| H.O.T. | |
|---|---|
| 出身地 |
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| ジャンル | K-POP[1] |
| 活動期間 |
1996年 - 2001年 2018年 - |
| レーベル | SMエンタテインメント(1996年 - 2001年) |
| 事務所 | SMエンタテインメント(1996年 - 2001年) |
| 共同作業者 | ユ・ヨンジン |
| メンバー |
ムン・ヒジュン チャン・ウヒョク トニー・アン カンタ イ・ジェウォン |
H.O.T.(エイチオーティー、朝: 에이치오티)は、韓国の男性5人組アイドルグループ。韓国アイドル界第1世代。エスエム・エンタテインメントで出した最初のアイドルグループである。
グループ名は“High-five Of Teenagers”(ハイファイブ・オブ・ティーンエイジャー)の略で、「10代の勝利」という意味が込められている[2]。ファンからは「エチョティ」(에쵸티)とも呼ばれている[3]。1996年のデビューから2001年の解散まで韓国で圧倒的な人気を誇り、韓国アイドル界の歴史を変えたとも言われている。
ファンクラブの名称やファンの総称は『CLUB H.O.T.』。公式応援カラーは白。
ティーンエイジャーがそれまでの世代とは異なる高い消費力で、新たに韓国のポップカルチャーを担うようになっていた1994年に、彼らの取り込みを目論んだ韓国の芸能プロダクションSMエンタテインメント(以下「SM」)によって「10代の代弁者」として企画され、1年の選抜期間を経て1995年[4] に結成[5][6][7][8]。
1996年に、韓国音楽界にラップとダンスを浸透させ、10代に圧倒的な人気を誇りながらも突如として解散したソテジワアイドゥルと入れ替わるようにデビューした[6]。
当時の韓国では自己の音楽的アイデンティティーを反映させるのではなく、芸能プロダクション等他者がつくったコンセプトに基づいて結成され活動をする大量消費を前提としたアイドルグループというのは珍しかったが[9]、「1318世代」(13歳から18歳までの若年層)の女性らから熱狂的な人気を獲得して、第2のH.O.T.を狙ってデビューしたSechs Kiesなどのアイドルグループとともに、韓国ポップス界をアイドル中心に一変させる一大ブームを巻き起こした[6][10]。
その後、のちにSMP(SMミュージック・パフォーマンス)とも呼ばれる、社会問題をテーマにした歌詞にラップコア調の曲と派手なダンスを融合させた独特のスタイルを確立する一方[11]、1998年にリリースした3集からは、メンバーらが直接楽曲制作に携わり[12]、2000年の5集ではリード曲も含め全曲の作詞・作曲・編曲を手掛けるなど[13]、次第に他のアイドルグループとは異なる「独自性」をコンセプトとして打ち出したマーケティングにシフト転換した。
1998年からは中国本土でのマーケティングにも注力し、2000年に北京公演を成功。若年層に韓流という形で韓国ポップスを中国国内に浸透させた[14][11][15]。韓国国外でも一部のマニアファン層が存在し、日本ではデビューしていなかったが定期的に来日してファンクラブなどのイベントを行っており、2001年にはavexからオリジナルアルバム(日本盤)も発売した。
しかしメンバーが全員20代になり、大学卒業による兵役の延長が難しくなったことから、次第に「人気があるうちに解散するのでは」との憶測が囁かれ始めた[16][17][18]。
2000年11月にメンバーが飲酒運転により摘発されたことを受けて活動を自粛。
2001年2月27日に開催された単独コンサートにて解散説を否定したが、2001年4月にSMとの専属契約が満了したトニー・アン、チャン・ウヒョク、イ・ジェウォンの3人が翌5月、元SM社長[19] のチョン・ヘイクが理事を務めるエンターテインメント企業「サイダス」(後のサイダスFNHとiHQ)と当時同系列であった「イェジョン・メディア」に移籍し[20]、同年6月、契約が残っていたカンタとムン・ヒジュンがソロ歌手として、SMと再契約を結んだため、事実上解散を迎えた[21]。
移籍した3人は、2001年末に新たなグループjtLを結成[22]。当初、活躍が疑問視されていたが、アルバムは50万枚を超えるヒットとなった。[23]。しかし2004年から2005年にかけてメンバーの独立や移籍により[24][25][26] 自然消滅の状態となった[27]。
2018年1月29日に韓国の地上波局MBCがバラエティ番組「無限挑戦」の旧正月特番『土曜日、土曜日は歌手だ(토토가)シーズン3』にて再結成、2月15日にMBCドリームセンター公開ホールにて再結成ライブを行うことを発表。応募者が応募開始1日で当初の予想を遥かに超える10万人を突破したため、会場をソウルオリンピック公園内オリンピックホールに急遽変更した。
2018年2月15日 上記再結成公演が開催された。
2018年10月13日-14日の両日、蚕室オリンピック総合運動場ソウルオリンピック主競技場にて17年振りとなる単独コンサートを開催。
2025年1月11日・12日、高尺スカイドームにて開催された、SM創立30周年記念公演 「SMTOWN LIVE 2025 [THE CULTURE, THE FUTURE]」に、カンタとトニー・アンが出演。NCTやRIIZEのメンバーらと「Full Of Happiness」のステージを披露した[28][29] 。
