ヤロミール・ヤーガー

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ヤロミール・ヤーガー
生誕 (1972-02-15) 1972年2月15日(54歳)
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
(現・ チェコ)
中央ボヘミア州クラドノ
身長 6 ft 3 in (1.91 m)
体重 240 lb (110 kg; 17 st 2 lb)
ポジション 右ウイング
シュート 左打ち
所属チーム HCクラドノ
過去所属 ピッツバーグ・ペンギンズ
HCボルツァーノ(イタリア語版)
ワシントン・キャピタルズ
ニューヨーク・レンジャース
アヴァンギャルド・オムスク
フィラデルフィア・フライヤーズ
ダラス・スターズ
ボストン・ブルーインズ
ニュージャージー・デビルス
フロリダ・パンサーズ
代表 チェコ
NHLドラフト 5位(1990年)
ピッツバーグ・ペンギンズ
プロ選手期間 1988年 – 現在

ヤロミール・ヤーガー(チェコ語: Jaromír Jágr チェコ語の発音: [ˈjaromiː:r ˈjaː:ɡr̩] (この音声ファイルについて 音声ファイル), 1972年2月15日 - )は、チェコスロバキアのクラドノ生まれのチェコのプロアイスホッケー選手。ポジションは右ウイング。

経歴

3歳でスケートを始め、5歳の頃から身体トレーニングを取り入れ、学校に通い始める前から組織的なチームでアイスホッケーをプレーし、日常的に自分より年上の子供たちとプレーしていた。飛び級の12歳で加入した地元クラドノのジュニアチームを経て、チェコスロバキア・エクストラリーグのHCクラドノに16歳で加入する。1985年にプラハで開催された世界選手権を観戦し、カナダの若きスター、マリオ・ルミューに魅了されたと伝えられ、自分もいつかNHLに入りたいという夢を見始めた。

1989年4月に開催された第23回ヨーロッパジュニアアイスホッケー選手権(英語版)のチェコスロバキアU20代表に選出され、銀メダルを獲得した。

1990年1月に開催された世界ジュニア選手権の代表に選出され、ボビー・ホリク、ロベルト・ライヘル、ヤーガーのラインは大活躍をした。このジュニアトリオは4月から開催された1990年アイスホッケー世界選手権のチェコスロバキア代表の4列目に起用され、チームはポール・コフィーやスティーブ・アイザーマンを擁するカナダを破り、ヤーガーはこの瞬間に、自分がNHLでプレーするのに十分だと実感したと語っている。

ペンギンズ時代

先の世界ジュニア選手権でペンギンズにスカウトされていたヤーガーは、NHLドラフト(英語版)1巡目(全体5位)でピッツバーグ・ペンギンズから指名を受けた。

1990-91シーズンにNHLデビューを果たし、80試合に出場し27ゴール30アシストを記録する。ペンギンズはスタンレーカップを獲得し、NHLキャリア最初のシーズンでカップ優勝を経験した。 自身もプレイオフで24試合に出場し3ゴール10アシストを記録している。シーズン終了後にNHLオールルーキーチームに選出された。

1991-92シーズンでもプレイオフでチームはスタンレーカップを獲得し、2年連続スタンレーカップ優勝を経験して、20歳までに2度スタンレーカップを掲げた唯一の選手となり、ピッツバーグではヤーガーの長い巻き毛のヘアスタイルが流行し始めた。

1994年4月に開催された第58回アイスホッケー世界選手権のアイスホッケーチェコ代表に選出された。

1994-95シーズンNHLロックアウト(英語版)中は、母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノの他に、アルペンリーガ(イタリア語版)のHCボルツァーノ(イタリア語版)、そして2.アイスホッケー・ブンデスリーガ(ドイツ語版)でプレーした。ロックアウトの解除後の48試合でリーグ最多の70ポイントを記録して初のアート・ロス記念賞を受賞した。彼の32ゴールはNHLで2位にランクされ、リーグMVPのハート記念賞のファイナリストにもなった。

1995-96シーズン、ほぼ完全な健康状態でペンギンズに復帰したマリオ・ルミューは69ゴール92アシスト161ポイント、ヤーガーは62ゴール87アシスト149ポイントを記録しポイントランキングを1-2フィニッシュで終え、ヤーガーは右ウィングのシーズンアシストとポイント記録を更新した (アシストは2026年現在歴代2位)。同じサイズと技術レベルを兼ね備えたルミューとのパワープレーユニットは史上最強デュオの1つと称されたが、普段は優れた守備センターのロン・フランシスや、チェコの同胞であるピーター・ネドベドと組んでプレーすることが多かった。

