エリック・リンドロス
| エリック・リンドロス OOnt | |
|---|---|
|
2016年 | |
| 本名 | エリック・ブライアン・リンドロス |
| 原語名 | Eric Bryan Lindros |
| 愛称 | ネクストワン、ビッグE |
| 生誕 |
1973年2月28日(53歳) オンタリオ州ロンドン |
| 身長 | 6 ft 4 in (1.93 m) |
| 体重 | 240 lb (110 kg; 17 st 2 lb) |
| ポジション | センター |
| ショット | 右打ち |
| 所属したチーム |
フィラデルフィア・フライヤーズ ニューヨーク・レンジャース トロント・メープルリーフス ダラス・スターズ |
| 代表 |
|
| NHLドラフト |
1巡目(全体1位)(1991年) ケベック・ノルディクス |
| プロ選手期間 | 1992年 – 2007年 |
| 2016年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子アイスホッケー | ||
| オリンピック | ||
| 銀 | 1992 アルベールビル | |
| 金 | 2002 ソルトレークシティ | |
| カナダカップ | ||
| 優勝 | 1991 | |
| 世界ジュニア選手権 | ||
| 金 | 1990 フィンランド | |
| 金 | 1991 カナダ | |
エリック・リンドロス(英語: Eric Lindros OOnt, 1973年2月28日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ロンドン生まれの元プロアイスホッケー選手である。ポジションはセンター。
1990年代のNHLを代表するスターの1人であり、パワーフォワードに革命をもたらしたとされる。また、業界において脳震盪(とその後遺症)に対する認識を見直すきっかけを作ったことでも知られている。オンタリオ勲章受勲者。
経歴
プロ入り前
1988-89シーズンに15歳でメトロ・トロント・ジュニアBリーグのセントマイケルズ・バザーズでプレーし、37試合で24ゴール67ポイント、193分のペナルティタイムを記録し、バザーズをオンタリオ州チャンピオンに導いた。
16歳でメジャージュニアのオンタリオホッケーリーグ (OHL) のドラフトでフィル・エスポジトがオーナーのスーセントマリー・グレイハウンズに1位指名されたが、まだ地元を離れる段階にないとプレーを拒否し、1989年から90年の初めをNAHLのデトロイト・コンピュウェア・アンバサダーズで過ごした。最終的にリンドロスの権利はオシャワ・ゼネラルズに譲渡され、加入したシーズンに25試合で36ポイントを記録し、ジェネラルズのメモリアル・カップ獲得に貢献した。
翌シーズン、リンドロスはOHLトップとなる149ポイントを記録し、リーグ最優秀選手に贈られるレッド・ティルソン賞を獲得し、CHL年間最優秀選手にも選出された。
プロ入りとフライヤーズ時代
1991年にNHLドラフト全体1位指名権を持っていたケベック・ノルディクスに指名されたが、オーナーへの印象が良くなかったリンドロスは拒否し、オシャワに戻りジュニアシーズンを続けた。1992年までにノルディクスはリンドロスのトレードをまとめ、最終的にフィラデルフィア・フライヤーズにトレードされた。
ウェイン・グレツキーのグレート・ワン (The Great One) に続くネクスト・ワン (The Next One) と称された背番号88番のリンドロスは[1]すぐにNHLで最も支配的な選手の一人となり、8番のマーク・レッキ、18番のブレント・フェディクと共に「クレイジー8」ラインでプレーした。1992-93シーズンのNHL初年度には膝の怪我で約20試合を欠場したが61試合で41ゴール75ポイントを挙げ、さらに147分のペナルティタイムを記録し、NHLオールルーキーチームに選ばれた。2年目には44ゴール、97ポイント、103分のペナルティを記録した。
1994-95シーズン前に、リンドロスはフライヤーズのキャプテンに就任した。ジョン・ルクレア、ミカエル・レンバーグと共に最も高圧的で支配的なラインの1つである『リージョン・オブ・ドゥーム』の中核として3シーズンプレーし、ストライキによる短縮シーズンにはリーグ2位となる29ゴール70ポイントを記録した。フライヤーズは6シーズンぶりにプレーオフに進出し、リンドロスはハート記念賞とレスター・B・ピアソン賞を受賞し、さらにNHLオールスターチーム(ファースト)にも選ばれた。
4年目に47ゴール115ポイントでポイントランキング6位となり、セカンドオールスターチームに選出された。翌1996-97シーズンは鼠径部の怪我で最初の23試合を欠場したが、フライヤーズはプレーオフに進出し、ピッツバーグ・ペンギンズ、バッファロー・セイバーズ、ニューヨーク・レンジャースをそれぞれ5試合で破りスタンレーカップ決勝に進出したが、デトロイト・レッドウィングスにスイープされ、プレーオフ19試合26ポイントでトップのリンドロスは、決勝シリーズではわずか1ゴールのみに終わった。
翌1997-98シーズン中の3月7日にダリウス・カスパライティスからヒットを受け、最初の脳震盪を起こして18試合を欠場した。1998-99シーズンには脳震盪と気胸で治療を受けながらも93ポイントを記録した。
