堺市

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さかいし ウィキデータを編集
堺市
堺市旗 堺市章
堺市旗 堺市章
1895年6月17日制定
国 日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
市町村コード 27140-3
法人番号 3000020271403 ウィキデータを編集
面積 149.83km2
総人口 799,575人 [編集]
(推計人口、2026年9月1日)
人口密度 5,337人/km2
隣接自治体 大阪市、松原市、羽曳野市、富田林市、大阪狭山市、河内長野市、和泉市、高石市
市の木 柳
市の花 ハナショウブ
市の花木
市の鳥
ツツジ
モズ
堺市役所
市長 永藤英機
所在地

〒590-0078
大阪府堺市堺区南瓦町3番1号
北緯34度34分24秒 東経135度28分59秒 / 北緯34.57333度 東経135.483度 / 34.57333; 135.483座標: 北緯34度34分24秒 東経135度28分59秒 / 北緯34.57333度 東経135.483度 / 34.57333; 135.483
堺市役所

市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

堺市位置図

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村

堺市行政区画図
ウィキプロジェクト

堺市(さかいし)は、大阪府泉北地域にある政令指定都市。府内では大阪市に次いで人口・面積ともに第2位の都市で、人口1人当たりの製造品出荷額等は政令指定都市で第1位である。1889年(明治22年)4月1日、大阪市とともに全国で初めて市制を施行した31市の一つとなった。

概要

堺市は、日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳を含む世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を有する歴史都市として知られる[1]。

政令指定都市の中では、川崎市に次いで2番目に面積が小さい都市である[2]。人口は2025年10月1日時点で、山梨県、佐賀県、福井県、徳島県、高知県、島根県、鳥取県を上回る一方、東京都世田谷区を下回る。大阪市の衛星都市(ベッドタウン)としての性格を持ち、居住人口に比べて昼間人口の割合(昼夜間人口比率)は低く[3]、大阪都市圏の一部に組み込まれている。また、阪神工業地帯の中核都市であり、2022年の製造品出荷額では大阪市や神戸市を上回り、近畿地方で最多だった。2024年の統計では大阪市に抜かれて第2位となったものの、現在も全国有数の工業都市である[4]。

大阪府による地域区分では泉北地域とされる。市制施行時の旧堺市域や南河内郡の旧郡域など、歴史的に泉北郡ではなかった地域も含まれるため、他の泉北地域3市1町(泉大津市、和泉市、高石市、忠岡町)とは区別して「堺・泉北」のように併記されることがある。

市名の由来

「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国と和泉国の「境(さかい)」に位置したことによると言われている[5]。「境」「左海」などとも表記された[注 1]。

鎌倉時代以降、堺は港町として発展した。室町時代から戦国時代にかけては、博多(現・福岡市博多区)や平野郷(現・大阪市平野区)と並ぶ自治都市・環濠都市として栄え(詳しくは「堺」も参照)[6]、南蛮貿易の拠点として繁栄した。江戸時代に幕府の直轄地となると、堺奉行が置かれた。町割りも再編され、摂津国と和泉国の国境にあたる東西の幹線道路「大小路」が整備された。宝永年間には大和川の付け替えが行われたが、大小路は1870年まで摂津国[注 2]と和泉国の国境としての役割を果たした。

1889年の市制施行により堺市が発足した。その後、市域の拡大を経て、現在は和泉国と河内国にまたがる市域を有する。

「堺町」のある都市

町丁(町名)の「堺町」は、境界を意味する「堺」に由来する例が多いとされるが、堺商人の移住が由来とされるケースもあり、現存する町名では大和郡山市堺町、広島市中区堺町、高知市堺町などがその例として挙げられる。

また、堺に通じることなどを由来とする街路名もあり、大阪市中心部の堺筋のほか、同市の平野や富田林にも堺筋が存在する。

地理

堺市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。

大阪平野南部の大和川左岸下流域に位置する。西は大阪湾に面し、北は大阪市、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、南東は大阪狭山市、河内長野市、南は和泉市、南西は高石市に接する。市内は7つの行政区に分かれ、北西部に堺区、東端部に美原区が位置し、それ以外の5区(中区、東区、西区、南区、北区)は方位を名称としている。

地形

市域は丘陵、台地、低地および埋立地からなる。泉北丘陵に堺市最高点(標高268.9m)がある。三国ヶ丘台地には日本最大の前方後円墳である大仙陵古墳(大山古墳、標高44m)が位置する。低地には築山(堺台場跡)の蘇鉄山(標高6.97m)がある。

丘陵

  • 泉北丘陵(市内最高点:標高268.9m)
  • 信太山丘陵
  • 南部丘陵
  • 陶器山丘陵

台地

  • 三国ヶ丘台地(上町台地の南方延長部、大仙陵古墳が立地)
  • 美原台地

低地

埋立地

河川

湖沼

湾岸

地域

市内の地名

行政区

(1) 堺区(2) 北区
(3) 西区(4) 中区(5) 東区(6) 美原区
(7) 南区

次の7区が設置されている。詳細は各区の記事を参照。

コード 区名 人口
(人)[注 5]
面積
(km2)
人口密度
(人/km2)
(1) 27141-1 堺区 150,632 23.66 6,367
(2) 27146-2 北区 157,020 15.60 10,065
(3) 27144-6 西区 131,763 28.62 4,604
(4) 27142-0 中区 114,810 17.88 6,421
(5) 27143-8 東区 83,722 10.49 7,981
(6) 27147-1 美原区 35,728 13.20 2,707
(7) 27145-4 南区 125,900 40.39 3,117

西部(堺区・西区)

沖積平野が広がり、おおむね平坦である。海岸線を南北に通る紀州街道(国道26号~大阪府道204号)と熊野街道(小栗街道、大阪府道30号)に沿って早くから市街化している。元来の市街地である堺区の環濠内は紀州街道を大道と称して南北幹線としており、西区の中心となる鳳は熊野街道に沿う大鳥大社の鳥居前町として発展した。鉄道も概ね両街道に沿って、南海本線、阪堺線、阪和線が通っている。これらのほか、環濠内の市街地から東へ長尾街道(大阪府道12号)と竹内街道(大阪府道31号)、南東へ西高野街道(国道310号)が伸び、鉄道では南海高野線が西高野街道に沿って通っている。

おおむね熊野街道の東側は三国ヶ丘台地と呼ばれる高台が広がり、閑静な住宅地が多い。上野芝駅に近い堺区の霞ヶ丘や西区の向ヶ丘といったやや規模の大きい住宅地は、阪和線の前身である阪和電気鉄道により昭和初期に分譲された。また、この台地一帯から北区にかけては百舌鳥古墳群が分布している。沿岸部は旧堺港南側の大浜海岸をはじめとして、かつては一大海浜リゾート地で知られ、西区の浜寺には高級住宅街も形成された。しかし、堺泉北臨海工業地帯の造成によって石津川以北の海浜景観の大部分は失われ、以南の浜寺水路と浜寺公園の松林にその面影が残されている。

中南部(中区・南区)

信太山丘陵から南へ泉北丘陵が広がり、石津川水系の河川に沿って古くからの集落が見られる。交通網の整備が比較的遅れ、大阪市中心部からも離れていたため、市街化は比較的緩やかであったが、泉北ニュータウンの開発で一変し、大阪都市圏を代表するベッドタウンとなった。鉄道は南海泉北線が縦断している。また、この地域では陶邑窯跡群に代表される須恵器の窯跡が多数発見されている。

東部(北区・東区・美原区)

西除川を境に西側の三国ヶ丘台地と東側の美原台地に分かれ、東除川の東側には富田林丘陵が広がる。西除川と東除川はどちらも狭山池の放水路で、大和川水系に属する河川である。北区の五箇荘・百舌鳥地区を除き、大半が南河内郡の旧郡域にあたる。

東区では、昭和初期から南海鉄道(現・南海電気鉄道)の分譲による初芝住宅や、街の中央に噴水ロータリーを設けた大美野田園都市が造成された。北区は戦後、金岡団地や新金岡団地、中百舌鳥公園団地などの開発で急速に市街化した。1987年には大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸され、現在では南海高野線・泉北線との交通結節点として、多くの利用者を集めている。また、美原区周辺は河内鋳物師ゆかりの地としても知られている。現在では、いずれの区も大阪市のベッドタウンとしての性格が強い地域となっている。

新興住宅地

人口

2010年頃をピークに、人口減少傾向が続いている[7] 。

堺市と全国の年齢別人口分布(2005年) 堺市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 堺市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
堺市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 616,558人
1975年(昭和50年) 777,009人
1980年(昭和55年) 839,421人
1985年(昭和60年) 852,864人
1990年(平成2年) 844,899人
1995年(平成7年) 840,384人
2000年(平成12年) 829,636人
2005年(平成17年) 830,966人
2010年(平成22年) 841,966人
2015年(平成27年) 839,310人
2020年(令和2年) 826,161人
2025年(令和7年) 802,648人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体・行政区

気候

ケッペンの気候区分によると、堺市は温暖湿潤気候(Cfa)に属する。

年平均気温は16.5℃である。平年値では猛暑日が18.1日、真夏日が75.6日、夏日が143.6日、熱帯夜が22.6日、真冬日が0.0日、冬日が20.1日となっている[8]。

年平均降水量は1232.9mmである。

年平均日照時間は2041.4時間である。

極値[9] 観測値 観測年月日
日最高気温 39.7℃ 2018年8月22日
日最低気温 -5.3℃ 1981年2月28日、1983年2月14日
堺(堺市堺区百舌鳥夕雲町(大仙公園)、標高20m)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F) 19.1
(66.4)
23.9
(75)
27.0
(80.6)
30.2
(86.4)
33.0
(91.4)
36.3
(97.3)
38.3
(100.9)
39.7
(103.5)
37.3
(99.1)
32.7
(90.9)
28.6
(83.5)
25.5
(77.9)
39.7
(103.5)
平均最高気温 °C (°F) 9.6
(49.3)
10.5
(50.9)
14.3
(57.7)
20.0
(68)
24.9
(76.8)
28.1
(82.6)
32.0
(89.6)
33.9
(93)
29.6
(85.3)
23.6
(74.5)
17.8
(64)
12.3
(54.1)
21.4
(70.5)
日平均気温 °C (°F) 5.6
(42.1)
6.0
(42.8)
9.3
(48.7)
14.6
(58.3)
19.4
(66.9)
23.1
(73.6)
27.2
(81)
28.6
(83.5)
24.6
(76.3)
18.6
(65.5)
12.9
(55.2)
7.9
(46.2)
16.5
(61.7)
平均最低気温 °C (°F) 1.6
(34.9)
1.7
(35.1)
4.5
(40.1)
9.3
(48.7)
14.4
(57.9)
19.1
(66.4)
23.4
(74.1)
24.5
(76.1)
20.6
(69.1)
14.3
(57.7)
8.4
(47.1)
3.9
(39)
12.1
(53.8)
最低気温記録 °C (°F) −5.0
(23)
−5.3
(22.5)
−3.3
(26.1)
−1.1
(30)
4.1
(39.4)
9.1
(48.4)
15.5
(59.9)
16.6
(61.9)
9.7
(49.5)
2.7
(36.9)
−0.9
(30.4)
−3.4
(25.9)
−5.3
(22.5)
降水量 mm (inch) 48.3
(1.902)
57.8
(2.276)
97.8
(3.85)
92.2
(3.63)
126.7
(4.988)
164.1
(6.461)
154.2
(6.071)
87.3
(3.437)
139.0
(5.472)
139.3
(5.484)
74.6
(2.937)
51.9
(2.043)
1,232.9
(48.539)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.4 6.9 9.5 9.3 9.6 11.8 10.3 6.6 10.0 8.9 6.8 6.6 102.6
平均月間日照時間 138.3 138.7 173.5 194.6 206.9 160.6 190.6 228.6 160.4 163.0 147.5 138.7 2,041.4
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年[10]、極値:1977年 - 現在[11])