1996年4月から5月に開催された第60回アイスホッケー世界選手権のチェコ代表に選出された。続いて、8月から9月に開催された第1回ワールドカップ・オブ・ホッケー(英語版)のチェコ代表に選出された。

1996-97シーズンは鼠径部の怪我で19試合を欠場し、さらにルミューが引退を発表したにもかかわらず、35ゴールとリーグ最多の67アシストを記録し、以降4年連続のNHLポイント王の最初となる2度目のアート・ロス記念賞を獲得した。ハート記念賞のファイナリストにも選出されたが、ドミニク・ハシェックに敗れた。キャリアの全盛期に入ったヤーガーは、1998年1月にペンギンズと5年4800万ドルの契約を結び、当時リーグで最も高給の選手となった。

1998年2月に開催された長野オリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出された。同大会では1ゴール4アシストを記録し、ハシェックとともに金メダルを獲得した。

1998-99シーズンには、フランシスの退団後、ペンギンズのキャプテンを引き継ぎ、リーグMVPとしてついにハート記念賞を受賞し、選手たちが選んだMVPであるレスター・B・ピアソン賞とポイント王も獲得した。1999年5月に開催された第63回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。

1999-2000シーズンは足と背中の怪我でシーズンの4分の1を欠場したにもかかわらず、再びポイント王の座を守った。2000年4月から5月に開催された第64回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。

ルミューがチームに復帰した2000-01シーズンに、NHL史上4人目となる4年連続のポイント王を達成し、52ゴールとリーグ最多の69アシスト、合計121ポイントを記録した。11月と3月のNHL月間最優秀選手に選ばれ、シーズン中に400ゴール1,000ポイントを記録し、NHLでの800試合出場も達成した。2001年4月から5月に開催された第65回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。

キャピタルズ時代

ペンギンズが財政難となり、2001-02シーズンからはワシントン・キャピタルズに移籍した。 キャピタルズでのヤーガーのパフォーマンスは、1試合1ポイント以上を挙げたものの、大枚をはたいたチームの首脳陣を満足させるほどのものではなかった。この頃はオンラインでのギャンブルで約100万ドルの借金を負うなど、公私ともに低調であった。

ロックアウトの準備が進められ、新たなサラリーキャップの導入が検討される中、リーグ最大の契約 (7年間で7700万ドル) が足かせとなり、チームはヤーガーを放出せざるを得なくなった。

レンジャース時代

2003-04シーズン途中にニューヨーク・レンジャースに移籍している。レンジャースがヤーガーと結んだ契約はキャピタルズがヤーガーの年俸の一部を負担するというものであった。 2004年4月から5月に開催された第68回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。8月から9月に開催された第2回ワールドカップ・オブ・ホッケー(英語版)のチェコ代表にも選出された。

2004-05シーズンはNHLがロックアウトとなった影響でまず母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノでプレーした。その後、ロシアスーパーリーグ(英語版)(RSL)のアヴァンギャルド・オムスクでプレーし、決勝ゴールを決めて初のヨーロッパクラブ王者となった。2005年4月から5月に開催された第69回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。同大会でチェコは優勝し、トリプル・ゴールド・クラブのメンバーとなった。

2005-06シーズン、ヤーガーにはオムスクへの完全移籍のうわさがあったもののレンジャーズに復帰した。シーズン途中の2006年2月に開催されたトリノオリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出された。同大会では銅メダルを獲得している。シーズンでは、ゴールとポイントでフランチャイズ記録となる54ゴール69アシスト123ポイントをあげる活躍を見せ、チームは(ロックアウトされた1シーズンを除いて)過去7シーズン出場できていなかったプレイオフに進出した。 しかし、クォーターファイナルでニュージャージー・デビルスに敗れて、敗退している。

2006-07シーズン、ヤーガーはキャリア2度目となるキャプテンマーク(Cマーク)をつけてプレイしたが、成績は下降した。 二年連続でプレイオフに進出し、ファーストラウンドでプレイオフ初出場のアトランタ・スラッシャーズを四連勝のスウィープで破るものの、セカンドラウンドでバッファロー・セイバーズに破れた。

