阿部正鎮

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
阿部 正鎮
時代 江戸時代中期
生誕 元禄12年11月18日(1700年1月7日)
死没 宝暦元年11月4日(1751年12月21日)
改名 清八郎(幼名)、正鎮
別名 正良(別名)
戒名 了義院即峯玄性大居士
墓所 東京都台東区西浅草の東光院
官位 従五位下、民部少輔、因幡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣→家継→吉宗→家重
藩 三河国刈谷藩主→上総国佐貫藩主
氏族 阿部氏
父母 父:阿部正春、母:烏丸資慶の娘・深達院
兄弟 正鎮、正長
妻 正室:栄久院(松平乗紀の娘)
子 徳相院(阿部正興正室)、娘(森川氏寿室)、
娘(戸田光邦正室)、正賀
養子:正興
テンプレートを表示

阿部 正鎮(あべ まさたね)は、三河刈谷藩の第2代藩主、後に上総佐貫藩の初代藩主。佐貫藩阿部家2代。

生涯

元禄12年11月18日(1700年)、阿部正春(当時は上総大多喜藩主)の六男として生まれる。兄たちが早世したために世子となり、宝永6年(1709年)4月に家督を継いで刈谷藩主となる。宝永7年(1710年)5月25日、刈谷藩から佐貫藩に移封され、正徳3年(1713年)3月に従五位下・民部少輔に叙任される。

正徳4年(1714年)4月、弟の阿部正長に2000俵を分与した。正徳5年(1715年)5月に因幡守に遷任する。享保9年(1724年)に大坂加番に任じられた。宝暦元年(1751年)11月4日に死去した。享年53。跡を養子の正興が継いだ。

系譜

父母

正室

子女

養子