歴史

古代

大仙陵古墳

先史時代

現在の堺市域には旧石器時代から人々が生活していたことが確認されている。南花田遺跡など市内各地の遺跡からは旧石器時代の打製石器や縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は、池上曽根遺跡(和泉市、泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、市内では最大規模を誇る[12][注 6]。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴建物跡を中心とする集落跡や土器・金属器などが出土している。

古墳時代(ヤマト王権の拠点地域)

古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。その生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺から信太山丘陵にかけて須恵器の窯跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在も残っている。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)をはじめとする100基を超える古墳が造られた。また、『日本書紀』によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途に七道浜[注 7]に立ち寄り、地元豪族の田裳見宿禰に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るよう命じたとされ、住吉大社の起源とされている。

飛鳥時代・奈良時代(交通網の整備)

飛鳥時代になると、難波津や難波宮を起点として、聖徳太子ゆかりの仏教寺院である四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道や、後に竹内街道へ発展した難波と飛鳥を東西に結ぶ丹比道、長尾街道の前身となる大津道が整備される。奈良時代から室町時代にかけては、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡、東区日置荘周辺に河内鋳物師と呼ばれる人々が多く居住し、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。また、大野寺は行基によって創建されたと伝わる。

平安時代(熊野詣の隆盛)

平安時代には熊野詣が盛んとなり、熊野街道(小栗街道)沿いには境王子と大鳥居王子が設置された。また、和泉国北部の交通・物流の要衝として港湾機能も発達し、中世の自治都市・堺の成立につながる基盤が形成された。

中世

南宗寺

鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)

鎌倉時代には京都、奈良など後背都市の産業を背景に、堺北荘と堺南荘が成立した。また、瀬戸内海航路の発展とともに港湾都市としての機能を強め、中世の自治都市・堺の基礎が築かれた。

南北朝時代(南朝の外港)

南北朝時代には、南朝方と関係の深かった住吉大社宮司の津守氏との結び付きから、堺は南朝の外港として機能し、廻船が発着する港湾都市へと発展した。

室町時代・戦国時代(東洋のベニス)

応仁・文明の乱以後、それまで貿易の拠点であった兵庫津(現在の神戸港西側)に代わり、堺は対明貿易の中継地としてさらに発展した。地下請などの自治的な特権を獲得し、足利将軍家や細川氏が主導した勘合貿易の拠点となった。また、琉球貿易や南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まり、国際貿易都市として繁栄した。キリスト教布教のため来日したイエズス会の宣教師、ガスパル・ヴィレラは『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と記し、その様子は当時の世界地図にも記載されるほどヨーロッパ世界にも広く知られることとなった。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもマラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告。その著書『日本史』のなかで、堺を「東洋のベニス」と記している。フロイスは永禄の変の後、しばらく堺に滞在している。

近世

鉄砲鍛冶屋敷

安土桃山時代(自治都市と繁栄)

安土桃山時代には国際貿易港として繁栄し、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成した。会合衆(えごうしゅう、かいごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世を代表する自治都市となった。堺の経済力と港湾機能を掌握するため、織田信長や豊臣秀吉らは堺を支配下に置こうとし、堺は同じ自治都市であった平野郷と同盟的関係を結んだが、最終的には織豊政権に組み込まれた。その後、自治機能は解体されて直轄地となった。 自治都市としての性格は失われたものの、堺は大阪湾岸に展開した港湾都市群の一つとして、古代の住吉津や難波津、中世の渡辺津に続く重要な港湾としての役割を担った。やがて渡辺津近くの石山本願寺跡地に大坂城が築かれ、その城下町 (船場周辺) が整備されると、平野商人や伏見(現在の京都市伏見区)商人が移住[注 8]し、堺商人の多くも大坂へ移った。これに伴い商業の中心は次第に大坂へ移行したが、堺商人は海運を背景に全国の港湾都市や城下町へ進出し、博多や大分、鹿児島など既存の港湾都市との交易を担うとともに、大坂や名古屋など各地の都市形成や商業の発展にも大きな役割を果たした。 産業面では、戦国時代から鉄砲(火縄銃)の生産が盛んに行われた。文化面では、千利休、今井宗久、津田宗及に代表される茶道文化が発展し、平野郷や今井町(現在の奈良県橿原市)など他の自治都市とも交流が盛んであった。 中世から江戸時代初期にかけての堺は豊かな経済力を有し、その商業・産業・文化は後世の日本社会に大きな影響を与えた。

江戸時代(近世都市への変容)

江戸時代初期には堺奉行が置かれ、糸割符制度などのもとで商業活動が維持された。鎖国の成立により海外貿易が縮小すると、大坂の商業都市としての地位が確立する一方で、堺の経済的地位は相対的に低下した。 1697年に堺奉行は廃止され、その職務は大坂町奉行が兼任するようになった。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。また、この開削により河口付近に多量の土砂が堆積したため、堺港に大型船が停泊できなくなり、港湾機能も縮小した。

江戸時代後期から幕末(再活性化と開港問題)

江戸時代後期になると、醸造業などの発展により堺は再び活気を取り戻した。幕末、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いことから、その代替港として堺も候補の一つに挙げられた。しかし、港湾条件や地理的利便性などが考慮され、最終的には兵庫(現在の神戸市兵庫区)が開港地に選ばれた。堺周辺に古墳が多く、外国人の立ち入りを懸念する意見があったともいわれる。この結果、堺は中世以来の国際貿易港としての地位を回復するには至らず、以後は神戸港が国際貿易の中心として発展していくことになった。

近代

旧堺燈台

明治から昭和初期(近代都市化と工業都市への発展)

明治時代以降は、紡績や煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げ、阪神工業地帯の一角を占める経済的基盤を形成した。また、1888年の堺区の設置、1889年の市制施行によって近代都市としての行政基盤が整備された。鉄道の開通や港湾整備によって大阪市との結びつきも強まり、周辺地域の人口増加と市街地の拡大が進んだ。1920年代以降は金属・機械工業も発展し、南大阪を代表する工業都市としての性格を確立した。

室戸台風による被害

1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風の接近により堺市は甚大な暴風雨被害を受けた。九間町の錦小学校では旧木造校舎が倒壊し、約150人の児童や教職員が下敷きとなって多数の死傷者が発生した[注 9]。殿馬場小学校[注 10]でも校舎が倒壊したが、死傷者は出なかった。さらに、南海本線の堺駅‐七道駅間に停車していた電車1両が強風によって転覆[13]するなど、市内各地で大きな被害が生じた。この災害は、学校建築の耐震・耐風対策や防災意識の向上を促す契機となった。

堺空襲

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)当時、日本には180の都市があり、そのうち58都市がアメリカ軍の空襲を受けた。アメリカ軍は人口規模の大きい都市を優先して空襲対象に選定し、人口約18万人の堺市は全国24位の対象都市とされた。広義の「大阪大空襲」において、着弾目標地点が設定されたのは大阪市(2位)と堺市、兵庫県尼崎市(25位)の3都市のみであった。アメリカ軍は作戦任務報告書で、堺市を空襲対象に選んだ理由として「大阪市に近接し、その工業圏と密接に結びついていること、また軍需工場労働者の住宅地としての役割を担っていること」を挙げている。しかし、実際の被害は軍需工場よりも住宅地に集中し、多数の民間人が犠牲となったことから、非戦闘員を巻き込む無差別爆撃であったとの指摘もなされている。

  • 3月13日・14日 - 第1次堺空襲(第1次大阪大空襲):B29による焼夷弾攻撃。
  • 6月15日 - 第2次堺空襲(第4次大阪大空襲):B29による焼夷弾攻撃。
  • 6月26日 - 第3次堺空襲(第5次大阪大空襲):B29による焼夷弾攻撃。
  • 7月10日 - 第4次堺大空襲(第6次大阪大空襲):B29による焼夷弾攻撃が行われ、初めて堺市が主要な着弾目標地点となった。
  • 8月10日 - 第5次堺空襲:艦載機による機銃掃射が行われた。

現代

旧環濠都市

昭和中期以降(戦後復興と政令指定都市への発展)

戦後の高度経済成長期以降は、大阪都市圏の発展・膨張とともに、泉北ニュータウンの開発に代表されるような大阪市の衛星都市(ベッドタウン)としての側面も兼ね備えるようになった。一方で、臨海部では鉄鋼・化学・機械などの重化学工業が発展し、阪神工業地帯の重要な拠点としての役割も担った。1980年代以降は産業構造の変化に伴い、製造業中心の都市から商業・サービス業を含む多様な機能を持つ都市へと移行が進んだ。2006年には美原町を編入し、同年4月に人口が80万人を超えたことで、政令指定都市へ移行した。現在は、大阪府南部の中核都市として、工業都市・住宅都市・商業都市の機能を併せ持つとともに、古墳群などの歴史文化資源を生かしたまちづくりも進められている。

町名の特徴

堺市の町名には、一般的な「○丁目」ではなく「○丁」が用いられ、「目」がつかない。これは1872年の町名改正に由来し、それまで独立していた小規模な町を「○○東一丁」「○○西一丁」などへ再編した際、「丁」に「町」と同格の行政的な意味合いを持たせたためである。その後、周辺町村との合併によって市域が拡大したが、新たに町を区分する場合も従来の慣例が踏襲され、「○丁目」は採用されなかった。このため、現在でも美原区を除く市内全域で「○丁」という独特の表記が用いられている。これは全国的にも珍しい地名表記の一つとして知られ、堺市の歴史的な特色を示している。

年表

古代

中世

近世

近代

明治
大正
昭和(戦前)

現代

昭和(戦後)
平成
令和

行政区域の変遷

政治

堺東駅南西の官公庁街

行政

市長

歴代市長
  • 区長(郡区町村編制法による官選)
    • 高山保次郎(1880年4月 - 1883年1月)
    • 一樋作兵衛(1883年1月 - 1886年8月)
    • 小向寛雄(1886年8月 - 1889年4月)
  • 市制施行後の市長(官選)
    • 一樋作兵衛(1889年4月 - 1893年8月)
    • 北田豊三郎(1893年10月 - 1896年2月)
    • 大西五一郎(1896年2月 - 1905年10月)
    • 宮本通義(1906年3月 - 1910年2月)
    • 斎藤研一(1910年11月 - 1912年12月)
    • 熊野秀之輔(1913年1月 - 1917年1月)
    • 斎藤研一(1917年6月 - 1926年11月)
    • 森本仁平(1926年12月 - 1933年1月)
  • 官選市長(内務省任命)
    • 河盛安之介(1933年4月 - 1946年5月)
    • 南治好(1946年8月 - 1947年1月)
  • 公選市長

外郭団体

  • 堺市文化振興財団(文化施設・文化事業)
  • 堺市産業振興センター(中小企業支援・産業振興)
  • 堺市住宅供給公社(住宅政策)
  • 堺市公園協会(公園管理)
  • 堺市社会福祉協議会(地域福祉)

ご当地キャラクター

  • ハニワ部長(堺市)- 古墳時代の埴輪をモチーフとした公式PRキャラクター。
  • ムーやん(環境局)- 帽子はプラスチック製のバケツ、体はゴミ袋をイメージしている。
  • すいちゃん(上下水道局)-「水の大切さ」と「汚れた水をきれいにする仕組み」を伝えることを使命とする。
  • タッシー(消防局)- 日本武尊が亡くなった後に変身したと伝わる「白い大鳥」をモチーフとした。
  • サカエル&みそさかい(堺区)- サカエルは「堺が栄える」に由来する名前で、みそさかいは鳥の「ミソサザイ」に由来する。
  • ニッシーちゃん(西区)- 頭の飾りがアンテナになっており、イベント情報をキャッチして飛び回る。
  • みみちゃん(南区)- 花咲くまちで生まれた花の妖精。
  • ザビエコくん(堺観光コンベンション協会)- フランシスコ・ザビエルの子孫という設定を持つ。
  • ポピアン(堺市都市緑化センター)- シンボルフラワーであるカリフォルニアポピーをモチーフにした花の妖精。