オムスク時代

2007-08シーズン終了後、レンジャーズとの契約延長交渉がまとまらず、KHLのアヴァンギャルド・オムスクと契約を結んだ。

2010年2月に開催されたバンクーバーオリンピックの男子アイスホッケーチェコ代表に選出され、チェコ共和国選手団の旗手も務めた。 2010年5月に開催された第74回目アイスホッケー世界選手権のチェコ代表に選出され優勝し、10月にはヴァーツラフ・クラウス大統領からホッケー選手として4人目となる国家功労勲章を授与された。

2011年4月から5月に開催された第75回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。夏には父親からクラドノのクラブの過半数の株式を引き継ぎ、現役の選手兼オーナーとなった。

フライヤーズ時代

2011年7月1日にNHLの古巣ペンギンズとはペンシルベニア州内のライバル関係(英語版)にあるフィラデルフィア・フライヤーズと1年契約を結び、ペンギンズのファンからの反感を買った。

スターズ時代

2012年7月3日にダラス・スターズと1年契約を結んだ。NHLがロックアウト(英語版)の際には母国のチェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノでプレーした。NHLのロックアウトが終了後、2013年1月19日にスターズ初出場を果たした。3月29日のミネソタ・ワイルド戦でNHL通算1000アシスト(英語版)を記録した。

ブルーインズ時代

2013年4月2日にトレードでディビジョンタイトル争いをしていたボストン・ブルーインズへ40歳で移籍した。4月4日にブルーインズ移籍後初出場を果たした。オフの6月23日に契約延長は行わないことが発表された。

デビルズ時代

2013年7月22日にニュージャージー・デビルスと1年契約を結んだ。

2013-2014年シーズンは2013年10月7日のエドモントン・オイラーズ戦で移籍後初ゴールを記録した。

2014年5月に開催された第78回アイスホッケー選手権のチェコ代表に選出された。

パンサーズ時代

2015年2月26日にフロリダ・パンサーズげトレードで移籍した。2月28日に移籍後初出場を果たした。

2015年5月に開催された第79回アイスホッケー選手権(英語版)のチェコ代表に選出された。 2015–16年シーズン、NHLでシーズン60ポイントを超えた最年長選手となり、勤勉さとオフアイスでの指導力が高く評価されビル・マスタートン記念賞を受賞した。

2016-17年シーズンは2016年10月20日にNHL史上3人目となる通算750ゴールを記録した。オフにFAとなった。

フレームス時代

2017年10月4日に44歳でカルガリー・フレームスと1年契約を結んだ。

2018年1月にウェイバー公示にかけられ、NHLキャリアの最後となった。

HCクラドノ復帰

フレームズからウェイバーにかけられた後、チェコ・エクストラリーグの古巣HCクラドノに復帰した。移籍後5試合目の試合で負傷し、膝を手術し、シーズン終了となった。

2018年5月14日に現役続行を宣言し、30シーズン目に突入した。 2019年4月19日には1試合4ゴールを記録している。

2024年、国際アイスホッケー連盟殿堂入りを果たした。[1]

2025年1月、HCクラドノの株式の20%のみを保持し、残りを大富豪トマーシュ・ドラスティルに売却した。

選手としての特徴

恵まれた体格と忍耐力、パワー、スキルとゴールセンスを兼ね備えているスーパースターである。強力なスケートのバランスと長いリーチを生かした繊細なパックハンドリングを組み合わせたパックプロテクションの能力は他の追随を許さず、ヤーガーからパックを引き離すことは非常に困難であったため、多くのスコアリングチャンスを生み出すことができた。最盛期には自分の能力に非常に自信を持っていたため、チームやコーチと対立することも多く、正当な評価とプレーの機会を得られていないと感じると、あっさりと所属チームを離れることも多かった。

東欧革命により東側の選手がNHLドラフト対象になった最初の選手であり、NHLで最も成功したヨーロッパ出身選手の1人である。ペンギンズはすぐに彼をピッツバーグに連れて行き、チェコ人の家族を見つけてホームステイさせ、最初のトレーニングキャンプの約1か月前に集中的な英語の家庭教師を手配し、ヤーガーの友人でありメンターとなるチェコ選手イジー・フルディーナ(英語版)を獲得するなど、ヤーガーの育成には十分な注意を払った。

