ヤロミール・ヤーガー
| ヤロミール・ヤーガー | |
|---|---|
|
| |
| 生誕 |
1972年2月15日(54歳) (現・ 中央ボヘミア州クラドノ |
| 身長 | 6 ft 3 in (1.91 m) |
| 体重 | 240 lb (110 kg; 17 st 2 lb) |
| ポジション | 右ウイング |
| シュート | 左打ち |
| 所属チーム | HCクラドノ |
| 過去所属 |
ピッツバーグ・ペンギンズ HCボルツァーノ ワシントン・キャピタルズ ニューヨーク・レンジャース アヴァンギャルド・オムスク フィラデルフィア・フライヤーズ ダラス・スターズ ボストン・ブルーインズ ニュージャージー・デビルス フロリダ・パンサーズ |
| 代表 | チェコ |
| NHLドラフト |
5位(1990年) ピッツバーグ・ペンギンズ |
| プロ選手期間 | 1988年 – 現在 |
ヤロミール・ヤーガー(チェコ語: Jaromír Jágr チェコ語の発音: [ˈjaromiː:r ˈjaː:ɡr̩] (
音声ファイル), 1972年2月15日 - )は、チェコスロバキアのクラドノ生まれのチェコのプロアイスホッケー選手。ポジションは右ウイング。
経歴
3歳でスケートを始め、5歳の頃から身体トレーニングを取り入れ、学校に通い始める前から組織的なチームでアイスホッケーをプレーし、日常的に自分より年上の子供たちとプレーしていた。飛び級の12歳で加入した地元クラドノのジュニアチームを経て、チェコスロバキア・エクストラリーグのHCクラドノに16歳で加入する。1985年にプラハで開催された世界選手権を観戦し、カナダの若きスター、マリオ・ルミューに魅了されたと伝えられ、自分もいつかNHLに入りたいという夢を見始めた。
1989年4月に開催された第23回ヨーロッパジュニアアイスホッケー選手権のチェコスロバキアU20代表に選出され、銀メダルを獲得した。
1990年1月に開催された世界ジュニア選手権の代表に選出され、ボビー・ホリク、ロベルト・ライヘル、ヤーガーのラインは大活躍をした。このジュニアトリオは4月から開催された1990年アイスホッケー世界選手権のチェコスロバキア代表の4列目に起用され、チームはポール・コフィーやスティーブ・アイザーマンを擁するカナダを破り、ヤーガーはこの瞬間に、自分がNHLでプレーするのに十分だと実感したと語っている。
ペンギンズ時代
先の世界ジュニア選手権でペンギンズにスカウトされていたヤーガーは、NHLドラフト1巡目(全体5位)でピッツバーグ・ペンギンズから指名を受けた。
1990-91シーズンにNHLデビューを果たし、80試合に出場し27ゴール30アシストを記録する。ペンギンズはスタンレーカップを獲得し、NHLキャリア最初のシーズンでカップ優勝を経験した。 自身もプレイオフで24試合に出場し3ゴール10アシストを記録している。シーズン終了後にNHLオールルーキーチームに選出された。
1991-92シーズンでもプレイオフでチームはスタンレーカップを獲得し、2年連続スタンレーカップ優勝を経験して、20歳までに2度スタンレーカップを掲げた唯一の選手となり、ピッツバーグではヤーガーの長い巻き毛のヘアスタイルが流行し始めた。
1994年4月に開催された第58回アイスホッケー世界選手権のアイスホッケーチェコ代表に選出された。
1994-95シーズンNHLロックアウト中は、母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノの他に、アルペンリーガのHCボルツァーノ、そして2.アイスホッケー・ブンデスリーガでプレーした。ロックアウトの解除後の48試合でリーグ最多の70ポイントを記録して初のアート・ロス記念賞を受賞した。彼の32ゴールはNHLで2位にランクされ、リーグMVPのハート記念賞のファイナリストにもなった。
1995-96シーズン、ほぼ完全な健康状態でペンギンズに復帰したマリオ・ルミューは69ゴール92アシスト161ポイント、ヤーガーは62ゴール87アシスト149ポイントを記録しポイントランキングを1-2フィニッシュで終え、ヤーガーは右ウィングのシーズンアシストとポイント記録を更新した (アシストは2026年現在歴代2位)。同じサイズと技術レベルを兼ね備えたルミューとのパワープレーユニットは史上最強デュオの1つと称されたが、普段は優れた守備センターのロン・フランシスや、チェコの同胞であるピーター・ネドベドと組んでプレーすることが多かった。
1996年4月から5月に開催された第60回アイスホッケー世界選手権のチェコ代表に選出された。続いて、8月から9月に開催された第1回ワールドカップ・オブ・ホッケーのチェコ代表に選出された。
1996-97シーズンは鼠径部の怪我で19試合を欠場し、さらにルミューが引退を発表したにもかかわらず、35ゴールとリーグ最多の67アシストを記録し、以降4年連続のNHLポイント王の最初となる2度目のアート・ロス記念賞を獲得した。ハート記念賞のファイナリストにも選出されたが、ドミニク・ハシェックに敗れた。キャリアの全盛期に入ったヤーガーは、1998年1月にペンギンズと5年4800万ドルの契約を結び、当時リーグで最も高給の選手となった。
1998年2月に開催された長野オリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出された。同大会では1ゴール4アシストを記録し、ハシェックとともに金メダルを獲得した。
1998-99シーズンには、フランシスの退団後、ペンギンズのキャプテンを引き継ぎ、リーグMVPとしてついにハート記念賞を受賞し、選手たちが選んだMVPであるレスター・B・ピアソン賞とポイント王も獲得した。1999年5月に開催された第63回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。