中百舌鳥副都心計画

1982年に発表された大阪府の総合計画において、豊中市の千里中央、東大阪市の荒本とともに、堺市の中百舌鳥が「大阪府の新都心」として位置付けられた。1983年には堺市も総合計画を発表し、中百舌鳥周辺を「堺市の副都心」として位置付けた。ちょうど日本ピローブロック製造の本社工場が美原町(現・美原区)へ移転することになり、その跡地に大規模商業施設を誘致することも計画に盛り込まれた。同時に堺市役所の本庁機能の中百舌鳥への移転も計画されたが、現本庁のある堺東駅周辺の商店会などから、同駅周辺の経済が地盤沈下することを理由とする強い反対を受け、計画は頓挫している。

1987年4月に大阪市営地下鉄御堂筋線が中百舌鳥駅まで延伸されたことを機に、区画整理事業が始まった。地権者で構成される準備組合が大規模商業施設の出店を募ったところ、そごう、西武百貨店、阪急百貨店などが入札に参加し、1988年1月に西武百貨店とニチイに決定した[19][20]。しかし駅周辺の土地を先行取得していたそごうが西武百貨店への土地提供を拒否し、「そごう所有地」の看板を掲げた[19][20]。さらに両社が自社用地に事務所を建て、社員が常駐して用地取得を競い合うなど[21]、両者の間で土地取得をめぐる対立が生じた。

堺市は停滞していた事業を後押しするため、1991年の「第三次堺市総合計画」において、改めて中百舌鳥を新都心として位置付け、事態の収拾に乗り出した。また1991年6月には準備組合が、西武百貨店とニチイに対し出店の白紙撤回を申し入れ、再コンペを含めた検討を行うとし[22][23]、これをきっかけとして1992年、ニチイは地価高騰、西武百貨店は業績悪化を理由に中百舌鳥進出を断念した[23][24]。これによりそごうとの交渉に移ったものの、1993年7月にはそごうも消費の低迷や借入金の増加を理由として全国的に新規出店を見合わせると表明[25]。1995年2月には阪神淡路大震災の影響で正式に出店を凍結した[26]。その後もそごうは土地を保有しており[27]、日商岩井が商業施設を開業しキーテナントとしてそごうを誘致する構想もあったものの[26]、2000年7月にはそごうが経営破綻し、それを受け堺市が計画の白紙撤回を表明し[27]、再開発事業は失敗に終わった。その後、西武百貨店とそごうは「ミレニアムリテイリンググループ」(後のそごう・西武)として経営統合され、現在に至る。

これらの経緯から、中百舌鳥駅北側ではしばらく更地が多い状態が続いていたが、2002年に駅前ロータリーが完成し、駅前広場の整備が完了した。一方、大規模開発計画が頓挫した結果、駅周辺では個別にマンションや商業ビルが立地するようになった。

都市再生緊急整備地域

都市再生緊急整備地域は、都市再生の拠点として国が指定する地域であり、都市開発事業などを通じて重点的に市街地整備を推進すべき地域とされている。堺市内では、以下の3地域が指定された。

堺臨海地域
新日本製鐵堺製鐵所の高炉休止と事業所縮小によって生じた遊休地を開発する計画。堺市は同地域を「臨海新都心」(愛称「堺浜」)と位置づけ、マリーナや「海とのふれあい広場」、干潟などを整備した。2006年3月21日には「堺浜シーサイドステージ」の第1期工事が完成し、同年4月15日にはシネコンなどを備えた大型複合施設「堺浜えんため館」が開業した。また、2010年には天然芝のサッカーグラウンド、クラブハウス、宿泊施設を備えた西日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター「J-GREEN堺」が完成した。LRTの乗り入れも検討され、新交通システム「トランスロール」の堺浜試験線が堺製鐵所構内に敷設されたが、事業化には至らず計画は中止された。当初、新日本製鐵は堺製鐵所の遊休地へのアメリカ・ユニバーサル・ピクチャーズのテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」の誘致を計画し、同社と協議を進めていた。日本進出を構想していたユニバーサル社と、スペースワールド(北九州市)の開業に携わった実績を持つ新日本製鐵の意向が一致したためだったが、交通アクセスなどを理由に合意には至らなかった。その後、施設の老朽化や賃貸借契約の満了などにより、「堺浜えんため館」は2026年3月に全店舗が営業を終了した。隣接する温浴施設も同月に閉館し、開発当初から営業していた娯楽・レジャー施設はすべて営業を終了した。
堺東駅西地域
以下の都市機能更新プロジェクトが段階的に進められてきた。(1)裁判所庁舎の建て替えを含む官庁街の再編と周辺公共施設の更新、(2)銀座商店街南側における市民ホール等を含む複合施設の整備構想、(3)(堺東駅西地域外だが関連事業として)駅東側の車庫跡地における高層住宅開発。このうち(1)については、堺地方合同庁舎は2013年10月に竣工しており、その後も官庁機能の集約・更新が段階的に進められた。跡地を活用し、ホテルなど含む商業施設の整備も検討している。(3)についても高層住宅として整備が完了している。(2)については、堺市民会館の現地での建て替え(現在のフェニーチェ堺)に変更されたことで計画が見直され、瓦町公園周辺を含めたエリアの市街地再開発事業の検討が継続している。堺東駅前は、1964年開業の高島屋(2026年1月閉店)を皮切りに、イズミヤ(1965年開店、1997年閉店)、ニチイ(1968年開店、1988年閉店)、ユニード(1970年開店、1973年閉店)、長崎屋(1970年開店、1990年閉店)、ダイエー(1981年開店、2001年閉店)と大型商業施設が立地していたが、閉店・撤退が相次ぎ、商業集積の再編が進んだ。これにより一時的な空洞化が見られたが、2021年4月に、新しい商業施設と高層住宅からなる複合施設「ジョルノ」が再整備された。
鳳駅南地域
東急車輛工場跡地に、高層マンションや、シネコンを併設した大型複合商業施設「アリオ鳳」(イトーヨーカドーを核店舗とする)が2008年に開業した。鳳駅は阪和線の主要駅の一つだが、長らく駅前広場が整備されておらず、周辺道路も幅員が狭かった。2019年には駅前の土地区画整理事業と都市計画道路(鳳上線)の整備により、駅前交通広場(バスターミナル)が完成し、南海バスの乗り入れが開始された。

広域行政

広域行政組織

広域連携・協定

議会

行政区の施行に伴い、堺市議会(定数52、法令定数より4人少ない)および大阪府議会の旧堺市選挙区(定数10)は、以下のように分割された。その後、市議会は定数を48に、府議会の堺市域の定数は8にそれぞれ改められた。また、その後も各区の人口の増減などに応じて定数の見直しが行われている。

市議会[28]府議会[29]備考
堺区92市議会・府議会ともに2015年の選挙からそれぞれ8と1に削減されたが、2019年の選挙から再びそれぞれ9と2に戻された。
中区8→71市議会は2015年の選挙から7に削減された。
東区5½
西区82→1府議会は2015年の選挙から1に削減された。
南区10→82→1市議会は2015年の選挙から9に、2019年の選挙から8に削減された。府議会は2019年の選挙から1に削減された。
北区92
美原区3→2½市議会は2015年の選挙から2に削減された。

½:東区・美原区を合わせた定数1(合区)

市議会

府議会

大阪府議会(堺市選出)
  • 定数:6名
  • 任期:2023年(令和5年)4月30日~2027年(令和9年)4月29日
選挙区議員名会派名当選回数
堺区(定数1)中川あきひと大阪維新の会大阪府議会議員団3
中区(定数1)奥村ユキエ無所属1
東区及び美原区(定数1)中野稔子大阪維新の会大阪府議会議員団4
西区(定数1)三橋弘幸大阪維新の会大阪府議会議員団2
南区(定数1)西林克敏大阪維新の会大阪府議会議員団3
北区(定数1)いらはら勉大阪維新の会大阪府議会議員団3

衆議院

選挙区議員名党派名当選回数備考
大阪府第15区(美原区など)浦野靖人日本維新の会6選挙区
大阪府第16区(堺区、東区、北区)黒田征樹日本維新の会2選挙区
大阪府第17区(中区、西区、南区)馬場伸幸日本維新の会6選挙区

市町村合併・政令指定都市への移行

2005年(平成17年)2月1日に、東隣の美原町を編入合併した[30]。この編入合併により、政令指定都市の要件とされる人口が80万人を超えたため、2006年(平成18年)4月1日に大阪府内で2番目の政令指定都市へ移行した[31]。

なお、隣接する高石市や大阪狭山市との合併も検討されていたが、2003年(平成15年)に高石市で合併の是非を問う住民投票が実施され、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散した。大阪狭山市では、合併協議会設置が市議会で否決された。合併は実現しなかったものの、高石市・大阪狭山市の両市とは消防事業を共同で実施しており[注 33]。また大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。

複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまで神奈川県(横浜市・川崎市、その後相模原市が追加)、福岡県(福岡市・北九州市)の2例のみであり、堺市の政令指定都市移行により、全国で3例目となった。その後、静岡県(静岡市・浜松市)も加わり、現在では4例となっている。また、都道府県内の人口に占める割合が1割に満たない初めての政令指定都市の例であり、2010年4月に移行した相模原市が2例目となる。

政令指定都市への道のり

1960年代前半まで

  • 1956年 地方自治法が改正され、「指定都市の指定に関する政令」(昭和31年政令第254号)を施行。人口50万以上の市のうち、政令で定める市を「指定都市(いわゆる政令指定都市)」として列挙し、その指定日を規定するもの。
  • 1961年 河盛安之介市長が、臨海工業地帯の造成および泉北丘陵の開発を柱とする「100万都市構想」を発表。事実上、政令指定都市への移行を目標として掲げた。
  • 1963年 人口が40万人を超える。

1960年代後半(合併で移行を目指す)

  • 1966年 和泉市の横田礒治市長が、北九州市(5市合併により政令指定都市に移行)をモデルとした「泉北合併都市構想」を発表。堺市・泉大津市・和泉市と高石町・忠岡町の3市2町の大合併で、政令指定都市移行を目指す構想だった。大阪府もこの合併を勧告した。
  • 1966年 河盛市長がこれに呼応し、泉北3市2町に加え、松原市・羽曳野市・富田林市・河内長野市および美陵町・狭山町・美原町を含めた「広域都市構想」を発表した。
  • 1966年 堺市・泉大津市・和泉市の3市議会が合併案を議決し、3市による合併協議会を設立。ただし、高石町は単独市制施行の道を選択し、忠岡町は合併のメリットが乏しいとして不参加となった。結果として3市長が合併協定書に調印した。
  • 1966年 泉大津市の久保泰雅市長(社会党)および市議6人が、合併をめぐる汚職容疑で摘発。
  • 1967年 久保市長が辞職。その後の出直し選挙では、合併反対派の茶谷徳松が市長に当選した。
  • 1967年 泉大津市・和泉市を中心に合併反対運動が激化。大阪府が合併不認可の方針を示し、3市合併構想は事実上白紙になった。
  • 1967年 人口が50万人を超える。

1970年代前半(合併白紙の余波)

  • 1971年 河盛市長が引退。民社党所属の大阪府議会議員であった土師半六が市長に当選。
  • 1972年 人口が60万人を超える。
  • 1972年 土師市長が浪速医科大学(仮称、不認可)誘致をめぐる汚職事件で逮捕。これに伴う出直し選挙で、我堂武夫が市長に当選した。
  • 1974年 人口が70万人を超える。

1970年代後半 - 1980年代(合併せず単独で移行を目指す)

  • 1976年 堺市が庁舎問題等審議会を設置。
  • 1976年 我堂市長が政令指定都市への移行を正式に表明。
  • 1983年 人口が80万人を超える。
  • 1983年 堺市が指定都市準備室を設置。
  • 1983年 堺市議会が指定都市問題対策特別委員会を設置。
  • 1983年 仙台市・千葉市・堺市の3市による「事務連絡協議会」を設立し、3市による同時の政令指定都市移行を目指した。
  • 1984年 田中和夫が市長に当選。
  • 1986年 人口が81万9000人となり、過去最高を記録。その後減少に転じる。
  • 1989年 田中市長が急死。幡谷豪男が市長に当選。