翌1999-2000シーズン、さらに2回の脳震盪が重なり、チームの医師は彼の症状を重度の片頭痛と誤診したため、リンドロス家は当時リンドロスのプレーに批判的であったゼネラルマネージャーのボビー・クラークと対立し、リンドロスはシーズン中にキャプテンの座を剥奪された。シーズンの残りを欠場し、復帰に向けたリハビリ中に再び脳震盪に見舞われた。イースタン・カンファレンス・ファイナル第6戦で復帰し、5月26日の翌第7戦の第1ピリオドに、ニュージャージー・デビルスのスコット・スティーブンスから顎にショルダーチャージを受け、27ヶ月間で6度目の脳震盪を負い、これがフライヤーズでの最後の試合となった。リンドロスは2000年夏にフライヤーズとの再契約を拒否し、クラークにトロント・メープルリーフスへ権利を売却するよう要求したが、クラークは拒否し、リンドロスは翌シーズンを欠場した。
2001年夏に制限付きフリーエージェントとなり、最終的にフライヤーズからニューヨーク・レンジャースへトレードされた。フライヤーズでの8シーズンで1試合平均1.36ポイントを記録し、マリオ・ルミュー (2.11) とヤロミール・ヤーガー (1.45) に次ぐ成績を残したが、ほぼ4分の1の140試合を欠場した。
レンジャース時代
リンドロスはニューヨーク・レンジャースで憧れのマーク・メシエの元で3シーズン過ごし、2001-02シーズンには73ポイントを挙げ、NHLオールスターゲームに選出された。2003–04シーズン中に肩の怪我と脳震盪を負い、チームはプレーオフ進出を逃したため、レンジャースはリンドロスとの再契約を見送った。
リーフス時代
2004-05年のNHLロックアウト後に、トロント・メープルリーフスと1年契約を結んだ。左手首の靭帯断裂によりトロントでの在籍期間は苦しんだものの、地元のチームでプレーする夢を叶えた。
スターズ時代
2006-07シーズンにダラス・スターズと1年契約を結び、鼠径部の怪我と闘いながらシーズン49試合に出場、26ポイントを記録し、プレーオフにも出場した。
2007年11月8日に34歳で正式に引退した。[2]レギュラーシーズン760試合で372ゴール、493アシスト、865ポイントと1,398分のペナルティを記録し、ポストシーズンでは53試合で24ゴール33アシスト57ポイント、122分のペナルティタイムを記録した。
引退後
NHL選手会で新たなキャリアをスタートさせ、オンブズマンに任命された。彼は新しい事務局長 (ポール・ケリー) の選考委員会を主導した5人の選手のうちの1人であり、2009年2月に退任した。
その後は、オンラインおよびモバイル教育用のプラットフォームを開発したウォータールーのテクノロジー企業「ClevrU」で働いた。
ウェスタン大学が主催する脳震盪研究と啓発活動「See The Line」の名誉議長を務め、毎年夏にシンポジウムを開催したり、キャリアの中で頻繁に治療を受けたファウラー・ケネディ・スポーツメディカルクリニックを収容するロンドン健康科学財団への500万ドルの寄付など、多くの慈善活動にも取り組んでいる。
2013年、リンドロスはローワン法(Rowan's Law)の制定を強く主張した。[3]この法律は、1週間足らずの間に3度の脳振盪を負った末に亡くなった17歳のラグビー選手であるローワン・ストリンガーにちなんで名付けられたもので、アスリートを競技に復帰させる前に、医師やトレーナーが脳振盪の繰り返しによる原因や影響を確認するためのチェックリストを盛り込んだその法案は3年後に可決され、オンタリオ州はカナダで脳振盪に関する法整備を行った最初の州となった。
2016年にホッケーの殿堂入りを果たし、[4]2017年に最高のNHLプレーヤー100人に選出された。2023年8月17日にオンタリオ勲章を受勲した。[5]
代表歴
1990年と1991年それぞれの世界ジュニア選手権トーナメントで16歳と17歳の年齢にもかかわらず、ほぼすべての選手を凌駕する活躍を見せ、1990年は4ゴール16ヒット、1991年はわずか7試合で6ゴール11アシストを記録し、カナダは2年間で10勝2敗2分の成績を残し大会を連覇した。1992年は7試合でチームトップの10ポイントを挙げ、通算31ポイントはカナダジュニア選手の中で歴代2位にランクされている。[6]
1991年のカナダカップでは唯一10代選手(18歳)として出場し、NHLデビューまではまだ1年以上あった中で8試合5ポイントを記録し、チームの優勝に貢献した。
1992年アルベールビルでオリンピック初出場を果たし、大会で4ゴールを挙げ、カナダにとって1968年オリンピック以来初の表彰台となる銀メダル獲得に貢献した。[7]
1993年の世界選手権に出場し、8試合で大会トップの11ゴール17ポイント+16を記録して、1991年のジュニア選手権に続きベストフォワードとオールスターチームに選出された。
1996年のワールドカップ・オブ・ホッケーに出場し、8試合で3ゴール3アシスト6ポイント挙げたものの、チームは準優勝に終わった。[8]
リンドロスは1998年冬季オリンピックのキャプテンに任命され、6試合で2ゴール5ポイントを記録し、準決勝のシュートアウトではカナダ4番目のシューターを務めた。2002年冬季オリンピックではカナダ代表の男子アイスホッケー50年ぶりのオリンピック金メダルを獲得した。