1999-2000シーズンは足と背中の怪我でシーズンの4分の1を欠場したにもかかわらず、再びポイント王の座を守った。2000年4月から5月に開催された第64回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。
ルミューがチームに復帰した2000-01シーズンに、NHL史上4人目となる4年連続のポイント王を達成し、52ゴールとリーグ最多の69アシスト、合計121ポイントを記録した。11月と3月のNHL月間最優秀選手に選ばれ、シーズン中に400ゴール1,000ポイントを記録し、NHLでの800試合出場も達成した。2001年4月から5月に開催された第65回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。
キャピタルズ時代
ペンギンズが財政難となり、2001-02シーズンからはワシントン・キャピタルズに移籍した。 キャピタルズでのヤーガーのパフォーマンスは、1試合1ポイント以上を挙げたものの、大枚をはたいたチームの首脳陣を満足させるほどのものではなかった。この頃はオンラインでのギャンブルで約100万ドルの借金を負うなど、公私ともに低調であった。
ロックアウトの準備が進められ、新たなサラリーキャップの導入が検討される中、リーグ最大の契約 (7年間で7700万ドル) が足かせとなり、チームはヤーガーを放出せざるを得なくなった。
レンジャース時代
2003-04シーズン途中にニューヨーク・レンジャースに移籍している。レンジャースがヤーガーと結んだ契約はキャピタルズがヤーガーの年俸の一部を負担するというものであった。 2004年4月から5月に開催された第68回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。8月から9月に開催された第2回ワールドカップ・オブ・ホッケーのチェコ代表にも選出された。
2004-05シーズンはNHLがロックアウトとなった影響でまず母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノでプレーした。その後、ロシアスーパーリーグ(RSL)のアヴァンギャルド・オムスクでプレーし、決勝ゴールを決めて初のヨーロッパクラブ王者となった。2005年4月から5月に開催された第69回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。同大会でチェコは優勝し、トリプル・ゴールド・クラブのメンバーとなった。
2005-06シーズン、ヤーガーにはオムスクへの完全移籍のうわさがあったもののレンジャーズに復帰した。シーズン途中の2006年2月に開催されたトリノオリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出された。同大会では銅メダルを獲得している。シーズンでは、ゴールとポイントでフランチャイズ記録となる54ゴール69アシスト123ポイントをあげる活躍を見せ、チームは(ロックアウトされた1シーズンを除いて)過去7シーズン出場できていなかったプレイオフに進出した。 しかし、クォーターファイナルでニュージャージー・デビルスに敗れて、敗退している。
2006-07シーズン、ヤーガーはキャリア2度目となるキャプテンマーク(Cマーク)をつけてプレイしたが、成績は下降した。 二年連続でプレイオフに進出し、ファーストラウンドでプレイオフ初出場のアトランタ・スラッシャーズを四連勝のスウィープで破るものの、セカンドラウンドでバッファロー・セイバーズに破れた。
オムスク時代
2007-08シーズン終了後、レンジャーズとの契約延長交渉がまとまらず、KHLのアヴァンギャルド・オムスクと契約を結んだ。
2010年2月に開催されたバンクーバーオリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出され、チェコ共和国選手団の旗手も務めた。 2010年5月に開催された第74回目アイスホッケー世界選手権のチェコ代表に選出され優勝し、10月にはヴァーツラフ・クラウス大統領からホッケー選手として4人目となる国家功労勲章を授与された。
2011年4月から5月に開催された第75回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。夏には父親からクラドノのクラブの過半数の株式を引き継ぎ、現役の選手兼オーナーとなった。
フライヤーズ時代
2011年7月1日にNHLの古巣ペンギンズとはペンシルベニア州内のライバル関係にあるフィラデルフィア・フライヤーズと1年契約を結び、ペンギンズのファンからの反感を買った。
スターズ時代
2012年7月3日にダラス・スターズと1年契約を結んだ。NHLがロックアウトの際には母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノでプレーした。NHLのロックアウトが終了後、2013年1月19日にスターズ初出場を果たした。3月29日のミネソタ・ワイルド戦でNHL通算1000アシストを記録した。
ブルーインズ時代
2013年4月2日にトレードでディビジョンタイトル争いをしていたボストン・ブルーインズへ40歳で移籍した。4月4日にブルーインズ移籍後初出場を果たした。オフの6月23日に契約延長は行わないことが発表された。
デビルズ時代
2013年7月22日にニュージャージー・デビルスと1年契約を結んだ。
2013-2014年シーズンは2013年10月7日のエドモントン・オイラーズ戦で移籍後初ゴールを記録した。
2014年5月に開催された第78回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。
パンサーズ時代
2015年2月26日にフロリダ・パンサーズげトレードで移籍した。2月28日に移籍後初出場を果たした。
