黒田慶太郎

ウィキペディアから、無料の百科事典

黒田 慶太郎(くろだ けいたろう、明治15年(1882年)2月 - 没年不明)は、日本の実業家。中国にあった日系紡績会社、上海紡織(シャンボウ)の代表取締役会長として戦前の上海に暮らした[1]。

明仁上皇の女婿・黒田慶樹の祖父。

経歴

大阪府堺市出身。黒田吉三郎の長男[2]。

明治37年(1904年)東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業[3]。三井物産会社勤務を経て上海紡織に転じる[3]。

終戦と同時に上海紡織はなくなり、黒田一家は日本へ引き揚げた[1]。

人物像

黒田について『第五版 財界人物選集』(1939年、560頁)には、「在華紡織界の指導的人材として知らる」とある。

家族・親族

黒田家

(大阪府堺市、東京都)

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 『文藝春秋』(2005年、新年特別号)98頁
  2. ↑ 『財界人物選集』(1939年、560頁)より。
  3. 1 2 3 4 『人事興信録. 13版』(昭和16年)上ク七六

参考文献

  • 『第五版 財界人物選集』(1939年、560頁)
  • 『文藝春秋』(2005年、新年特別号、94-103頁)