| 鏡川 | |
|---|---|
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鏡川大橋、奥に河口 | |
| 水系 | 二級水系 鏡川 |
| 種別 | 二級河川 |
| 延長 | 31 km |
| 平均流量 | -- m3/s |
| 流域面積 | 170 km2 |
| 水源 | 細薮山(高知市)他 |
| 水源の標高 | 530.7 m |
| 河口・合流先 | 土佐湾 |
| 流域 | 高知県高知市 |

鏡川(かがみがわ)は、高知県高知市を流れる河川。二級水系である鏡川水系の本流で、二級河川に指定されている。
小惑星(4256) Kagamigawaは鏡川にちなんで命名された[1]。
上流部のいくつかの河川の水を集めたのち、唯一のダムである鏡ダム(鏡(旧土佐郡鏡村))に貯水される。そして山間部を抜け、高知平野に入る。この中流域では同じく高知平野を流れる江ノ口川への分流が行われている。その後、高知市街地を東西に横切り浦戸湾(土佐湾の支湾)に注ぐ。河口部分には小島(丸山台)が浮かんでいる。
高知市中心部を流れる川でありながら水質は比較的良好であり、夏場の中流域は川遊びや遊泳を楽しむ人の姿が見られる。
高知県の他の河川同様、河川の長さに比べ上流・下流の標高差が大きいため、頻繁に洪水・渇水が発生する。近年では、昭和51年(1976年)に大雨で堤防が決壊し、大きな被害を出している。渇水対策として、吉野川水系の早明浦ダム上流から、導水トンネルなどにより鏡ダム上流へ導水が行われている(「高知分水」)。
鏡川の源流点には、いくつかの説がある。七ツ淵以外は高知市土佐山。
丸山台は鏡川河口にある東西約6m、南北約15mの小島である[2]。丸山台には明治時代に此君亭という料亭があり、自由民権運動の運動家たちが集まる場所になっていた[2]。1883年(明治16年)にヨーロッパ視察を終えた板垣退助を迎えるため3000人が集まったとされ「帰朝歓迎碑」が建立されている[2]。
元々は「潮江(うしおえ)川」と呼ばれる川であった。
古代より土佐国の中心地は高知市北東部であり、現在の中心部は潮江川のはん濫もあってデルタ地帯の湿原で、開拓が困難であった。戦国大名の長宗我部元親により築城が試みられるが、水はけの悪さのため3年で断念する。
土佐藩初代藩主山内一豊により鏡川と北部の江ノ口川を外堀に利用した城(のちの高知城)の建設と城下町整備が始まり、治水工事が行われる。城は慶長8年(1603年)に本丸と二の丸が完成し、両川にちなみ河中山(こうちやま)城と名付けられた。しかし鏡川が度重なるはん濫を起こしたため、2代藩主忠義は河中の名を忌み嫌い、高智山城と改名した。後に城の名は省略されて高知城、城下町は高知と呼ばれるようになる。
5代藩主山内豊房の代で、清流がたたえられ、『我が影を映すこと鏡の如し』として「鏡川」と名付けられた。同時に同じ土佐国内にある「鏡川」と呼ばれる川は「物部川」と改名された[3]。
坂本龍馬が幼少時、「雨に降られるのも川で泳ぐのもどうせ濡れるから一緒だ」として雨の中鏡川で水練したという話が有名で、「龍馬も泳いだ鏡川」と紹介されることもある。
以下、下流方向へ。
鏡ダムから下流方向へ。
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