2015年5月に開催された第79回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。 2015–16年シーズン、NHLでシーズン60ポイントを超えた最年長選手となり、勤勉さとオフアイスでの指導力が高く評価されビル・マスタートン記念賞を受賞した。
2016-17年シーズンは2016年10月20日にNHL史上3人目となる通算750ゴールを記録した。オフにFAとなった。
フレームス時代
2017年10月4日に44歳でカルガリー・フレームスと1年契約を結んだ。
2018年1月にウェイバー公示にかけられ、NHLキャリアの最後となった。
HCクラドノ復帰
フレームズからウェイバーにかけられた後、チェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノに復帰した。移籍後5試合目の試合で負傷し、膝を手術し、シーズン終了となった。
2018年5月14日に現役続行を宣言し、30シーズン目に突入した。 2019年4月19日には1試合4ゴールを記録している。
2024年、国際アイスホッケー連盟殿堂入りを果たした。[1]
2025年1月、HCクラドノの株式の20%のみを保持し、残りを大富豪トマーシュ・ドラスティルに売却した。
選手としての特徴
恵まれた体格と忍耐力、パワー、スキルとゴールセンスを兼ね備えているスーパースターである。強力なスケートのバランスと長いリーチを生かした繊細なパックハンドリングを組み合わせたパックプロテクションの能力は他の追随を許さず、ヤーガーからパックを引き離すことは非常に困難であったため、多くのスコアリングチャンスを生み出すことができた。最盛期には自分の能力に非常に自信を持っていたため、チームやコーチと対立することも多く、正当な評価とプレーの機会を得られていないと感じると、あっさりと所属チームを離れることも多かった。
東欧革命により東側の選手がNHLドラフト対象になった最初の選手であり、NHLで最も成功したヨーロッパ出身選手の1人である。ペンギンズはすぐに彼をピッツバーグに連れて行き、チェコ人の家族を見つけてホームステイさせ、最初のトレーニングキャンプの約1か月前に集中的な英語の家庭教師を手配し、ヤーガーの友人でありメンターとなるチェコ選手イジー・フルディーナを獲得するなど、ヤーガーの育成には十分な注意を払った。
背番号の『68』は移籍されても変わることがないが、これはプラハの春での出来事を忘れないようにつけられたもの。彼の祖父はソ連によって連行され、獄中で食事も与えられず体調を崩し、革命後に釈放された後に亡くなったとされるが、ヤーガー本人はロシア人という民族に対して何の敵意もないと説明し、2001年にはプラハで正教に改宗している。2024年2月18日、ピッツバーグ・ペンギンズ3人目の永久欠番に認定された。[2]
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフの成績
Regular season and playoffs
太字はリーグトップ
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1984–85 | Poldi SONP Kladno | TCH U18 | 34 | 24 | 17 | 41 | — | — | — | — | — | — | ||
| 1985–86 | Poldi SONP Kladno | TCH U18 | 36 | 41 | 29 | 70 | — | — | — | — | — | — | ||
| 1986–87 | Poldi SONP Kladno | TCH U20 | 30 | 35 | 35 | 70 | — | — | — | — | — | — | ||
| 1987–88 | Poldi SONP Kladno | TCH U20 | 35 | 57 | 27 | 84 | — | — | — | — | — | — | ||
| 1988–89 | Poldi SONP Kladno | TCH | 29 | 3 | 3 | 6 | 4 | 10 | 5 | 7 | 12 | 0 | ||
| 1989–90 | Poldi SONP Kladno | TCH | 42 | 22 | 28 | 50 | 14 | 9 | 8 | 2 | 10 | 4 | ||
| 1990–91 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 80 | 27 | 30 | 57 | 42 | 24 | 3 | 10 | 13 | 6 | ||
| 1991–92 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 70 | 32 | 37 | 69 | 34 | 21 | 11 | 13 | 24 | 6 | ||
| 1992–93 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 81 | 34 | 60 | 94 | 61 | 12 | 5 | 4 | 9 | 23 | ||
| 1993–94 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 80 | 32 | 67 | 99 | 61 | 6 | 2 | 4 | 6 | 16 | ||
