高 済(こう さい、? - 569年)は、中国の北斉の皇族。博陵文簡王。高歓の十二男[1][2][3]。母は婁昭君[4][5][6]。

経歴

天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高済は博陵王に封ぜられた[7][8][9]。高済が文宣帝の巡幸に従ったことがあったが、道中で母の婁太后のことが恋しくなり、逃げ帰ったことがあった。文宣帝が怒って白刃をつきつけると、高済は驚きのあまり魂の抜けたようになった[1][2][3]。太寧元年(561年)11月、太尉の位にのぼった[10][11][12]。河清元年(562年)、定州刺史として出向した。天統5年(569年)1月[13][14][15]、定州の人に反乱の計画を諮問した。後主がこのことを聞くと、ひそかに人を派遣して高済を殺させた。仮黄鉞・太尉・録尚書事の位を追贈された[16][2][3]。

子の高智が後を嗣いだ[16][17][3]。

脚注

  1. 1 2 氣賀澤 2021, p. 167.
  2. 1 2 3 北斉書 1972, p. 139.
  3. 1 2 3 4 北史 1974, p. 1867.
  4. ↑ 氣賀澤 2021, p. 155.
  5. ↑ 北斉書 1972, p. 131.
  6. ↑ 北史 1974, p. 1859.
  7. ↑ 氣賀澤 2021, p. 79.
  8. ↑ 北斉書 1972, p. 52.
  9. ↑ 北史 1974, p. 246.
  10. ↑ 氣賀澤 2021, p. 117.
  11. ↑ 北斉書 1972, p. 90.
  12. ↑ 北史 1974, p. 282.
  13. ↑ 氣賀澤 2021, p. 129.
  14. ↑ 北斉書 1972, p. 102.
  15. ↑ 北史 1974, p. 291.
  16. 1 2 氣賀澤 2021, p. 168.
  17. ↑ 北斉書 1972, p. 138.

伝記資料

参考文献

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