プレーと影響
サイズ、強さ、スピード、技術の独特な組み合わせを持ち、フィジカルで繊細なハンドリングと優れたプレーメイキング能力を持つリンドロスは最盛期には圧倒的な存在で、怪我でキャリアが停滞し始める前の数年間は、間違いなく最もエキサイティングで支配的な選手の1人であった。
規律の高い選手であったにも関わらず、240ポンドのリンドロスは一旦パックを所有すれば相手を避ける必要なく弾き飛ばせる強さを持っていたため、意図せずペナルティ分数は増えた。頭部外傷に対する認識の不十分な時代に、頭を下げたまま相手を突破するたびに頭部にヒットを受け度々脳震盪を起こし、事後には精神的、感情的な苦痛を味わうこととなった。キャリア後期にセンターからウィングにポジションを変更した理由は、恐怖から逃れるために密集を強引に突破するプレーを避けていたためであると語っている。やがて人前でのスピーチや人混みの中にいることを考えるだけで、身動きが取れなくなるほどの恐怖を覚えるようになった。[9]
リンドロスが脳振盪を負って以来、その怪我の深刻さや複雑さに対する認識は高まってきた。最終的にNHLは彼の言葉を真剣に受け止め、頭と首へのチェックに対して罰金を科し、選手の安全管理部門を設置した。[10]同じ境遇にある選手たちも声を上げ始め、リンドロスは彼らを励まし続けた。リンクの幅を10フィート広げる、あるいは試合のスピードを抑えるために「センターラインパス」のルールを復活させるなどして、リーグが競技の安全性を高めることも求めている。
ボビー・クラークは「エリックは長年にわたり最高の選手でした。あれほどの体格、スケーティング能力、技術、そして時には相手を威圧するような激しさや荒々しさを兼ね備えた選手は、他に見たことはありません。誰もがそのような選手を夢見るもので、フライヤーズは彼を迎えることができて幸運でした。彼は殿堂入りにふさわしい選手で、間違いなくその資格がありました。以前にエリックの両親がチームの医療スタッフを批判したことについて、今は彼らがエリックのことを思って行動していたのだとよく理解できます。あの出来事がきっかけとなって、NHLはより多くの情報を求め、脳震盪を負ったすべての選手のために対策を講じるようになりました。彼は、脳震盪に関する一連の取り組みの先駆けとなったのです。」と語った。リンドロスは苦しく困難なキャリアの後半を支えてくれた両親と妻に感謝し、クラークとリンドロスはフィラデルフィアで行われた2012年のNHLウィンタークラシック前の同窓会の試合に共に出場し、以降は次第にわだかまりは溶け、お互い穏やかに話し合えるようになった。
メジャージュニアとNHLに入る際に指名チームを拒否したことは、当時は嘲笑の的であったが、昔ながらの「言われたところに行け」という考え方に反する自己決定の試みを、まだNHLで試合をしていない18歳の若者が表明したことは前例のないことであった。フライヤーズとの再契約を拒否し故郷であるトロントへのトレードを要求したように、今何が最善かを主体的に考え行動する姿勢を氷上の内外で貫いた。それは後のノートレード条項といった契約における選手主体の意思決定の向上に影響を与えたとも言われている。
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフの成績
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | 試合 | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1988–89 | St. Michael's Buzzers | CJBHL | 37 | 24 | 43 | 67 | 193 | 27 | 23 | 25 | 48 | 155 | ||
| 1988–89 | カナダ | Intl | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1989–90 | Detroit Compuware Ambassadors | NAHL | 14 | 23 | 29 | 52 | 123 | — | — | — | — | — | ||
| 1989–90 | カナダ | Intl | 3 | 1 | 0 | 1 | 4 | — | — | — | — | — | ||
| 1989–90 | オシャワ・ゼネラルズ | OHL | 25 | 17 | 19 | 36 | 61 | 17 | 18 | 18 | 36 | 76 | ||
| 1989–90 | オシャワ・ゼネラルズ | M-Cup | — | — | — | — | — | 4 | 0 | 9 | 9 | 12 | ||
| 1990–91 | オシャワ・ゼネラルズ | OHL | 57 | 71 | 78 | 149 | 189 | 16 | 18 | 20 | 38 | 93 | ||
| 1991–92 | オシャワ・ゼネラルズ | OHL | 13 | 9 | 22 | 31 | 54 | — | — | — | — | — | ||
