鮮于(せんう)は、漢姓の一つ。朝鮮・中国では珍しい二字姓である。
| 鮮于 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 鮮于 |
| 簡体字: | 鲜于 |
| 拼音: | Xiānyú |
| 注音符号: | ㄒㄧㄢㄩˊ |
| ラテン字: | Hsianyu |
| 広東語発音: | Sin1jyu4 |
| 上海語発音: | Sie1yu1 |
| 台湾語白話字: | Sian-î, Sian-û |
珍しい姓である。2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位14位の複姓に入っておらず[1]、台湾の2018年の統計では860番目に多い姓で、24人がいる[2]。
| ソヌ | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 선우 |
| 漢字: | 鮮于 |
| 発音: | ソヌ |
| 日本語読み: | せんう |
| ローマ字: | Sŏnu |
| 英語表記: | Seonu ,Sunwoo, Seonwoo, Sonu, Sunoo, Sunwou, Seonwu, Sonwu |
鮮于(せんう、ソヌ、朝: 선우)は、朝鮮人の姓の一つである。朝鮮・中国では珍しい二字姓である。
本貫は太原鮮于氏が大宗である。平壌鮮于氏というのがあるともいうが詳細は不明。『太原鮮于氏世譜』によれば高麗文宗の時代に中書注書の鮮于靖が始祖である。鮮于氏は清州韓氏、幸州奇氏と共に箕子朝鮮に起源をもつ。『清州韓氏世譜』によれば箕子の第48代孫に友諒、友誠、友平の3兄弟がおり、それぞれ鮮于氏、箕(奇)氏、韓氏の祖先となった。または、箕子が箕子朝鮮を立てた後、長男・松を荘恵王に封じて、次男・仲を于山国に封じてその子孫が朝鮮の鮮と于山国の于を取って、姓とし、箕子の出身地中国山西省太原市を貫郷とした。いずれにしろ、始祖を鮮于靖、中始祖鮮于浹とし、現在に続いている。李氏朝鮮時代に4人の文科及第者を輩出した。
| 氏族(地域) | 創始者 | 人数(2015年)[4] |
|---|---|---|
| 金安鮮于氏 | 9 | |
| 岐原鮮于氏 | 9 | |
| 大元鮮于氏 | 57 | |
| 水原鮮于氏 | 8 | |
| 安城鮮于氏 | 12 | |
| 定州鮮于氏 | 5 | |
| 清州鮮于氏 | 10 | |
| 忠州鮮于氏 | 16 | |
| 太原鮮于氏 | 箕子朝鮮に起源をもつ、高麗文宗時代の鮮于靖 | 3,329 |
| 太宗鮮于氏 | 16 | |
| 太川鮮于氏 | 25 | |
| 太村鮮于氏 | 6 | |
| 太平鮮于氏 | 15 |
1930年度、日本統治下で行われた国勢調査によれば当時1226所帯中770世帯が平安北道に、258世帯が平安南道に分布していた。現在韓国地域に住む(下記の表参照)鮮于氏は大多数が関西地方(関西とは平安道、黄海道)から南下して来た人々である。朝鮮戦争前後に共産主義に反対し、逃れてきた人も多い。
| 年度 | 人口 | 世帯数 | 順位 | 割合 |
|---|---|---|---|---|
| 1960年 | ||||
| 1985年 | 756世帯 | 274姓中131位 | ||
| 2000年 | 3,560人 | |||
| 2015年 | 3,588人[4] |
未登録
IPFS未登録
📡 0ピア
N=1
CRITICAL
PQS C45