| 1994–95 | Poldi SONP Kladno | CZE | 11 | 8 | 14 | 22 | 10 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | HC Bolzano | ITA | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | HC Bolzano | ALP | 5 | 8 | 8 | 16 | 4 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | Schalker Haie 87 | DEU.2 | 1 | 1 | 10 | 11 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1994–95 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 48 | 32 | 38 | 70 | 37 | 12 | 10 | 5 | 15 | 6 | ||
| 1995–96 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 82 | 62 | 87 | 149 | 96 | 18 | 11 | 12 | 23 | 18 | ||
| 1996–97 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 63 | 47 | 48 | 95 | 40 | 5 | 4 | 4 | 8 | 4 | ||
| 1997–98 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 77 | 35 | 67 | 102 | 64 | 6 | 4 | 5 | 9 | 2 | ||
| 1998–99 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 81 | 44 | 83 | 127 | 66 | 9 | 5 | 7 | 12 | 16 | ||
| 1999–2000 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 63 | 42 | 54 | 96 | 50 | 11 | 8 | 8 | 16 | 6 | ||
| 2000–01 | ピッツバーグ・ペンギンズ | NHL | 81 | 52 | 69 | 121 | 42 | 16 | 2 | 10 | 12 | 18 | ||
| 2001–02 | ワシントン・キャピタルズ | NHL | 69 | 31 | 48 | 79 | 30 | — | — | — | — | — | ||
| 2002–03 | ワシントン・キャピタルズ | NHL | 75 | 36 | 41 | 77 | 38 | 6 | 2 | 5 | 7 | 2 | ||
| 2003–04 | ワシントン・キャピタルズ | NHL | 46 | 16 | 29 | 45 | 26 | — | — | — | — | — | ||
| 2003–04 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 31 | 15 | 14 | 29 | 12 | — | — | — | — | — | ||
| 2004–05 | HC Rabat Kladno | CZE | 17 | 11 | 17 | 28 | 16 | — | — | — | — | — | ||
| 2004–05 | アヴァンギャルド・オムスク | RSL | 32 | 16 | 22 | 38 | 63 | 11 | 4 | 10 | 14 | 22 | ||
| 2005–06 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 82 | 54 | 69 | 123 | 72 | 3 | 0 | 1 | 1 | 2 | ||
| 2006–07 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 82 | 30 | 66 | 96 | 78 | 10 | 5 | 6 | 11 | 12 | ||
| 2007–08 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 82 | 25 | 46 | 71 | 58 | 10 | 5 | 10 | 15 | 12 | ||
| 2008–09 | Avangard Omsk | KHL | 55 | 25 | 28 | 53 | 62 | 9 | 4 | 5 | 9 | 4 | ||
| 2009–10 | Avangard Omsk | KHL | 51 | 22 | 20 | 42 | 50 | 3 | 1 | 1 | 2 | 0 | ||
| 2010–11 | Avangard Omsk | KHL | 49 | 19 | 31 | 50 | 48 | 14 | 2 | 7 | 9 | 8 | ||
| 2011–12 | フィラデルフィア・フライヤーズ | NHL | 73 | 19 | 35 | 54 | 30 | 11 | 1 | 7 | 8 | 2 | ||
| 2012–13 | Rytíři Kladno | CZE | 34 | 24 | 33 | 57 | 28 | — | — | — | — | — | ||
| 2012–13 | ダラス・スターズ | NHL | 34 | 14 | 12 | 26 | 20 | — | — | — | — | — | ||
| 2012–13 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 11 | 2 | 7 | 9 | 2 | 22 | 0 | 10 | 10 | 8 | ||
| 2013–14 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 82 | 24 | 43 | 67 | 46 | — | — | — | — | — | ||
| 2014–15 | ニュージャージー・デビルス | NHL | 57 | 11 | 18 | 29 | 42 | — | — | — | — | — | ||