1990年代前半(支所制度の導入)

  • 1991年 市内を6地区に分割する支所制度を導入。支所区域名称選定委員会が「堺・中・東・西・南・北」の各名称を選定した。
  • 1991年 堺市役所高層館が完成。
  • 1992年 東百舌鳥出張所(大野芝町)、深井出張所(深井中町)、八田荘出張所(八田寺町)、泉ヶ丘出張所(東山)を廃止し、中支所(深井沢町)を開設(実質的に深井出張所の機能を中支所へ統合・昇格)。
  • 1993年 堺商工会議所が堺市指定都市問題懇話会を設立。
  • 1993年 堺市が東京事務所を開設。
  • 1994年 堺市が指定都市対策室を設置。
  • 1995年 上神谷出張所(片蔵)、美木多出張所(美木多上)、泉北ニュータウン東出張所(茶山台)、泉北ニュータウン中出張所(原山台)、泉北ニュータウン西出張所(鴨谷台)を廃止し、南支所(桃山台)を開設(実質的に泉北ニュータウン中出張所の機能を南支所へ統合・昇格)。
  • 1995年 堺市・美原町広域行政課題連絡協議会を設置。

1990年代後半(中核市へ移行)

  • 1996年 地方自治法の一部を改正する法律等が施行され、中核市制度が発足する。中核市へ移行した12市(宇都宮市、新潟市、富山市、金沢市、岐阜市、静岡市、浜松市、堺市、姫路市、岡山市、熊本市、鹿児島市)のうち、堺市は最大の人口を擁する都市として、「第1回中核市サミット」の開催地に選ばれた。
  • 1996年 堺市指定都市問題懇話会が改組され、堺市指定都市推進協議会を設立。
  • 1996年 浜寺出張所(浜寺諏訪森町中)、鳳出張所(鳳東町)、津久野出張所(津久野町)、福泉出張所(草部)を廃止し、西支所(鳳東町)を開設(実質的に鳳出張所の機能を西支所へ統合・昇格)。
  • 1997年 人口が80万人を下回る。
  • 1997年 南八下出張所(菩提町)、日置荘出張所(日置荘西町)、登美丘出張所(大美野)を廃止し、東支所(日置荘原寺町)を開設(実質的に日置荘出張所の機能を東支所へ統合・昇格)。
  • 2000年 五箇荘出張所(新堀町)、金岡出張所(金岡町)、百舌鳥出張所(百舌鳥赤畑町)、北八下出張所(中村町)、新金岡出張所(新金岡町)を廃止し、北支所(新金岡町)を開設(実質的に新金岡出張所の機能を北支所へ統合・昇格)。
  • 2000年 神石出張所(石津町)を廃止し、堺市役所旧本館に堺支所(南瓦町)を開設(本庁機能への統合)。これにより6支所体制が完成した。

2001年以降(再び合併で移行を目指す)

  • 2001年 国の「合併支援プラン」において、「2005年3月までに大規模な合併が行われた場合には、政令指定都市の弾力的な指定を検討する」との方針が示され、合併推進の方向性が強化された。
  • 2001年 木原敬介が市長に当選。
  • 2002年 堺市・高石市合併問題研究協議会を設置。
  • 2003年 高石市、大阪狭山市、美原町に対し、合併の申し入れを行う。
  • 2003年 堺市・美原町合併協議会を設置。
  • 2003年 高石市長選挙で合併反対派の阪口伸六が当選、これにより堺市・高石市合併問題研究協議会は解散した。
  • 2003年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡準備会議」を設置。
  • 2004年 堺市役所新庁舎(本館)が完成し、堺支所が移転。
  • 2004年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡会議」を設置。
  • 2005年2月 美原町を編入合併し、美原支所を設置。これにより人口は80万人を超えた。
  • 2005年3月 堺市議会が「堺市の政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
  • 2005年5月 大阪府と「事務移譲等に関する確認書」を締結。
  • 2005年5月 大阪府議会が「堺市の政令指定都市の指定に関する意見書」を可決。
  • 2005年10月 政令指定都市移行が閣議決定。
  • 2005年12月 区名が正式に決定。
  • 2006年4月 政令指定都市への移行および区制(堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区)を施行。

施設

国の機関

堺地方合同庁舎

裁判所

検察・法務関係

財務・税務関係

厚生労働関係

国土交通関係

海上保安関係

  • 堺海上保安署(堺港湾合同庁舎内)

防衛省・自衛隊関係

政府系機関

大阪府の機関

税務関係
  • 泉北府税事務所
土木関係

警察

堺警察署
市警察部
警察署

消防

堺市消防局
消防本部
消防署
  • 堺消防署
  • 中消防署
  • 東消防署
  • 西消防署
  • 南消防署
  • 北消防署
  • 美原消防署

上下水道

浄水場
  • 浅香山浄水場
  • 陶器配水場
  • 岩室配水場
  • 桃山台配水場
  • 晴美台配水場
  • 小平尾配水場
水再生センター
  • 三宝水再生センター
  • 石津水再生センター
  • 泉北水再生センター

清掃・環境

  • クリーンセンター臨海工場(焼却施設・粗大ごみ処理施設)
  • クリーンセンター東工場(焼却施設)
  • リサイクルプラザ(資源化施設)
  • 南部処理場(一般廃棄物最終処分場)

医療施設

堺市立総合医療センター

図書館

美術館・博物館

児童館

ホール

堺市民芸術文化ホール(フェニーチェ堺)

運動施設

堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)

屋外競技場

体育館

ゴルフ場

公園

大仙公園の日本庭園と遊覧気球

神社

大鳥大社

寺

土塔

古墳

大仙陵古墳 拝所

百舌鳥古墳群(世界文化遺産)

その他の古墳

近代建築

浜寺公園駅旧駅舎

対外関係

姉妹都市・提携都市

海外

出典: [32]

国内

出典: [33]

以前の提携都市
和歌山県の旗和歌山県東牟婁郡本宮町とは、1998年5月4日に友好都市提携を締結したが、2005年5月1日に本宮町が田辺市に編入合併されたことに伴い、提携は解消された。

国際機関

総領事館
名誉総領事館・名誉領事館

経済

第一次産業

農業

堺市の農業は、大阪府内でも有数の規模を誇る都市近郊農業である。工業都市として知られる一方、市街化調整区域を中心に農地が広がり、水稲、野菜、果樹、花き、畜産など多様な農業が営まれている。総農家数、耕地面積、農業産出額はいずれも大阪府内第1位。農業産出額の内訳は、野菜が約4割を占めるほか、畜産、水稲、果実などで構成される。

主な農産物直売所
  • またきて菜(ハーベストの丘農産物直売所)- 堺市農業協同組合(JA堺市)が運営する市内最大規模の農産物直売所。
  • 鉢ヶ峯フラワー農園 コスモス館 - 野菜や花きを中心に販売。
  • 葉菜の森 ららぽーと堺店 - 堺・和泉地域の農産物を販売する直売所。
  • 美原朝市 - 地元生産者による朝市で、区内複数会場で定期開催。
  • JA堺市各支所朝市 - 百舌鳥、久世、登美丘、東百舌鳥、上神谷の各支所で定期開催。
農業体験公園
  • 堺市立フォレストガーデン

漁業

堺市の漁業は、大阪湾に面した沿岸漁業を主体としている。1960年代以降の堺泉北臨海工業地帯の造成により漁場の多くが埋め立てられたため、現在は大阪湾全域を漁場とする沿岸漁業が中心となっている。主な水産物はタチウオ、アナゴ、シラス、タコ、スズキ、チヌなど。

漁港
  • 堺出島漁港 - 第1種漁港。堺市漁業協同組合、堺市沿岸漁業協同組合、堺市出島漁業協同組合の3漁業協同組合の根拠地。地域産物の展示販売施設「とれとれ市」が併設され、地元で水揚げされた魚介類などを販売している。
  • 石津漁港 - 第1種漁港。堺市浜寺漁業協同組合の根拠地で、イワシ漁などが行われている。
マリーナ
魚市場
  • 堺魚市場 - 施設の老朽化や地場漁業の衰退、鮮魚店やすし店など販売先の減少を背景に、2025年7月31日をもって閉鎖された[34]。

第二次産業

堺泉北臨海工業地帯

工業

堺市の工業は、古くから受け継がれる伝統産業と、戦後に形成された堺泉北臨海工業地帯を基盤として発展してきた。江戸時代には鉄砲鍛冶や刃物づくりが盛んとなり、現在も堺打刃物や自転車部品などの地場産業として高い技術が受け継がれている。一方、戦後には大阪湾岸の埋め立てによって堺泉北臨海工業地帯が造成され、鉄鋼、石油化学、エネルギー、金属加工などの重化学工業が集積した。現在では、大阪府内有数の工業都市として、製造品出荷額等でも府内上位の規模を誇る。

主な工業分野は、鉄鋼、化学、機械、金属製品、食品、電気機械などである。臨海部には大規模な工場群が立地する一方、内陸部では中小企業が高度な加工技術を生かしたものづくりを展開しており、多様な産業構造を形成している。

伝統産業

堺は戦国時代から鉄砲の一大生産地として知られていた。1543年に伝来した火縄銃の製造技術が広まり、堺では鍛冶職人による高度な金属加工技術が発展した。この時代に培われた鉄加工や金属加工の技術は、その後の刃物産業や自転車部品製造など、堺のものづくり産業の基盤の一つになったとされている。

  • 堺打刃物(包丁など)
    堺の刃物は堺打刃物と呼ばれ、鍛冶・研ぎ・柄付けなど分業による高度な技術で知られている。特に料理人が使用する業務用包丁では高い評価を受け、大きなシェアを持つ。一方、家庭用包丁ではステンレス製包丁の普及により、手入れが必要な鋼製包丁の需要は減少している。近年では、日本料理の普及や海外の有名シェフによる使用などから、海外でも高級包丁として人気が高まっている。
  • 線香
    堺の線香産業は江戸時代から続く伝統産業であり、戦前には全国有数の生産地であったが、戦後は中国などからの輸入品の増加や生活様式の変化により生産量は減少した。家庭で仏壇を置く世帯の減少や香りを楽しむ用途への変化も影響している。現在も職人による手作業の技術が受け継がれ、高品質な線香として生産が続けられている。
  • 和菓子
    阪堺線の花田口停留場周辺や宿院停留場、御陵前停留場周辺には、くるみ餅、けし餅、肉桂餅、大寺餅、天神餅など、江戸時代から続く銘菓があり、堺の歴史や文化を伝えている。浜寺公園の松にちなんだ、明治時代からの銘菓「松露だんご」も知られている。
  • 昆布(酢昆布など)
    堺は江戸時代に北前船によって北海道から昆布が運ばれる中継地となり、昆布加工業が発展した。特に酢昆布などの加工品は堺の名産として知られている。現在も伝統的な加工技術を生かした食品産業として受け継がれている。
  • 和ざらし浴衣
    堺では江戸時代から続く晒(さらし)技術を基盤として、和ざらし浴衣などの繊維産業が発展した。和ざらしは綿布を時間をかけて自然に漂白する伝統的な加工方法で、肌触りの良さや吸水性が特徴である。
  • 堺式手織緞通(敷物、日本敷物団地)
    堺式手織緞通は、江戸時代末期から続く伝統的な敷物製造技術である。職人が手作業で織り上げる高級敷物として発展し、現在も日本敷物団地などを中心に関連産業が残っている。
  • 堺五月鯉幟
    堺五月鯉幟は、江戸時代から続く伝統的な鯉のぼり製造技術である。職人が手描きで彩色する「手描き鯉のぼり」が特徴で、鮮やかな色彩や力強い表現で知られている。大量生産品が普及する中でも、伝統技術を生かした高級品として生産が続けられている。
  • 堺土人形
    堺土人形は、土を材料として作られる郷土玩具で、江戸時代から続く堺の伝統工芸品である。素朴な形と手作りによる彩色が特徴で、地域の文化を伝える工芸品として保存・継承されている。
  • 地酒
    堺は江戸時代中期から昭和初期にかけて酒造業が盛んな地域であり、戦前まで、灘五郷(神戸市東部および西宮市)に次ぐ有力な酒造地の一つであった。代表的な銘柄には「金露」「都菊」「菊泉」などがあり、特に「金露」は江戸時代から続く堺を代表する銘柄として知られていた。しかし、第二次世界大戦による酒蔵の被害や、工業化による水質環境の変化などの影響で、堺の酒造業は衰退した。多くの酒造会社は戦後に灘地域などへ移転し、現在、堺市内にはかつてのような大規模な酒造会社は残っていない。また、堺の酒造家であった鳥井駒吉は、1889年に大阪麦酒(現在のアサヒビール)の設立に関わった。堺の実業家が近代的な酒類産業の発展に関わった例として知られている。近年では、2014年に設立された利休蔵が、千利休にちなんだ日本酒「千利休」を製造し、途絶えた堺の酒造りの伝統を受け継いでいる。