SMの創設者であるイ・スマンが当初、プエルトリコのメヌードの卒業システムからヒントを得て、グループ名に「ティーンエイジャー」という言葉が使われていることからも分かるように、もともとは「10代による10代のためのグループ」であり、10代でなくなったメンバーは入れ替えられる予定であった[64]。しかし、予想以上に人気が出てしまいSMエンタテインメントはその計画を取り止め、結果的に解散までメンバーの交代は行われなかった[64]。
韓国ではアイドルのファンクラブごとに色を定め、その色の風船などを用いて応援するスタイルが定着しているが、これは元々H.O.T.のファンクラブがシンボル・カラーを白にして、白い風船を応援道具に用いたことに由来する[65]。この応援カラーには他の歌手のファンクラブと重複しないという不文律があるものの、色には限りがあるため同色を選んだファンクラブ同士で諍いが起こることが多く、H.O.T.のファンも2006年、男性歌手ピのファンらが既定の銀色ではなく白く光っているように見えるケミカルライト(サイリューム)を使ったことから、50人以上がピの所属事務所に押し掛けてそのケミカルライトの使用を止めるよう要請したことがある[66]。
韓国の公共放送局KBSは青少年に悪影響を与えるとして1997年に服装規定を設けて、出演者の衣装や髪型などに対する規制を開始したことから、H.O.T.は仕方なく、2集や3集の活動時はバンダナやキャップで茶髪や染色した髪を隠したが[67][68]、長い髪に濃いメイク、そして黒尽くめの衣装と日本のビジュアル系ロックバンド(GLAYなど)の影響を受けたと思われる姿でイメージ・チェンジを図った4集の際は[69] 何も被らずに出演しようとしたため、KBSから出演許可が出ず、同局でのプロモーション活動が一切できなかった[70]。それでもKBS側は年末のKBS歌謡大賞だけでも出てもらおうと局長級のプロデューサーまで駆り出してSMエンタテインメントやリーダーのムン・ヒジュンと掛け合ったものの、ムンがKBSにおもねっていると思われることを嫌って出演を固辞したことから、前年獲得した同大賞の候補者からも除外された[70]。
解散は、トニー・アン、イ・ジェウォン、チャン・ウヒョクの3人が将来に不安を抱いていたことに加え[20]、SMエンタテインメントとの金銭的条件が合わなかったこと[注釈 2]が原因だと言われている[73]。ただどちらが解散の引き金を引いたのかについては双方の説明に相違があり、3人は移籍会見の時、2001年1月にはすでにSMから「解散通知」を受け取っていたと語り、SM側はこれを否定して、H.O.T.の中国での人気を重視していたことから解散の意思はなく[74]、移籍先の親会社が株価釣り上げのため[注釈 3]SMのスタッフを引き抜いた上で契約の切れた3人を奪取したものであって[82]、逆に3人からはそれぞれ契約満了時に「解約通知」が送られてきたと反論している[83]。
いずれにしてもメンバーらは、この件に関して月日を重ねても多くを語ろうとしないため、真相は明らかとなっていない[84]。
メンバーらは決して仲違いしているわけではなく、解散後もH.O.T.の歌を披露することはないものの、数度イベントやコンサートで一堂に会している[85][86]。ただ再結成については、メンバーらは会うたびに話し合い[87]、解散2年後の2003年には中国での韓流を盛り上げるため、SMエンタテインメントのオーナーでプロデューサーでもあるイ・スマンの音頭で実現寸前までいったが、復活を目前にして多額のCM契約金が目当てと勘繰られ兼ねない報道が出たことから、誤解を避けるため見送られてしまい[84][88]、その後もたびたび話題には上るものの2017年まで実現には至らなかった。
| 年度 | 受賞内容 |
|---|---|
| 1996年 |
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| 1997年 |
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| 1998年 |
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| 1999年 |
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| 2000年 |
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| 2008年 |
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| 年度 | 受賞歴 |
|---|---|
| 1996年 |
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| 1997年 |
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| 1998年 |
10月18日 SBS「人気歌謡」1位 10月24日 MBC「音楽キャンプ」1位 10月31日 MBC「音楽キャンプ」1位(3週連続)(BEST OF BEST) 11月8日 SBS「人気歌謡」1位(通算2週間)
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| 1999年 |
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| 2000年 |
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PQS A87