追分機関区(おいわけきかんく)は、かつて北海道勇払郡追分町(現・安平町)にあった日本国有鉄道(国鉄)の車両基地(機関区)である。ここでは後身にあたる乗務員基地の追分運転区についても説明する。

概要

1975年9月の追分駅と周囲1.5km範囲。駅裏北側に追分機関区がある。機関区の大きな扇形車庫は、この写真撮影の約7ヶ月後に焼失した。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
追分駅構内には機関区跡地の空き地が残る。(画像左手側、2013年撮影)

1892年(明治25年)の北海道炭礦鉄道の岩見沢駅 - 室蘭駅(初代)間開業と同時に、追分駅構内に「追分機関庫」が設置された。国有化ののち、1936年(昭和11年)に「追分機関区」に改称した。

追分は室蘭本線と夕張線(現・石勝線)の合流点にあり、古くから石炭輸送の大動脈の要衝であった。SLブーム以降は、形態のバラエティーに富んだ9600形に加え、ギースル・エジェクタ付きのD51形が集中配置されていたこと、単機での1000トン超え貨物列車の運用が多数あったこと、また、国鉄最後の蒸気機関車の「クラ」(車庫)となったことなどから、鉄道ファンの人気を集めた。

一方で、国鉄の動力近代化計画に抵抗する国鉄労働組合(国労)・国鉄動力車労働組合(動労)らの一大拠点ともなり、特に同計画により失職が予想された機関助士らが中心となり、1970年代前半には激しい労働紛争が常態化していた。実際それらの紛争が影響して、蒸気機関車の最終運転がいつでどの機関車が担当するのか、直前になるまで不明だったという[1]。

D51形は1975年(昭和50年)12月24日、9600形は1976年(昭和51年)3月2日を最後に引退し、保存対象として扇形機関庫に入れられ手厚く保管されていたが、同年4月13日に火災が発生、後継として新製配置なったばかりの8両のディーゼル機関車、5両の蒸気機関車(D51形4両、9600形1両)もろとも被災した[2]。しかし保存対象外だった機関車が数両残り、「安平町鉄道資料館」に保存されている。

その後、機関区には機関車の配置がなくなり「追分運転区」に改称し、運転拠点として残ったが、1992年(平成4年)には運転士が追分駅に編入、さらに、2005年(平成17年)には岩見沢運転所へ再編入され、ついに運転拠点としての使命も終えた。

機関区時代の配置車両

1976年4月13日の被災により焼失した車両

配置車両に表示されていた略号

沿革

脚注

  1. ↑ 蒸気機関車終焉の地・追分、復活の地・新金谷【エッセイ】 - 鉄道チャンネル・2020年12月24日
  2. ↑ SLなど13両焼く 追分機関区『朝日新聞』1976年4月14日朝刊、13版、23面

関連項目

座標: 北緯42度52分30.4秒 東経141度48分30.6秒 / 北緯42.875111度 東経141.808500度 / 42.875111; 141.808500

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