| 2014–15 | フロリダ・パンサーズ | NHL | 20 | 6 | 12 | 18 | 6 | — | — | — | — | — | ||
| 2015–16 | フロリダ・パンサーズ | NHL | 79 | 27 | 39 | 66 | 48 | 6 | 0 | 2 | 2 | 4 | ||
| 2016–17 | フロリダ・パンサーズ | NHL | 82 | 16 | 30 | 46 | 56 | — | — | — | — | — | ||
| 2017–18 | カルガリー・フレームス | NHL | 22 | 1 | 6 | 7 | 10 | — | — | — | — | — | ||
| 2017–18 | Rytíři Kladno | CZE.2 | 5 | 0 | 4 | 4 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 2018–19 | Rytíři Kladno | CZE.2 | 4 | 1 | 3 | 4 | 4 | 19 | 12 | 6 | 18 | 20 | ||
| 2019–20 | Rytíři Kladno | CZE | 38 | 15 | 14 | 29 | 28 | — | — | — | — | — | ||
| 2020–21 | Rytíři Kladno | CZE.2 | 19 | 2 | 10 | 12 | 8 | 16 | 2 | 8 | 10 | 8 | ||
| 2021–22 | Rytíři Kladno | CZE | 43 | 8 | 11 | 19 | 20 | 5 | 0 | 2 | 2 | 0 | ||
| 2022–23 | Rytíři Kladno | CZE | 26 | 5 | 9 | 14 | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | ||
| 2023–24 | Rytíři Kladno | CZE | 15 | 0 | 4 | 4 | 10 | 3 | 1 | 1 | 2 | 0 | ||
| 2024–25 | Rytíři Kladno | CZE | 39 | 5 | 11 | 16 | 16 | — | — | — | — | — | ||
| 2025–26 | Rytíři Kladno | CZE | 6 | 0 | 1 | 1 | 10 | — | — | — | — | — | ||
| TCH/CZE 合計 | 300 | 101 | 145 | 246 | 172 | 31 | 14 | 12 | 26 | 6 | ||||
| NHL 合計 | 1,733 | 766 | 1,155 | 1,921 | 1,167 | 208 | 78 | 123 | 201 | 163 | ||||
| RSL/KHL 合計 | 187 | 82 | 101 | 183 | 223 | 37 | 11 | 23 | 34 | 34 | ||||
国際大会
| 年度 | チーム | 大会 | 結果 | GP | G | A | Pts | PIM | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989 | チェコスロバキアU20 | 欧州ジュニア | 5 | 8 | 4 | 12 | 2 | ||
| 1990 | チェコスロバキアU20 | 世界ジュニア | 7 | 5 | 13 | 18 | 6 | ||
| 1990 | チェコスロバキア | 世界選手権 | 10 | 3 | 2 | 5 | 2 | ||
| 1991 | チェコスロバキア | カナダカップ | 6位 | 5 | 1 | 0 | 1 | 0 | |
| 1994 | チェコ | 世界選手権 | 7位 | 3 | 0 | 2 | 2 | 2 | |
| 1996 | チェコ | ワールドカップ | 8位 | 3 | 1 | 0 | 1 | 2 | |
| 1998 | チェコ | オリンピック | 6 | 1 | 4 | 5 | 2 | ||
| 2002 | チェコ | オリンピック | 7位 | 4 | 2 | 3 | 5 | 4 | |
| 2002 | チェコ | 世界選手権 | 5位 | 7 | 4 | 4 | 8 | 2 | |
| 2004 | チェコ | 世界選手権 | 5位 | 7 | 5 | 4 | 9 | 6 | |
| 2004 | チェコ | ワールドカップ | 5 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||
| 2005 | チェコ | 世界選手権 | 8 | 2 | 7 | 9 | 2 | ||
| 2006 | チェコ | オリンピック | 8 | 2 | 5 | 7 | 6 | ||
| 2009 | チェコ | 世界選手権 | 6位 | 7 | 3 | 6 | 9 | 0 | |
| 2010 | チェコ | オリンピック | 7位 | 5 | 2 | 1 | 3 | 6 | |
| 2010 | チェコ | 世界選手権 | 9 | 3 | 4 | 7 | 12 | ||
| 2011 | チェコ | 世界選手権 | 9 | 5 | 4 | 9 | 4 | ||
| 2014 | チェコ | オリンピック | 6位 | 5 | 2 | 1 | 3 | 2 | |
| 2014 | チェコ | 世界選手権 | 4位 | 10 | 4 | 4 | 8 | 12 | |
| 2015 | チェコ | 世界選手権 | 4位 | 10 | 6 | 3 | 9 | 8 | |
| ジュニア 合計 | 12 | 13 | 17 | 30 | 8 | ||||
| シニア 合計 | 121 | 47 | 55 | 102 | 74 | ||||
代表歴