| 1991–92 | カナダ | Intl | 24 | 19 | 16 | 35 | 34 | — | — | — | — | — | ||
| 1992–93 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 61 | 41 | 34 | 75 | 147 | — | — | — | — | — | ||
| 1993–94 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 65 | 44 | 53 | 97 | 103 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 46 | 29 | 41 | 70 | 60 | 12 | 4 | 11 | 15 | 18 | ||
| 1995–96 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 73 | 47 | 68 | 115 | 163 | 12 | 6 | 6 | 12 | 43 | ||
| 1996–97 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 52 | 32 | 47 | 79 | 136 | 19 | 12 | 14 | 26 | 40 | ||
| 1997–98 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 63 | 30 | 41 | 71 | 134 | 5 | 1 | 2 | 3 | 17 | ||
| 1998–99 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 71 | 40 | 53 | 93 | 120 | — | — | — | — | — | ||
| 1999–00 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 55 | 27 | 32 | 59 | 83 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2001–02 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 72 | 37 | 36 | 73 | 138 | — | — | — | — | — | ||
| 2002–03 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 81 | 19 | 34 | 53 | 141 | — | — | — | — | — | ||
| 2003–04 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 39 | 10 | 22 | 32 | 60 | — | — | — | — | — | ||
| 2005–06 | トロント・メープルリーフス | NHL | 33 | 11 | 11 | 22 | 43 | — | — | — | — | — | ||
| 2006–07 | ダラス・スターズ | NHL | 49 | 5 | 21 | 26 | 70 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 | ||
| NHL 合計 | 760 | 372 | 493 | 865 | 1,398 | 53 | 24 | 33 | 57 | 122 | ||||
国際試合
| 年度 | チーム | 大会 | GP | G | A | Pts | PIM | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | カナダU20 | 世界ジュニア | 7 | 4 | 0 | 4 | 14 | |
| 1991 | カナダU20 | 世界ジュニア | 7 | 6 | 11 | 17 | 6 | |
| 1991 | カナダ | カナダカップ | 8 | 3 | 2 | 5 | 8 | |
| 1992 | カナダ | 世界ジュニア | 7 | 2 | 8 | 10 | 12 | |
| 1992 | カナダ | オリンピック | 8 | 5 | 6 | 11 | 5 | |
| 1993 | カナダ | 世界選手権 | 8 | 11 | 6 | 17 | 10 | |
| 1996 | カナダ | ワールドカップ | 8 | 3 | 3 | 6 | 10 | |
| 1998 | カナダ | オリンピック | 6 | 2 | 3 | 5 | 2 | |
| 2002 | カナダ | オリンピック | 6 | 1 | 0 | 1 | 8 | |
| ジュニア 合計 | 21 | 12 | 19 | 31 | 32 | |||
| シニア 合計 | 44 | 25 | 20 | 45 | 43 | |||
賞歴

- メモリアル・カップオールスターチーム:1990年
- レッド・ティルソン賞:1991年
- CHL年間最優秀選手:1991年
- 世界ジュニア選手権オールスターチーム、ベストフォワード:1991年