伝統関連産業(近代以降発展したもの)

  • 自転車産業
    堺は日本有数の自転車関連産業の集積地であり、特に自転車部品の製造で発展してきた。鍛造・金属加工など、刃物づくりで培われた技術が自転車部品製造にも活用されている。現在ではスポーツ自転車部品などでも世界的に評価されている。
  • 木材・家具(大阪木材工場団地)
    堺周辺では木材加工や家具製造が発展してきた。大阪木材工場団地(美原区)などには木材関連企業が集まり、建築用木材や家具、内装材などの製造が行われている。

堺泉北臨海工業地帯

堺泉北臨海工業地帯は、1960年代以降の大阪湾岸の埋め立てによって整備された、関西を代表する臨海工業地帯の一つである。堺市から高石市、泉大津市にかけて広がり、鉄鋼、石油化学、エネルギー関連企業が集積している。主な立地企業には日本製鉄、コスモ石油、大阪ガスなどがあり、関西圏の産業基盤を支えている。また、物流施設や発電所も集積しており、製造拠点と物流拠点の両面で重要な役割を果たしている。

第三次産業

堺市街地

商業

堺区
  • 堺東駅(南海高野線)
    堺市の中心駅。駅周辺は規模こそ大きくないものの、堺銀座商店街やジョルノを中心に数多くの商店が集積する、堺市を代表する繁華街の一つである。かつては髙島屋、ダイエー、イズミヤ、長崎屋、ニチイ、ユニードなど数多くの総合スーパーが堺東駅前に集積していたが、バブル崩壊以降、それらの多くが相次いで閉店した。2000年以降は、買い物客の大阪市内(特に難波・天王寺)への流出に加え、北花田駅(北区)や鳳駅(西区)、七道駅(堺区)周辺に大型商業施設が開業したことなどから、かつての賑わいは失われ、商業的な地位は低下している。2025年6月には、長崎屋跡地にドン・キホーテが開業した。
    1964年に堺東駅ビルの改築工事の一環として、大阪市を除く府内では初めての百貨店として開業した。1984年には、開業20周年を機に店内を改装するとともに店舗を増床し、「アップル専門店街」を併設した。以後は、髙島屋とアップル専門店街が一体となって「堺タカシマヤショッピングセンター(SC)」を構成していた。2002年にはアップル専門店街を統合し、新たな「髙島屋堺店」となった。これに合わせて、ソフマップがテナントとして出店したが約2年で撤退。その後はユニクロやABCマートなどが入居した。建物の賃貸借契約の満了に伴い、2026年1月7日に閉店。跡地には、NANKAIが商業施設「HiViE(ヒビエ)堺東」を開業する方針としている。
    戦後の闇市を起源とする「堺中央マーケット」の老朽化に伴い、1981年に行政と組合を事業主体とする市街地再開発事業によって再開発ビル「ジョルノ」として開業した。以来、核店舗にはダイエーが入居していたが、2001年に閉店した。その後は、核テナントとして生鮮館PASTO、キャップ書店、ダイソーなどが入居したが、いずれも2011年までに閉店・撤退した。ハローワークも入居していたが、2011年に高島屋堺店の最上階へ移転し、その後は一部機能を残して堺地方合同庁舎へ移転した。堺東駅とはペデストリアンデッキで結ばれている。建物が耐震基準を満たしていなかったため2017年より建て替え工事が進められ、2021年に住宅と商業施設からなる複合施設として再開業した。
    • 堺銀座商店街
    明治期の高野鉄道開通とともに形成された歴史ある商店街。戦時中には、堺市役所などの官公庁が堺東へ移転したことに加え、旧市街地の商店街が空襲によって大きな被害を受けたことから、堺市を代表する商店街として発展した。1953年にはビニール製アーケードが完成し、1988年にはモスク型デザインのアーケードへと建て替えられた。その後は堺市の支所制度導入[注 35]による堺東地区の行政機能の相対的な低下や、買い物客の大阪市内への流出、北花田駅や鳳駅周辺などへの大型商業施設の開業が相次いだことから、かつての賑わいは失われた。また、人気フォークデュオのコブクロがインディーズ時代に路上ライブを行っていた場所としても知られる。一時は空きビルへの場外馬券場誘致計画が持ち上がったが、住民による反対運動を受け、計画は中止となった。
  • 宿院停留場(阪堺線)
    江戸時代から宿院頓宮と開口神社の鳥居前町として栄えた。明治以降は芝居小屋や映画館が集まり、なかでも「卯の日座」は堺最大の劇場として知られた[注 36]。1891年には新派の川上音二郎一座が書生芝居の旗揚げ興行を行ったほか、曾我廼家五郎も一座を旗揚げした後、「卯の日座」で最初の興行を行った。宿院頓宮に隣接していた「電気館」[注 37]をはじめ、映画館も数多く立ち並び、山之口商店街は戦前、「堺の心斎橋」と称されるなど大いににぎわった。しかし、戦後は交通事情の変化や商業の中心地が堺東へ移ったことなどを背景に、衰退の一途をたどった。また、大小路筋を挟んで北側の通称「天神」は、菅原神社の鳥居前町として歓楽街を形成し、現在も飲食店が軒を連ねている。
  • 堺駅(南海本線)
    1985年に現在地へ移転し、高架駅となった。それまでは、現在の南口付近に駅舎があった。1986年には、駅前にイトーヨーカドー(関西1号店)が出店したが、2011年2月13日に閉店した。駅ビルに隣接する商業ビルは、西武百貨店やダイエー系のプランタンなどを核テナントとして誘致する計画が相次いで立てられたものの、いずれも頓挫。そのため、高架駅としては不釣り合いな駅舎のまま長年放置されていた。最終的に南海電鉄が開発を行い、エディオン、紀伊國屋書店(旭屋書店を経て、現在はTSUTAYA)などが入居する複合商業施設「プラットプラット」を2000年に開業した。1993年には西口にリーガロイヤルホテル(現在のホテル・アゴーラ リージェンシー堺)が開業し、あわせて大阪市営バスも駅前ロータリーへ乗り入れるようになった。
  • 七道駅(南海本線)- イオンモール堺鉄砲町
  • 堺市駅(阪和線)- ベルマージュ堺、堺市駅東商店街(北区)
西区
北区
東区
美原区
中区
南区

卸売市場

  • 堺中央綜合卸売市場(北区)
  • 堺市立青果地方卸売市場(堺区)
  • 堺七道青果地方卸売市場(堺区)
  • 大阪南部合同青果地方卸売市場(北区)

堺市に本社を置く企業

上場企業

非上場企業

堺市に拠点・事業所を置く企業

堺市に縁のある企業

情報・通信

郵便

現在、市内には102か所の郵便局があり[35]、その内訳は直営郵便局101局(集配郵便局6局、無集配郵便局95局)および簡易郵便局1局(美原木材団地簡易郵便局)である。堺市を担当する集配郵便局は7局だが、このうち浜寺郵便局は高石市に所在し、西区の一部を担当している。政令指定都市への移行前には、行政区の前身である各支所の区域に対応させるとともに、集配郵便局と郵便番号の上5桁を一致させるため、郵便区および集配郵便局の再編が行われた。

集配郵便局
  • 堺郵便局 - 堺区を担当。郵便番号は「590-00xx」、「590-08xx」、「590-09xx」
  • 堺中郵便局 - 中区・東区を担当。郵便番号は、中区が「599-82xx」、東区が「599-81xx」
  • 鳳郵便局 - 西区(旧浜寺町域を除く)を担当。郵便番号は「593-83xx」
  • 浜寺郵便局 - 西区(旧浜寺町域)を担当。郵便番号は「592-83xx」
  • 泉北郵便局 - 南区を担当。郵便番号は「590-01xx」
  • 堺金岡郵便局 - 北区を担当。郵便番号は「591-80xx」
  • 美原郵便局 - 美原区を担当。郵便番号は「587-00xx」
無集配郵便局
堺区
  • 堺柳之町郵便局
  • 堺材木町郵便局
  • 堺宿院郵便局
  • 堺南旅籠町郵便局
  • 堺七道郵便局
  • 堺三宝郵便局
  • 堺海山郵便局
  • 堺戎島郵便局
  • 南海堺駅内郵便局
  • 堺大浜郵便局
  • 堺出島郵便局
  • 堺湊郵便局
  • 堺東湊郵便局
  • 堺神石郵便局
  • 堺旭ケ丘郵便局
  • 堺協和郵便局
  • 堺永代郵便局
  • 堺一条郵便局
  • 堺七条郵便局
  • 堺向陵中町郵便局
  • 堺向陵東郵便局
  • 堺三国ヶ丘郵便局
  • 堺東駅前郵便局
  • 堺錦綾郵便局
  • 堺香ヶ丘郵便局
  • 堺浅香山郵便局
中区
  • 堺大野芝郵便局
  • 堺土師郵便局
  • 堺深井郵便局
  • 堺深井沢郵便局
  • 堺福田西郵便局
  • 堺東山郵便局
  • 堺田園郵便局
  • 堺小阪郵便局
  • 堺八田荘郵便局
  • 堺八田西郵便局
東区
  • 堺白鷺郵便局
  • 堺引野郵便局
  • 堺菩提郵便局
  • 堺日置荘郵便局
  • 堺日置荘西町郵便局
  • 堺大美野郵便局
  • 堺福田郵便局
  • 堺登美丘郵便局
  • 堺南野田郵便局
西区
  • 堺上野芝郵便局
  • 堺北条郵便局
  • 堺家原寺郵便局
  • 鳳千種郵便局
  • 堺鳳東郵便局
  • 堺鳳西郵便局
  • 堺鳳南郵便局
  • 福泉郵便局
  • 堺上郵便局
  • 堺万崎郵便局
  • 諏訪ノ森郵便局 - 旧浜寺町域
  • 堺浜寺石津郵便局 - 旧浜寺町域
  • 堺浜寺船尾郵便局 - 旧浜寺町域
  • 堺浜寺昭和郵便局 - 旧浜寺町域
南区
  • 堺野々井郵便局
  • 泉北宮山台郵便局
  • 泉北竹城台郵便局
  • 泉北泉ヶ丘郵便局
  • 泉北三原台郵便局
  • 泉北高倉台郵便局
  • 泉北晴美台郵便局
  • 泉北槙塚台郵便局
  • 泉北茶山台郵便局
  • 泉北桃山台郵便局
  • 栂美木多駅前郵便局
  • 泉北庭代台郵便局
  • 泉北御池台郵便局
  • 泉北赤坂台郵便局
  • 泉北新桧尾台郵便局
  • 泉北鴨谷台郵便局
  • 泉北城山台郵便局
北区
  • 堺東雲郵便局
  • 堺東浅香山郵便局
  • 堺北花田郵便局
  • 堺宮本郵便局
  • 堺蔵前郵便局
  • 堺南花田郵便局
  • 堺北八下郵便局
  • 堺金田郵便局
  • 堺新金岡五郵便局
  • 堺長曽根郵便局
  • 堺東三国ヶ丘郵便局
  • 百舌鳥郵便局
  • 堺赤畑町郵便局
  • 堺百舌鳥梅町郵便局
  • 堺中百舌鳥郵便局
美原区
  • 美原丹上郵便局
  • 美原余部郵便局
  • 美原黒山郵便局
  • 美原さつき野郵便局
  • 美原木材団地簡易郵便局

