母が師事した大照禅師(普寂)は神秀の弟子だった[9]。
- ↑ 『輞川図』のオリジナルは失われている[6]。
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 植木久行, 宇野直人, 松原朗 著、松浦友久 編『漢詩の事典』大修館書店、1999年、337-340頁。ISBN 9784469032093。
- 1 2 3 4 田部井文雄『中国自然詩の系譜: 詩経から唐詩まで』大修館書店、1995年、483-502頁。ISBN 978-4469231229。
- ↑ 井波律子『中国名詩集』岩波書店、2010年、254-255頁。ISBN 978-4000238687。
- ↑ 渡部英喜『漢詩百人一首』新潮社〈新潮選書〉、1995年、29-30頁。ISBN 978-4106004766。
- ↑ 宇野直人, 江原正士『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』平凡社、2010年、312-317頁。ISBN 978-4582834888。
- 1 2 3 4 5 二宮美那子, 好川聡『王維・孟浩然』明治書院〈新釈漢文大系 詩人編3〉、2020年、164-166頁。ISBN 9784625673283。
- 1 2 石川忠久, 中西進『石川忠久・中西進の漢詩歓談』大修館書店、2004年、212-224頁。ISBN 978-4469232301。
- 1 2 3 4 5 伊藤正文 編『王維 ― 審美詩人』集英社〈中国の詩人 ― その詩と生涯 5〉、1983年、199-203頁。ISBN 978-4081270057。
- 1 2 小林太市郎, 原田憲雄『王維』 10巻、集英社〈漢詩大系〉、1964年、304-310頁。
- 1 2 石川忠久『漢詩の講義』大修館書店、2002年、51-54頁。ISBN 978-4469232226。