香本(こうほん)は、かつて存在したと考えられる『源氏物語』の写本である。
平瀬本や大島河内本といった鎌倉時代に書写されたいくつかの『源氏物語』の写本の奥書・注記や、『異本紫明抄』や『仙源抄』といった鎌倉時代から室町時代にかけて成立したいくつかの注釈書において言及されている写本であり、源親行ら河内方が河内本を作るに当たって校合の対象とした21の写本の一つであると考えられる。『仙源抄』において「香本 左京権大夫香表紙本也」とされていることから、香本の「香」とは青表紙本(=定家本)や黄表紙本(堀川左大臣俊房本)などと同じく写本の表紙が「香色」(=香ぞめの黄ばんだうす赤い色)であることを意味する命名であると思われる。
「香本」なる名称は以下のような文献に現れる[1]。
とある「高本」について、「香本」と同じ本を指すのではないかとの見解も存在している。
各種文献に見える「香本」の本文を現存するさまざまな写本の本文と比較してみるとは、以下のように青表紙本に近い場合や青表紙本とも河内本とも言い難い場合などがあり、現在の本文系統の区分にあてはめると「別本」に属する本文であるということが出来る本文である。
『光源氏物語抄』紅梅巻冒頭には、「香本にはためかはこうはい」とあり、香本ではこの両巻の巻序が現在一般的な紅梅→竹河ではなく逆の竹河→紅梅となっていたとされる。 このような竹河→紅梅とする巻序を残す文献としては
といったものがあり、いずれも鎌倉時代に原型が成立したと見られるものであり、この時代に竹河→紅梅とする巻序が一定の勢力を持っていたことをうかがわせるものである。
『仙源抄』において「香本」について「左京権大夫香表紙本也」と注記されていることについて、池田亀鑑は「左京権大夫」なる人物の所持本であることを意味するのだろうとした。池田利夫はこの「左京権大夫」は、藤原信実の子藤原為継(1206年 - 1265年)であろうとした[8]が、寺本直彦はこの「左京権大夫」について藤原為継である可能性を認めつつも、為継と同じく左京権大夫であった為継の父藤原信実である可能性の方が高いのではないかとしている[9]。さらに寺本は、藤原為継とその父藤原信実が八条院に近い立場にあったことと竹河→紅梅となっている「香本」の巻序が平安時代末期の歌人藤原資隆が八条院のために著したとされている故実書『簾中抄』の異本の一つ「白造紙」等に見られる巻序と同じであること[10]などから、八条院の周辺に竹河→紅梅という巻序を持った伝本群が存在した可能性を想定している[11]。
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