背番号の『68』は移籍されても変わることがないが、これはプラハの春での出来事を忘れないようにつけられたもの。彼の祖父はソ連によって連行され、獄中で食事も与えられず体調を崩し、革命後に釈放された後に亡くなったとされるが、ヤーガー本人はロシア人という民族に対して何の敵意もないと説明し、2001年にはプラハで正教に改宗している。2024年2月18日、ピッツバーグ・ペンギンズ3人目の永久欠番に認定された。[2]

詳細情報

レギュラーシーズンとプレーオフの成績

Regular season and playoffs

太字はリーグトップ

レギュラーシーズン プレーオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1984–85 Poldi SONP Kladno TCH U18 34 24 17 41 — — — — — —
1985–86 Poldi SONP Kladno TCH U18 36 41 29 70 — — — — — —
1986–87 Poldi SONP Kladno TCH U20 30 35 35 70 — — — — — —
1987–88 Poldi SONP Kladno TCH U20 35 57 27 84 — — — — — —
1988–89 Poldi SONP Kladno TCH 29 3 3 6 4 10 5 7 12 0
1989–90 Poldi SONP Kladno TCH 42 22 28 50 14 9 8 2 10 4
1990–91 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 80 27 30 57 42 24 3 10 13 6
1991–92 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 70 32 37 69 34 21 11 13 24 6
1992–93 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 81 34 60 94 61 12 5 4 9 23
1993–94 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 80 32 67 99 61 6 2 4 6 16
1994–95 Poldi SONP Kladno CZE 11 8 14 22 10 — — — — —
1994–95 HC Bolzano ITA 1 0 0 0 0 — — — — —
1994–95 HC Bolzano ALP 5 8 8 16 4 — — — — —
1994–95 Schalker Haie 87 DEU.2 1 1 10 11 0 — — — — —
1994–95 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 48 32 38 70 37 12 10 5 15 6
1995–96 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 82 62 87 149 96 18 11 12 23 18
1996–97 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 63 47 48 95 40 5 4 4 8 4
1997–98 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 77 35 67 102 64 6 4 5 9 2
1998–99 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 81 44 83 127 66 9 5 7 12 16
1999–2000 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 63 42 54 96 50 11 8 8 16 6
2000–01 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 81 52 69 121 42 16 2 10 12 18
2001–02 ワシントン・キャピタルズ NHL 69 31 48 79 30 — — — — —
2002–03 ワシントン・キャピタルズ NHL 75 36 41 77 38 6 2 5 7 2
2003–04 ワシントン・キャピタルズ NHL 46 16 29 45 26 — — — — —
2003–04 ニューヨーク・レンジャース NHL 31 15 14 29 12 — — — — —
2004–05 HC Rabat Kladno CZE 17 11 17 28 16 — — — — —
2004–05 アヴァンギャルド・オムスク RSL 32 16 22 38 63 11 4 10 14 22
2005–06 ニューヨーク・レンジャース NHL 82 54 69 123 72 3 0 1 1 2
2006–07 ニューヨーク・レンジャース NHL 82 30 66 96 78 10 5 6 11 12
2007–08 ニューヨーク・レンジャース NHL 82 25 46 71 58 10 5 10 15 12
2008–09 Avangard Omsk KHL 55 25 28 53 62 9 4 5 9 4
2009–10 Avangard Omsk KHL 51 22 20 42 50 3 1 1 2 0
2010–11 Avangard Omsk KHL 49 19 31 50 48 14 2 7 9 8
2011–12 フィラデルフィア・フライヤーズ NHL 73 19 35 54 30 11 1 7 8 2
2012–13 Rytíři Kladno CZE 34 24 33 57 28 — — — — —
2012–13 ダラス・スターズ NHL 34 14 12 26 20 — — — — —
2012–13 ボストン・ブルーインズ NHL 11 2 7 9 2 22 0 10 10 8
2013–14 ニュージャージー・デビルス NHL 82 24 43 67 46 — — — — —
2014–15 ニュージャージー・デビルス NHL 57 11 18 29 42 — — — — —
2014–15 フロリダ・パンサーズ NHL 20 6 12 18 6 — — — — —
2015–16 フロリダ・パンサーズ NHL 79 27 39 66 48 6 0 2 2 4
2016–17 フロリダ・パンサーズ NHL 82 16 30 46 56 — — — — —
2017–18 カルガリー・フレームス NHL 22 1 6 7 10 — — — — —
2017–18 Rytíři Kladno CZE.2 5 0 4 4 0 10 0 0 0 0
2018–19 Rytíři Kladno CZE.2 4 1 3 4 4 19 12 6 18 20
2019–20 Rytíři Kladno CZE 38 15 14 29 28 — — — — —
2020–21 Rytíři Kladno CZE.2 19 2 10 12 8 16 2 8 10 8
2021–22 Rytíři Kladno CZE 43 8 11 19 20 5 0 2 2 0
2022–23 Rytíři Kladno CZE 26 5 9 14 16 4 0 0 0 2
2023–24 Rytíři Kladno CZE 15 0 4 4 10 3 1 1 2 0
2024–25 Rytíři Kladno CZE 39 5 11 16 16 — — — — —
2025–26 Rytíři Kladno CZE 6 0 1 1 10 — — — — —
TCH/CZE 合計 300 101 145 246 172 31 14 12 26 6
NHL 合計 1,733 766 1,155 1,921 1,167 208 78 123 201 163
RSL/KHL 合計 187 82 101 183 223 37 11 23 34 34