- NHLオールルーキーチーム:1993年
- 世界選手権オールスターチーム、ベストフォワード:1993年
- NHLオールスターゲーム選出:7回(1994, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2002年)
- ハート記念賞:1回(1995年)
- レスター・B・ピアソン賞:1回(1995年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:1回( 1995年)
- 2ndチーム:1回(1996年)
- ホッケーの殿堂:2016年
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
背番号
- 88(2008年3月6日オシャワ・ゼネラルズ、2018年1月18日フィラデルフィア・フライヤーズの永久欠番)
出典
- ↑ 「Lindros was subject of controversy at NHL Draft」NHL.com 2026年8月6日閲覧
- ↑ 「Eric Lindros retires from NHL」CBC Sports Nov 09, 2007 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「Eric Lindros, who suffered from concussions, supporting MPP Lisa MacLeod's bill "Rowan's Law" on concussion protocol」Jane Taber,X.com 2016年4月6日 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「Eric Lindros earns due with Hall of Fame induction」Nicholas J. Cotsonika@cotsonika NHL.com Columnist November 15, 2016 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「Order in Council 1156/2023」Government of Ontario 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「Men's U20 World Championships All-Time Points Leaders」QuantHockey 2026年8月3日閲覧
- ↑ 「Eric Lindros」Canadian Olympic Committee 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「World Cup of Hockey」Hockey Hall of Fame 2026年8月6日閲覧
- ↑ 「Eric Lindros」CTE Society 2026年8月4日閲覧
- ↑ 「Department of Player Safety」NHL.com 2026年8月4日閲覧
外部リンク
- “Eric Lindros” (英語). ホッケーの殿堂公式サイト. Hockey Hall of Fame. 2026年8月3日閲覧。
- Nicholas J. Cotsonika (2017年1月1日). “Eric Lindros: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年8月3日閲覧。
- Nicholas J. Cotsonika (2016年11月12日). “Eric Lindros had big man's size, small man's skill” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年8月3日閲覧。
- Justin Johnson (2011年10月17日). “Interview With Eric Lindros On His Career, Concussions, Winter Classic Reunion Rumors, More” (英語). The Hockey Writers. 2026年8月3日閲覧。
- “Eric Lindros: Through The Years” (英語). SPORTS ILLUSTRATED (2013年7月9日). 2026年8月3日閲覧。
- Ken Campbell (2016年2月15日). “The Big Easy: Eric Lindros is healthy and happy after blazing a trail for player safety” (英語). The Hockey News. 2026年8月3日閲覧。
- Ben Donahue. “The Life And Career Of Eric Lindros (Story)” (英語). Prohockeyhistory.com. 2026年8月3日閲覧。
- “Eric Lindros” (英語). Elite Prospects. 2026年8月3日閲覧。