電話

市内全域が市外局番「072」の堺MA(単位料金区域)に属している[36]。

市内通話が可能な地域[36]

マスメディア

新聞社

放送局

ラジオ放送
ケーブルテレビ局
  • J:COM堺(旧・堺ケーブルテレビ。2020年3月まで、堺市の広報番組「堺シティレポ」を放送していた)

出版・文学

出版社
  • 大阪公立大学出版会
  • はとぶえ会(機関誌『はとぶえ』を発行。堺市内の小学生の詩、作文、習字などを掲載)
  • 青雲書房(演劇関連書籍を中心とする出版社。2016年に東京都練馬区から移転)
  • 堺・泉州出版会(『堺泉州』『堺人』を発行。2009年5月休刊)
  • 関西鉄道研究会(『関西の鉄道』を発行。2015年3月休刊)
  • 曙出版(東湊にあったカストリ雑誌専門出版社。『奇譚クラブ』の創刊元)
書店
文学賞
  • 堺自由都市文学賞(1989年創設。「都市小説」をテーマとした文学賞。2010年度で終了)
  • 与謝野晶子短歌文学賞(「一般の部」「青春の歌の部」を設けた短歌文学賞。2018年休止)

教育

大学

大阪公立大学
中百舌鳥キャンパス
関西大学
堺キャンパス
公立
私立

短期大学

私立

その他

大学間連携組織

専修学校

私立

高等学校

中学校

小学校

特別支援学校

府立
市立

職業能力開発施設

その他の教育施設

自動車教習所

不祥事

  • 2020年7月17日、堺市教育委員会は、主幹教諭が過去に不適切な関係にあった教諭に対し、関係解消後もメールを送信したり、勤務中の様子をスマートフォンで隠し撮りしたなどとして、停職5か月の懲戒処分とした[37]。また同日、教育委員会は、別の教諭が誤って生徒のテスト用紙1枚を破棄した際、そのことを教育委員会に相談しないよう脅したとして、中学校長を戒告処分としたことも明らかにした[38]。

交通

空路

航空

1922年から1939年まで、大浜水上飛行場を拠点として水上機による定期航空路線が運航された。戦後には、1955年から1965年まで堺港を発着する水上機の定期航空路線が運航された[39]。

利用空港
  • 市内に空港はないが、主な利用空港として大阪国際空港(伊丹空港)および関西国際空港がある。かつては堺東駅から大阪国際空港への空港連絡バスも運行されていた。

港湾

旧堺港

鉄道

堺東駅

市の中心駅であり、市役所の最寄り駅は南海高野線の堺東駅。

堺市内を走る鉄道路線の多くは、大阪市方面から南北方向に延びる路線であり、市内の東西方向の移動は路線バスへの依存度が高い。そのため、東西方向を結ぶ鉄軌道の整備が以前から構想されてきた。 1960年代前半には、近畿日本鉄道が古市(のちに布忍に起点を変更)から堺を結ぶ鉄道の建設を、南海電気鉄道が八尾から堺を結ぶ路線の建設をそれぞれ提案したが、両社の競合や急速な宅地化による用地買収の困難などにより実現には至らなかった[40]。

その後、地下鉄なども検討されたが、木原敬介市長時代には、堺東駅から南海本線堺駅を経由して堺浜方面へ向かうLRT(次世代型路面電車)の導入が進められた。しかし、2009年に就任した竹山修身市長はLRT建設中止を公約としており、2010年1月に南海電気鉄道へ計画中止を申し入れた。これに伴い、LRT計画は事実上白紙となった。

LRT計画の中止により、沿線活性化策として期待されていた阪堺電気軌道阪堺線の堺市内区間についても存続が課題となった。これに対し堺市は、2010年から10年間、運賃割引などの利用促進策への補助や、新型車両導入への助成など、阪堺線への支援策を実施した。

市内には以下の鉄道路線がある。

西日本旅客鉄道(JR西日本)
R 阪和線:浅香駅 - 堺市駅 - 三国ケ丘駅 - 百舌鳥駅 - 上野芝駅 - 津久野駅 - 鳳駅
南海電気鉄道(南海)
NK 南海本線:七道駅 - 堺駅 - 湊駅 - 石津川駅 - 諏訪ノ森駅 - 浜寺公園駅
NK 高野線:浅香山駅 - 堺東駅 - 三国ヶ丘駅 - 百舌鳥八幡駅 - 中百舌鳥駅 - 白鷺駅 - 初芝駅 - 萩原天神駅 - 北野田駅
シンボルマーク 泉北線:中百舌鳥駅 - 深井駅 - 泉ケ丘駅 - 栂・美木多駅 - 光明池駅
阪堺電気軌道
■ 阪堺線:大和川停留場 - 高須神社停留場 - 綾ノ町停留場 - 神明町停留場 - 妙国寺前停留場 - 花田口停留場 - 大小路停留場 - 宿院停留場 - 寺地町停留場 - 御陵前停留場 - 東湊停留場 - 石津北停留場 - 石津停留場 - 船尾停留場 - 浜寺駅前停留場
大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
御堂筋線:北花田駅 - 新金岡駅 - 中百舌鳥駅

大阪モノレールの堺への延伸計画

大阪モノレールは大阪中央環状線上を通り、大阪空港と堺泉北臨海工業地帯を結ぶ路線として、1970年代後半に計画された。1980年には、運営主体となる大阪高速鉄道が設立された。また、大阪府が計画した3大副都心地区である「千里中央」「荒本」「中百舌鳥」(厳密には新金岡)を結ぶことも目的の一つであった。

当初は、大阪空港側と堺側の双方から同時に建設を進める計画であった。しかし、建設費などの問題から、大阪空港側のみが着工され、堺側は着工に至らなかった[注 43]。1990年に千里中央駅 - 南茨木駅間が開業し、その後順次延伸され、現在は大阪空港駅から門真市駅までが開業している。今後は東大阪市方面への南伸が計画されている[41]が、それより先の堺市内までの延伸については、具体的な計画はない。

堺市では長年、「東西交通の不備」が課題とされてきた。その背景には、大阪モノレールの延伸による交通改善への期待が大きかったことも、一因として挙げられる。

バス

コミュニティバス

路線バス

堺市には公営交通(公営バス)の運行実績がなく、市内の路線バスの大部分は南海バスが運行している。南海高野線の堺東駅のほか、南海本線の堺駅、南海泉北線の泉ケ丘駅などを主要なターミナルとしている。初芝駅から平尾方面を結ぶ路線は、2022年3月31日まで南海バスの子会社である南海ウイングバス金岡が運行していたが、同年4月1日に同社が南海ウイングバス南部と合併し、南海ウイングバスとなったことに伴い、南海バスへ移管された。なお、南海ウイングバス金岡は南海バス東山営業所管内の路線運行業務も受託していた。

かつて大阪市電が堺市内へ乗り入れていた経緯から、堺区には大阪市営バスを引き継いだ大阪シティバスの路線が乗り入れている。美原区および東区内では、近鉄南大阪線の河内松原駅や近鉄長野線の富田林駅をターミナルとする近鉄バスが運行されている。2023年2月1日からは、大阪狭山市循環バスが北野田駅前と美原区役所前へ乗り入れを開始、2025年11月6日からは近畿大学病院に乗り入れる急行便も新設された。

乗車方法は、南海バスおよび近鉄バスでは原則として後乗り前降り・後払いで、整理券方式による区間運賃制を採用している。ただし、南海バスの堺シャトルは前乗り後降り・前払いの均一運賃制。大阪シティバスは後乗り前降り・後払いの均一運賃制である。各社ともPiTaPaおよび交通系ICカード全国相互利用サービスに対応している。かつては南海バス、南海ウイングバス金岡、近鉄バス、大阪市営バスの各社で、磁気プリペイドカード「スルッとKANSAI」対応カードが利用可能であった。

高速バス

南海バスが運行する高速バスには「サザンクロス」、和歌山バスが運行する高速バスには「サウスウェーブ」の愛称が付けられている。以下では関西側の停留所は堺市内のみを記載する。

空港連絡バス

一部停留所は省略。

深夜急行バス

一部停留所は省略し、降車専用停留所は堺市内のみ掲載。

  • 南海深夜急行バス(南海バスが運行していた深夜急行バスで、現在は運休中)
    • 梅田・なんば ⇒ 堺東駅・三国ヶ丘駅・中百舌鳥駅・深井駅・泉ケ丘駅・栂・美木多駅・光明池駅 ※堺東駅については乗車・降車ともに可能。
    • 梅田・なんば ⇒ 広国神社前・下黒山西・菅生口
    • 中百舌鳥駅・深井駅 ⇒ 泉ケ丘駅・栂・美木多駅・光明池駅 ※深井駅については乗車・降車ともに可能。

企業向け送迎バス

タクシー

堺市のタクシー営業区域は、道路運送法に基づく営業区域により、「大阪市域交通圏」と「河南B交通圏」(美原区のみ)に区分されている。大阪市域交通圏は、大阪市、豊中市、吹田市、守口市、門真市、東大阪市、八尾市、大阪国際空港で構成。河南B交通圏は、富田林市、河内長野市、大阪狭山市、太子町、河南町、千早赤阪村で構成される。関西国際空港は両交通圏とも発地限定となる。

主なタクシー事業者

道路

大阪府道38号富田林泉大津線と泉北高速鉄道線

高速道路

有料道路

国道

府道

主要地方道
一般府道

道路の愛称

堺市内の道路には、以下のような愛称が付けられている。

ナンバープレート

2005年7月に国土交通省がご当地ナンバーを新たに認定したことを受け、2006年10月10日から自動車登録番号標(ナンバープレート)の地名表示として「堺」ナンバーの交付が開始された。それまで堺市を使用の本拠とする自動車には「和泉」ナンバーが交付されていたが、以後は和泉自動車検査登録事務所(和泉市)で新車の新規登録や他地域からの転入登録、名義変更などを行った場合に「堺」ナンバーが交付されている。

文化・名物

祭事・催事

ふとん太鼓(9月・10月)

  • 堺区
    • 開口神社八朔祭 - 9月12日に最も近い金・土・日曜日
    • 菅原神社八朔祭 - 9月13日~15日
    • 船待神社秋季例大祭 - 9月第3金・土・日曜日
    • 方違神社秋季例大祭 - 9月第3土・日・月曜日
    • 石津神社秋季例大祭 - 10月第1土・日曜日
    • 堺まつり - 10月第3土・日曜日
  • 西区
  • 北区
    • 百舌鳥八幡宮秋祭り - 旧暦8月15日(9月中旬~10月上旬)に近い土・日曜日。ふとん太鼓の担ぎ手・見物客ともに堺市内最大規模で、毎年10万人以上が訪れるといわれる。
    • 華表神社秋祭り - 10月4日・5日
    • 八坂神社秋祭り(中村町) - 10月第2土・日曜日
    • 八坂神社秋祭り(野遠町) - 10月第2土・日曜日

だんじり祭り(10月)

芸術

音楽

  • 交響楽団
  • オペラ
    • 堺シティオペラ - 1986年に設立されたオペラ団体。フェニーチェ堺やウェスティホールなどで定期公演を行うほか、国内外の歌劇場との交流・提携にも取り組んでいる。市民参加型の本格的なオペラ活動を展開する団体として全国的に知られている。
  • 歌劇団
    • 堺少女歌劇団 - 堺を拠点に活動する少女による歌劇団。歌や舞台表現を通じて、地域文化の振興を目指している。
  • 吹奏楽団
    • 堺市音楽団 - 堺市を中心に活動する市民吹奏楽団。演奏会や地域イベントへの参加などを通じて音楽文化の普及に取り組んでいる。
  • 合唱団
    • 合唱団PHENIX - 堺を拠点に活動する合唱団。演奏会などを通じて合唱文化の発展に取り組んでいる。
    • 泉北混声合唱団 - 泉北地域を中心に活動する市民合唱団。