国際大会

年度 チーム 大会 結果 GP G A Pts PIM
1989 チェコスロバキアU20 欧州ジュニア 2位 5 8 4 12 2
1990 チェコスロバキアU20 世界ジュニア 3位 7 5 13 18 6
1990 チェコスロバキア 世界選手権 3位 10 3 2 5 2
1991 チェコスロバキア カナダカップ 6位 5 1 0 1 0
1994 チェコ 世界選手権 7位 3 0 2 2 2
1996 チェコ ワールドカップ 8位 3 1 0 1 2
1998 チェコ オリンピック 1位 6 1 4 5 2
2002 チェコ オリンピック 7位 4 2 3 5 4
2002 チェコ 世界選手権 5位 7 4 4 8 2
2004 チェコ 世界選手権 5位 7 5 4 9 6
2004 チェコ ワールドカップ 3位 5 1 1 2 2
2005 チェコ 世界選手権 1位 8 2 7 9 2
2006 チェコ オリンピック 3位 8 2 5 7 6
2009 チェコ 世界選手権 6位 7 3 6 9 0
2010 チェコ オリンピック 7位 5 2 1 3 6
2010 チェコ 世界選手権 1位 9 3 4 7 12
2011 チェコ 世界選手権 3位 9 5 4 9 4
2014 チェコ オリンピック 6位 5 2 1 3 2
2014 チェコ 世界選手権 4位 10 4 4 8 12
2015 チェコ 世界選手権 4位 10 6 3 9 8
ジュニア 合計 12 13 17 30 8
シニア 合計 121 47 55 102 74

代表歴

獲得メダル

2010年冬季オリンピックでのヤーガー
男子 アイスホッケー
 チェコ
オリンピック
金1998 長野
銅2006 トリノ
ワールドカップ
銅2004
世界選手権
金2005 オーストリア
金2010 ドイツ
銅2011 スロバキア
 チェコスロバキア
世界選手権
銅1990 スイス
世界ジュニア選手権
銅1990 フィンランド
チェコスロバキア代表
  • 1989年ヨーロッパジュニアアイスホッケー選手権チェコスロバキア代表
  • 1990年世界ジュニアアイスホッケー選手権チェコスロバキア代表
  • 1990年アイスホッケー世界選手権チェコスロバキア代表
チェコ代表
  • 1994年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 1996年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 1996 ワールドカップ・オブ・ホッケー チェコ代表
  • 1998年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
  • 1999年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2000年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2001年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2004年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2004 ワールドカップ・オブ・ホッケー チェコ代表
  • 2005年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2006年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
  • 2010年オリンピック男子アイスホッケーチェコ代表
  • 2010年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2011年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2014年アイスホッケー世界選手権チェコ代表
  • 2015年アイスホッケー世界選手権チェコ代表

賞歴

脚注

  1. ↑ 「IIHF Hall Of Fame Induction 2024 Jaromir JAGR (CZE)」IIHF.com 2026年8月2日閲覧
  2. ↑ Jagr 'so honored' to have No. 68 retired by Penguins
  3. ↑ 「Jaromir Jagr: 100 Greatest NHL Players」Stu Hackel 2017年1月1日
  4. ↑ 「All-Time Czech Team」Derek O'Brien, IIHF 2020年4月28日

関連項目

外部リンク