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
2010年冬季オリンピックでのヤーガー | ||
| 男子 アイスホッケー | ||
| オリンピック | ||
| 金 | 1998 長野 | |
| 銅 | 2006 トリノ | |
| ワールドカップ | ||
| 銅 | 2004 | |
| 世界選手権 | ||
| 金 | 2005 オーストリア | |
| 金 | 2010 ドイツ | |
| 銅 | 2011 スロバキア | |
| 世界選手権 | ||
| 銅 | 1990 スイス | |
| 世界ジュニア選手権 | ||
| 銅 | 1990 フィンランド | |
- チェコスロバキア代表
- 1989年ヨーロッパジュニアアイスホッケー選手権チェコスロバキア代表
- 1990年世界ジュニアアイスホッケー選手権チェコスロバキア代表
- 1990年アイスホッケー世界選手権チェコスロバキア代表
- チェコ代表
- 1994年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 1996年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 1996 ワールドカップ・オブ・ホッケー チェコ代表
- 1998年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
- 1999年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2000年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2001年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2004年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2004 ワールドカップ・オブ・ホッケー チェコ代表
- 2005年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2006年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
- 2010年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
- 2010年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2011年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2014年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
- 2015年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
賞歴
- NHLオールルーキーチーム(1991年)
- スタンレーカップ優勝:2回(1991, 1992年)
- NHLオールスターゲーム選出:13回(1992, 1993, 1994, 1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2016年)
- アート・ロス記念賞:5回(1995, 1998, 1999, 2000, 2001年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:7回(1995, 1996, 1998, 1999, 2000, 2001, 2006年)
- 2ndチーム:1997年
- チェコ最優秀選手:12回(1995, 1996, 1999, 2000, 2002, 2005, 2006, 2007, 2008, 2011, 2014, 2016年)
- ハート記念賞:1999年
- レスター・B・ピアソン賞:3回(1999, 2000, 2006年)
- 世界選手権オールスターチーム:4回(2004, 2005, 2011, 2015年)
- 世界選手権最優秀フォワード:2011年
- 世界選手権最優秀選手:2015年
- ビル・マスタートン記念賞:2016年
- 最高のNHLプレーヤー100人:2017年[3]
- IIHFオールタイムチェコチーム:2020年[4]
- IIHF殿堂:2024年
脚注
- ↑ 「IIHF Hall Of Fame Induction 2024 Jaromir JAGR (CZE)」IIHF.com 2026年8月2日閲覧
- ↑ Jagr 'so honored' to have No. 68 retired by Penguins
- ↑ 「Jaromir Jagr: 100 Greatest NHL Players」Stu Hackel 2017年1月1日
- ↑ 「All-Time Czech Team」Derek O'Brien, IIHF 2020年4月28日
関連項目
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or ESPN.com, or Eurohockey.com, or Hockey-Reference.com, or The Internet Hockey Database
- Marc Branchu. “Jaromír Jágr” (フランス語). hockeyarchives.info. 2026年9月26日閲覧。
- Stu Hackel (2017年1月1日). “Jaromir Jagr: 100 Greatest NHL Players” (英語). 2026年10月16日閲覧。
- Joe Pelletier, (2011年11月21日). “Jaromir Jagr” (英語). 2026年10月16日閲覧。