錦織神社

本殿(中央)と摂社(両側)
所在地 大阪府富田林市宮甲田町9-46
位置 北緯34度29分43.2秒 東経135度35分19.2秒 / 北緯34.495333度 東経135.588667度 / 34.495333; 135.588667 (錦織神社)座標: 北緯34度29分43.2秒 東経135度35分19.2秒 / 北緯34.495333度 東経135.588667度 / 34.495333; 135.588667 (錦織神社)
主祭神 建速素戔嗚命
品陀別命
菅原道真
社格等 旧郷社
創建 不詳(平安時代中期か)
本殿の様式 錦織造
例祭 秋期大祭(10月第2土曜日)
地図
錦織神社の位置(大阪府内)
錦織神社
錦織神社
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本殿(重要文化財)

錦織神社(にしこおりじんじゃ)は、大阪府富田林市宮甲田町にある神社。旧社格は郷社。地元では錦織を「にしこり」「にしこおり」「にしごり」等と呼んでいる。当社は建水分神社(上水分社、千早赤阪村)、美具久留御魂神社(下水分社、富田林市)とともに「河内国の三水分(みくまり)社」と呼ばれている。

祭神

歴史

当社のある地域は、太古は「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたようで、織物の技術を持つ人々が百済より渡来し住みついていた場所とされている。当社はそもそもの名称を水郡(にごり)神社といい、錦部部(錦部氏)の氏神であった。

創建年代は不明であるが、1935年(昭和10年)の本殿修理の際に地中から平安時代中期の丸瓦・平瓦が発見され、その頃かそれ以前に創建されたと推定されている[1]。また、爾吾利天王(にごりてんのう)、水郡天王宮とも呼ばれていた。平安時代には神宮寺として金輪寺が建立され、神仏習合が行われていた。

当社は大和川支流である石川の谷に位置することから、千早赤阪村の建水分神社や富田林市宮町にある美具久留御魂神社とともに、古くから河内国の三水分(みくまり)社として広く信仰を集めていた[2]。

重要文化財である本殿は、正平18年(1363年)に三善貞行によって再建されたものである。

明治時代になると神仏分離、廃仏毀釈が行われて神宮寺の金輪寺が廃寺となった。

1872年(明治5年)に郷社に列せられている。1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進社に指定された際に錦織神社に改称している[1]。

境内

参道前の鳥居
(この写真の左側に川西小学校の門がある)

川西小学校の門の横に大石鳥居があり、そこから約150メートルの長い参道が続いている[2]。長い参道はかつて流鏑馬が行われており馬場先と呼ばれていた[2]。

摂末社

摂社

末社

文化財

重要文化財

例祭

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

出典

外部リンク

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