文芸

  • 与謝野晶子倶楽部 - 与謝野晶子の文学や生涯を顕彰し、講演会や研究活動などを行う団体。
  • 山崎豊子文化財団 - 作家の山崎豊子が1993年に設立した財団法人。中国帰国者の子女などへの奨学金事業を行い、日中友好の架け橋となる人材の育成を目的としている。

文化・芸術行事

  • 利休忌 - 2月27日、南宗寺で開催。千利休を偲ぶ法要。
  • 白桜忌 - 5月29日、覚応寺で開催。与謝野晶子を偲ぶ法要。
  • 阪田三吉名人杯将棋大会 - 6月、堺市立人権ふれあいセンターで開催。堺市出身の棋士・阪田三吉を記念する将棋大会で、個人参加の大会としては国内最大級の規模を誇る。2000年には、この大会などの取り組みが評価され、堺市が「第7回大山康晴賞」を受賞した。
  • 堺市美術新人展 - 6月、堺市立文化館で開催。
  • 堺市展 - 10月、堺市立文化館で開催。
  • みはら芸術展 - 11月、美原中央公民館で開催。

スポーツ

野球

プロ野球関連
  • 南海ホークス - 堺市と深い関わりを持つプロ野球球団であった。球団創設当初は堺大浜球場を拠点として使用し、1939年に完成した中百舌鳥球場へ移転した。中百舌鳥球場は南海鉄道(現・南海電気鉄道)が建設した球場で、一軍公式戦の開催や選手の練習場として利用された。1950年に大阪球場が完成すると、一軍の本拠地は難波へ移り、中百舌鳥球場は主に二軍の練習場として使用された。隣接して選手寮(合宿所)も置かれ、若手選手の育成拠点となった。1988年の球団譲渡・福岡移転後もボーイズリーグ「ジュニアホークス」の練習場や少年野球大会の会場などに利用されたが、2001年に閉鎖。跡地には現在マンションが建っている。
  • オリックス・バファローズ - 本拠地は京セラドーム大阪(大阪市西区)。堺市とスポーツ連携協定を締結しており、くら寿司スタジアム堺(原池公園野球場)でファーム(二軍)公式戦を開催するほか、野球教室や市民招待事業など地域連携活動を行っている。
  • 堺シュライクス - 関西独立リーグ所属。2019年からリーグ戦に参加。2020年からくら寿司スタジアム堺を本拠地としている。
社会人野球
高校野球

サッカー

Jリーグ
  • セレッソ大阪 - 大阪市・堺市をホームタウンとする。J-GREEN堺など市内施設も利用している。
  • セレッソ大阪U-15・U-18(育成年代)- セレッソ大阪のアカデミー(育成組織)。J-GREEN堺などを利用して活動している。
  • ガンバ大阪堺サッカースクール・ジュニアユース - ガンバ大阪の育成組織。南区を拠点に活動し、ジュニア(小学生年代)のスクール活動やジュニアユース(中学生年代)の選手育成を行っている。ジュニアユースは敷物グランド(原山台)などを練習場所としている。
  • FC大阪ジュニアサッカースクール - 堺市立のびやか健康館で、幼稚園年長から小学生を対象に開催している。
WEリーグ
高校サッカー

バレーボール

SVリーグ
  • 日本製鉄堺ブレイザーズ - 旧・新日本製鐵バレーボール部を母体とする。日本バレーボールリーグで11回優勝。Vリーグでは1997年、1998年、2006年に優勝した。八幡製鐵は1961年に堺市へ製鐵所を設置し、1969年にはバレーボール部が北九州市から堺市へ本拠地を移転。1970年、八幡製鐵と富士製鐵の合併により社名は新日本製鐵となった。チームは「燃える鉄人」の愛称で親しまれ、「新日鐵ブレイザーズ」として活躍した。2000年に株式会社ブレイザーズスポーツクラブを設立してクラブチーム化し、2001年から「堺ブレイザーズ」として地域密着型の運営を開始した。2023年にはチーム名を「日本製鉄堺ブレイザーズ」に改め、現在に至っている。
高校バレー

相撲

大相撲

春場所(大阪場所)はエディオンアリーナ大阪で開催されるため、会場に近い堺市には毎年複数の相撲部屋が宿舎を構える。宿舎は年によって変更される場合があるが、2026年春場所では次の4部屋が市内に宿舎を置いた。

かつて堺に宿舎を構えていた部屋
  • 立田川部屋 - 東光学園(中区)に宿舎を構えた。2000年に陸奥部屋へ吸収合併された。
  • 甲山部屋 - 東光学園に宿舎を構えた。2002年に所属力士が全員引退し、部屋は事実上消滅した。
  • 陸奥部屋 - 出雲大社大阪分祠。立田川部屋を吸収合併後、宿舎として使用していた。2006年以降は大阪市住之江区内に宿舎を構えた。
  • 井筒部屋 - 出雲大社大阪分祠。2006年以降は大阪市西成区内に宿舎を移した。2021年に部屋は閉鎖された。
  • 放駒部屋 - 八田北町自治会館別館(中区)。2010年まで宿舎を構えた。その後大阪市東住吉区へ宿舎を移した。
  • 桐山部屋 - 天理教泉大教会(堺区)に宿舎を構えた。2011年に部屋は閉鎖され、所属力士は朝日山部屋へ転籍した。
  • 春日山部屋 - 東光学園が運営する「ふれ愛の家」(中区)に宿舎を構えた。部屋は2011年に閉鎖された。
  • 間垣部屋 - 堺東駅前商店街付近(堺区)に稽古場・宿舎を構えた。その後、奈良県香芝市に移転し、2013年に閉鎖された。
  • 千賀ノ浦部屋 - 中向陽町(堺区)の民家に宿舎を構えた。2020年に常盤山部屋へ改称し、2026年には湊川部屋となった。
  • 尾車部屋 - 三宝小学校(堺区)に宿舎を構えた。2022年に部屋は閉鎖された。
  • 宮城野部屋 - 西本願寺堺別院のほか、市立堺病院跡地など堺区内で宿舎を構えた。2024年に部屋は閉鎖され、所属力士らは伊勢ヶ濱部屋へ移籍した。
堺出身力士
学生相撲

大浜は「学生相撲発祥の地」として知られる。1919年、旧大浜相撲場で第1回全国学生相撲大会・全国中等学校相撲大会(大阪毎日新聞社主催、現在の全国学生相撲選手権大会・全国高等学校相撲選手権大会)が開催された。その後、主会場は東京へ移ったが、1974年から開催地が再び大浜に戻り、当初は大浜体育館の特設土俵で開催された。1981年には大相撲と同規格の「大浜公園相撲場」が完成し、現在は全国学生相撲選手権大会が大浜公園相撲場と東京・両国国技館で隔年開催されている。また、大浜公園相撲場は女子選手も土俵に上がることができる。

大浜公園相撲場で開かれる主な大会

水泳

堺市には臨海工業地帯が造成される以前、大浜・湊・諏訪ノ森・浜寺などの海水浴場が存在した。なかでも浜寺は、白砂青松の景勝地として明治以降、海浜リゾート地・別荘地として全国的に名を知られていた。現在も浜寺公園周辺には当時の面影を残す松林が広がり、歴史的な景観を有する地域となっている。大仙公園周辺とともに、「風致地区」に指定されるなど、堺を代表する景観保全地域の一つである。浜寺の名声は周辺地域にも影響を与え、泉大津市の松之浜周辺は、かつて「南濱寺(南浜寺)」と呼ばれた地域であった。近くには助松海水浴場があり、浜寺の景観にあやかった海浜別荘地・避暑地として発展した。現在も区画整理された町並みの中に、当時の面影を残す邸宅が見られる。また、愛知県碧南市には、浜寺の名にちなんだ「新浜寺海水浴場」が存在した。これは浜寺が全国的に知られた海浜リゾートであったことを背景に、その名称やイメージが遠方の海水浴場開発にも取り入れられた例である。

浜寺水練学校
浜寺水練学校は1905年、大阪毎日新聞社が浜寺海水浴場開設と同時に海泳練習場として開校した。100年を超える歴史を持つ水泳教育施設であり、現在は浜寺公園プールを使用している。クロールや平泳ぎなど基本泳法のほか、日本泳法の指導も行っている。また、浜寺は日本におけるアーティスティックスイミング(旧称・シンクロナイズドスイミング)の発展に大きな役割を果たした地の一つであり、1950年代からシンクロの指導が行われていた。

スポーツイベント

現在、大阪マラソンに統合されたびわ湖毎日マラソンは、1946年の開始当初は大阪で開催されていた。大阪開催時代には大阪市内を発着点とし、堺市方面を通過するコースが設定された時期もあった。その後、皇子山陸上競技場(大津市)を発着点とする大会へ移行したが、2021年を最後に単独開催を終了し、2022年から大阪マラソンへ統合された。また、たけびしスタジアム京都(京都市)を発着点として行われている全国高等学校駅伝競走大会も、1966年大会までは大阪で開催されていた。大阪開催時代には大阪市内を中心としたコースが設定され、時期によっては堺方面を通過する区間もあった。両大会は毎日新聞社が主催する大会であり、びわ湖毎日マラソンでは堂島の旧毎日新聞大阪本社付近を発着点とした時期もあった。その後、交通事情や大会運営上の理由などからコースは変更され、現在の開催地へ移行した。

出身・関連著名人

名誉市民

  • 河盛安之介(元堺市長)
  • 我堂武夫(元堺市長)

出身著名人

堺市を舞台とする作品

映画

テレビドラマ

  • 『黄金の日日』(1978年、NHK大河ドラマ)
    城山三郎の小説を原作とし、市川森一が脚本を担当したNHK大河ドラマ第16作。主人公・呂宋助左衛門を市川染五郎(現・松本白鸚)が演じ、大河ドラマで初めて商人を主人公とした作品である。戦国時代の堺を舞台に、国際貿易で活躍する商人の姿を描いた。放送当時の堺市は戦災により歴史的景観の多くを失っており、1973年に『街道をゆく』の取材で堺を訪れた司馬遼太郎も、中世の自由都市として栄えた堺の面影を現代の市街地から見いだしにくいことを記している[注 44]。ただ、放送直後には、呂宋助左衛門ゆかりの大安寺などを訪れる観光客が増加した。これを契機に、堺市は「黄金の日日・観光ルート」の案内板を設置し、放送終了後も、「てくてくろーど」の整備や「おいでよ堺へ」キャンペーンを実施するなど、観光振興に取り組んだ。2005年には観光部を設置し、旧市街地や仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群を重点エリアとした観光施策を推進している。
  • 『水戸黄門』
    1969年の放送開始以来、水戸黄門が堺を訪れた回数は6回あり、米沢、宇都宮、金沢、小倉と並んで5番目に多い。

アニメ

漫画

小説

  • 『雪たたき』(幸田露伴)- 室町時代末期の堺を舞台とした歴史小説。雪の夜の思いがけない事件を描きながら、堺の繁栄や町人社会の気風を生き生きと描いている。
  • 『黄金の日日』(城山三郎)- 戦国時代の豪商・呂宋助左衛門を主人公とした歴史小説。堺が主要な舞台となっている。
  • 『秀吉と利休』(野上弥生子)- 豊臣秀吉と千利休の関係を描いた歴史小説。戦国時代末期の堺の姿や、茶の湯文化が持つ精神性が描かれている。
  • 『本覚坊遺文』(井上靖)- 千利休の弟子・本覚坊の回想という形式で、利休の人物像や茶の湯の精神を描いた歴史小説。戦国時代の堺と茶人文化を理解するうえで重要な作品。
  • 『利休にたずねよ』(山本兼一)- 直木賞受賞作。千利休の生涯を描き、戦国時代の堺を主要な舞台としている。
  • 『天下人の茶』(伊東潤)- 千利休と豊臣秀吉を軸に、堺の茶人や商人たちが活躍する戦国時代を描いた歴史小説。
  • 『茶聖』(伊東潤)- 千利休を中心に、戦国時代の堺と茶の湯文化を描いた歴史小説。
  • 『覇商の門』(火坂雅志)- 戦国時代の堺の豪商・今井宗久を主人公とした歴史小説。時代の波を生き抜いた宗久の成り上がりと野望を描いている。
  • 『日本永代蔵』(井原西鶴)- 江戸時代の町人社会や商人の経済感覚を描いた浮世草子。作中では堺について「堺は長者のかくれ里、根の知れぬ大金持ちその数知らず」と記され、堺の繁栄がうかがえる。
  • 『男色大鑑』(井原西鶴)- 男色を題材とした浮世草子。作中には堺を含む上方の都市文化や町人の価値観、美意識が反映されている[注 45]。
  • 『堺事件』(森鷗外)- 1868年に堺港で起こった「堺事件」を題材とした歴史小説。幕末から明治維新への転換期における国際関係や武士道精神を描く。
  • 『堺港攘夷始末』(大岡昇平)- 堺事件を題材とした歴史小説。事件の背景や当時の政治・社会情勢を詳細に描いている。
  • 『行人』(夏目漱石)- 作中に浜寺が登場する。この場面では、明治末から大正期にかけて、大阪近郊の海浜保養地として発展した浜寺の風景が描かれている。
    三人は浜寺で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大(おおき)な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘(こうもり)を開いたままさっさと行った。「もう来ているだろうか」「そうね。ことに因るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」。自分は二人の後に跟いて、こんな会話を聴きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚(びっくり)した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
  • 『卍』(谷崎潤一郎)- 女性同士の愛情や美への執着を描いた作品。主な舞台は芦屋・岡本(神戸市東灘区)周辺と大阪だが、終盤に浜寺の別荘が重要な舞台として登場する。1928年の発表当時、浜寺は大阪近郊を代表する海浜リゾートであり、近代的な都市文化を象徴する場所であった。
  • 『細雪』(谷崎潤一郎)- 四姉妹の生活を描いた谷崎潤一郎の代表作。浜寺を訪れる場面があり、戦前の浜寺の風景や別荘文化がうかがえる。
  • 『高野線』(織田作之助)- 作者が実際に暮らした北野田を背景に、亡き妻への追憶が描かれている。
  • 『おかあちゃんごめんね』(早乙女勝元)- 堺大空襲を題材とした児童文学。戦争の悲惨さと平和の大切さを描いている。
  • 『ななしのごんべさん』(田島征彦)- 堺を舞台に戦争と障害の問題を強く訴えかける絵本。
  • 『シマイチ古道具商 ―春夏冬人情ものがたり―』(蓮見恭子)- 現代の堺市を舞台にした小説。宿院や大小路など旧市街を背景に、古道具店を営む一家の人情を描く。
  • 『阪堺電車177号の追憶』(山本巧次)- 阪堺電車沿線を舞台とした連作ミステリー。実在の町並みが物語の背景となっている。

詩

  • 『夏花』『春のいそぎ』『反響』(伊東静雄)- 堺在住時代に、反正天皇陵や美原の田園風景を題材とした詩を残した。

唱歌

演芸

落語

  • 『さかい夢』- 堺市を題材とした創作落語。
  • 『妙国寺の蘇鉄』- 妙国寺に実在する「蘇鉄」の伝説を題材にした小咄。
  • 『堺飛脚』- 江戸時代の飛脚が主人公。
  • 『高野駕籠』- 高野山へ向かう街道が舞台の道中噺。
  • 『戒名書き』- 堺近辺の寺を舞台に演じられることが多い。

講談

舞台ではないがモデルとなった作品

脚注

出典

  1. ↑ “魅力あふれる自由都市・堺”. www.city.sakai.lg.jp. 2023年9月8日閲覧。
  2. ↑ 政令指定都市比較資料(面積・人口・区役所組織等)大阪府(2021年4月27日閲覧)
  3. ↑ “国勢調査でみる堺 平成27年度国勢調査結果”. www.city.sakai.lg.jp. 2022年2月4日閲覧。
  4. ↑ “参考表)製造品出荷額等の全国順位(拡大版)”. 太田市. 2024年5月21日閲覧。
  5. ↑ 地名と市章の由来 堺市(2021年4月27日閲覧)
  6. ↑ “堺環濠都市遺跡”. www.city.sakai.lg.jp. 2023年9月8日閲覧。
  7. ↑ “GD Freak.com”. 2024年6月5日閲覧。
  8. ↑ 堺(平年値)
  9. ↑ 堺(観測史上1~10位の値)
  10. ↑ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2026年6月19日閲覧。
  11. ↑ “観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2026年6月19日閲覧。
  12. ↑ 堺歴史年表 堺市(2021年5月8日閲覧)
  13. ↑ 小学校の倒壊相つぎ学童ら多数死傷『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  14. ↑ 大阪府立三国丘高等学校. “紡がれる120年の歴史”. 2021年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月20日閲覧。
  15. ↑ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、345頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
  16. ↑ 『堺市学童集団下痢症報告書』2.患者数 堺市ホームページ(2012年12月19日)2022年5月24日閲覧
  17. ↑ “堺市の新年度予算案は過去最大規模 「財政危機宣言」は2年で解除”. 朝日新聞DIGITAL (2023年2月1日). 2025年7月24日閲覧。
  18. ↑ “開票結果”. 堺市. 2021年5月11日閲覧。
  19. 1 2 “中もず駅前副都心計画 突如『そごう』が表面に 地権者組合と真向対立 出店計画を巡って”. ふるさと新聞. 1988年2月26日.
  20. 1 2 “堺・中百舌揺れる再開発、"西武決定"そごう反旗”. 日本経済新聞. 1988年4月20日.
  21. ↑ “堺市、対照的な二再開発計画――堺駅前と中百舌鳥駅前(崩れる商業秩序現地リポート)”. 日経流通新聞. 1990年5月31日.
  22. ↑ “中百舌鳥再開発暗礁に、地権者の準備組合、再コンペなど検討”. 日本経済新聞. 1991年12月14日.
  23. 1 2 “ニチイ、大阪・中百舌鳥再開発への出店、正式に断念”. 日本経済新聞. 1992年4月12日.
  24. ↑ “西武百・中百舌鳥出店を断念、堺市に正式表明、業績不振で見直し”. 日本経済新聞. 1992年10月14日.
  25. ↑ “そごう、出店中断、来年度の広島を最後に”. 日本経済新聞. 1993年7月6日.
  26. 1 2 “中百舌鳥駅前共同化事業・百貨店ビル 「そごう」が有力候補に/大阪”. 毎日新聞. 1997年12月5日.
  27. 1 2 “そごうの衝撃(4)浪速の夢のつめ跡――地域開発、青写真狂う”. 日経流通新聞. 2000年8月3日.
  28. ↑ 市議会の構成 堺市(2021年5月12日閲覧)
  29. ↑ 第19期大阪府議会議員一覧 選挙区別 大阪市議会(2021年5月12日閲覧)
  30. ↑ “堺市の合併の歴史”. www.city.sakai.lg.jp. 2021年5月14日閲覧。
  31. ↑ “政令指定都市への歩み”. www.city.sakai.lg.jp. 2021年5月14日閲覧。
  32. ↑ “海外姉妹・友好都市”. www.city.sakai.lg.jp. 2021年5月23日閲覧。
  33. ↑ “国内友好都市”. www.city.sakai.lg.jp. 2021年5月23日閲覧。
  34. ↑ Inc, Nikkei (2025年7月31日). “堺市の魚市場「堺魚市場」が閉鎖 江戸時代に起源、跡地はマンション”. 日本経済新聞. 2025年7月31日閲覧。
  35. ↑ “郵便局・ATMをさがす - 日本郵政グループ 大阪府堺市の検索結果”. 2022年8月11日閲覧。
  36. 1 2 “市外局番の一覧”. 2022年8月11日閲覧。
  37. ↑ 教職員の懲戒処分について
  38. ↑ “校長、テスト用紙を誤って破棄した女性教諭に「ばれたら文書訓告だ」”. 讀賣新聞オンライン. 2020年7月19日. 2020年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2020年7月19日閲覧.
  39. ↑ 藤本雅之 (2007). “新居浜の航空路回顧”. 愛媛県総合科学博物館研究報告 12: 20.
  40. ↑ 森口誠之『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』pp.148-150、JTB、2001年。
  41. ↑ 大阪モノレールの延伸について (PDF) - 大阪府、2016年1月

注釈

  1. ↑ 宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある。
  2. ↑ 大小路以北の堺市街は摂津国であった。
  3. ↑ 元大坂町には大坂商人の移住説がある。
  4. ↑ 和泉市にもまたがっている。
  5. ↑ いずれも2026年9月1日時点の推計人口
  6. ↑ 堺市立浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため、現在は遺構の大部分が失われ、現地に遺跡の形態は残っていない。
  7. ↑ 当時は摂津国住吉郡、現在の七道駅東側付近。
  8. ↑ 現在の大阪市中央区平野町や伏見町にその名を残す。
  9. ↑ 九間町にある十輪院の境内には、犠牲となった学童と教職員を悼む地蔵が建立されている。
  10. ↑ 戦後廃校となり、跡地には殿馬場中学校が開校した。
  11. ↑ 一般的に仁徳天皇陵と呼ばれる。
  12. ↑ 現在の和泉地域。
  13. ↑ 後に『後拾遺和歌集』に収録。
  14. ↑ 大浜公園内に擁護璽(安政地震記念碑)がある。
  15. ↑ 日本初の洋式近代紡績工場の一つ。
  16. ↑ 日本最初期の近代的な官営煉瓦工場。
  17. ↑ 日本最古級の公園。
  18. ↑ 大阪府立大学、現在の大阪公立大学の前身。
  19. ↑ 最初に施行した31市に名を連ねた。
  20. ↑ 第1会場は天王寺公園。
  21. ↑ 後に東京駅を設計した辰野金吾博士による。
  22. ↑ 全国で18番目、大阪府では大阪市に次いで2番目。
  23. ↑ 少女歌劇は阪堺電気軌道による大浜公会堂での公演を前身とする。
  24. ↑ 大和川の架橋は大和橋以来220年ぶり。
  25. ↑ 現在の真田山公園付近。
  26. ↑ 正式に廃止となったのは1980年。
  27. ↑ それぞれ浜寺キャンプ、金岡キャンプとなる。
  28. ↑ 堺市内の海水浴場がなくなる。
  29. ↑ 跡地は住宅公団に売却され浅香山団地に。
  30. ↑ 病院移譲により後に近畿大学医学部堺病院、現在は堺咲花病院となる。
  31. ↑ 大阪府立大学と統合された後、大阪公立大学に。
  32. ↑ 大阪府内初の世界遺産。
  33. ↑ 堺市消防局。堺市高石市消防組合を前身とする。大阪狭山市の受託は2021年(令和3年)4月1日からである。
  34. ↑ 大阪管区気象台が管理する堺地域気象観測所。大仙公園内に設置。
  35. ↑ 政令指定都市移行後は区役所へ移行。
  36. ↑ 戦後、映画館の宿院劇場などを経て、現在のウエルシア堺大町東店。
  37. ↑ 戦後、堺東駅西口に移転。現在のジョルノ。
  38. ↑ 2018年2月28日をもって一時閉店。
  39. ↑ 元は高島屋と関係がある丸高ストア。
  40. ↑ 2004年に堺 北花田阪急を核テナントに、ダイヤモンドシティ・プラウとして開業。
  41. ↑ 大和川の南側に位置し、松原市側へ食い込んでいる。
  42. ↑ 2025年11月、医学部・病院が大阪狭山市から堺市へ移転。2026年度に看護学部を開設。
  43. ↑ 堺側では中央分離帯にフェニックスが植栽されており、着工にはその伐採が必要であった。
  44. ↑ 『街道をゆく4 郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか』(朝日新聞出版)に「堺・紀州街道」を収録。
  45. ↑ 巻七 五「素人絵に悪や金釘」

関連項目

外部リンク