カート・コバーン
カート・コバーン | |
|---|---|
|
Kurt Cobain | |
| 生誕 |
カート・ドナルド・コバーン 1967年2月20日 |
| 死没 |
1994年4月5日(27歳没) |
| 死因 | ショットガンで頭部を撃ち抜いたことによる自殺 |
| 遺体発見 | 1994年4月8日 |
| 職業 | |
| 活動期間 | 1986年 - 1994年 |
| 配偶者 |
コートニー・ラブ(結婚 1992年) [2] |
| 子供 | フランシス・ビーン・コバーン[3] |
| 音楽家経歴 | |
| ジャンル | |
| 担当楽器 | |
| レーベル | |
| 共同作業者 | |
| 著名使用楽器 | |
| 署名 | |
カート・ドナルド・コバーン[注釈 1](英語: Kurt Donald Cobain[6], 1967年2月20日 - 1994年4月5日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。ロックバンドニルヴァーナのフロントマンであり、ギタリスト、リードボーカリスト、メインソングライター。
1987年にクリス・ノヴォセリック、アーロン・ブルクハードとともにニルヴァーナを結成し、のちにグランジと呼ばれるようになるシアトルの音楽シーンの一翼を担っていた。メジャーレーベルのDGCレコードと契約したニルヴァーナは、セカンドアルバム『Nevermind』(1991年)に収録された「Smells Like Teen Spirit」で世界的な成功を収めた。
経歴
生い立ち
1967年2月20日、アイルランド及びフランス系の自動車整備工ドナルド・リーランド・コバーンと、イングランド及びドイツ系のウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ夫妻の間に誕生[7][8][9]。ビートルズが大好きで、絵の上手な子供だったという。幸せな幼年期を送っていたが、1975年に両親が当時まだアメリカでは珍しかった離婚をしたことで大きな精神的衝撃を受ける。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年に変わった。カートは、その後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。
離婚後、最初は父の元へ引き取られる。トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育つ。特にブラック・サバスの音楽性から多大な影響を受ける[10]。
学校では友達を作らず、図書館で深く敬愛するチャールズ・ブコウスキーなどの本を借り、それを読んで過ごしていた[10]。また、チャールズ・ブコウスキーの著作の他にウィリアム・バロウズの『裸のランチ』も愛読していた[注釈 2]。
ハイスクール在学中、パンクバンド・メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。オズボーンから貰ったテープ[注釈 3]を聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、AC/DCやレッド・ツェッペリンの曲を練習していた。
フィーカル・マター時代
1985年に入るとカートがギターとボーカル、デイル・クローヴァーがベース、グレッグ・ホカンソンがドラムを演奏するバンドフィーカル・マターを結成。しかし1985年12月に、ホカンソンが脱退してしまう。
その後、カートとデイルは、シアトルにあるカートの叔母マリ・アールの家にて4トラック・レコーダーを用いて『lliteracy Will Prevail demo』を録音[注釈 4]。このデモテープにおいてデイルは、ベース、ギター、そしてドラムまで担当している。
1986年にはベースにバズ・オズボーン、ドラムにマイク・ディラードが加入したが、カートはオズボーンがベース用のアンプの購入を拒否したことから、オズボーンがフィーカル・マターとしての活動を本気でしようとはしていないと考え、2月にフィーカル・マターは解散した。
クリスとの出会い〜ニルヴァーナ結成〜『ネヴァーマインド』
高校のクラスメイトの音楽的才能は決してカートと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間はヘヴィメタル志向であったことも、彼にとって大いに気に入らない点であった。そんな苛立ちからか、次第に周囲との折り合いが悪くなり、高校を中退。その高校の用務員として働き始める。
そんな中、カートは同じくパンク・ロックを愛好するクリス・ノヴォセリックと出会う。音楽の趣味、周囲への不満などで意気投合し、1年後バンド結成にいたる[注釈 5]。
1989年、ニルヴァーナは最初のアルバム『ブリーチ』をレコーディングする。同作はインディーレーベルのサブ・ポップからリリースされた。
1991年、ゲフィン・レコードに移籍したニルヴァーナは、メジャー・デビュー・アルバム『ネヴァーマインド』をレコーディングする。
商業的成功と精神的苦境、そして死
1991年のシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」とアルバム『ネヴァーマインド』の発表は、バンドと当時のロックシーン両方の流れに大きな影響を与えた。
彼らはメジャーでの最初のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていたとされる。元々、アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じており、メディアの伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、彼自身『ネヴァーマインド』制作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたことで自身にも強い憤りを感じていた。そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。
その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また少年時代からの双極性障害と20歳頃からの持病であった原因不明の胃痛に対する鎮痛剤として使用したことに端を発する薬物依存症に苦しみ、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月5日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される[11]。指揮者のデビッド・ウッダードはコバーン用のドリーマシンを製作したが[12]:355–366、コバーンが自殺に至るまでの数日間にデバイスを過度に使用していたとの報告は、後の発見と矛盾していた[13][14]。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(だんだん消えていくよりも燃え尽きる方がいい)」が引用され{{efn|ニール・ヤングのアルバム『Rust Never Sleeps』で「マイ・マイ、ヘイ・ヘイ」と対になっている「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ」の歌詞と誤解されていることがある。「ヘイ・ヘイ、マイ・マイ」は「It's better to burn out 'cause rust never sleeps(錆は決して休止しないのだから燃え尽きる方がいい)」というフレーズがあるだけであり「than to fade away」でない[15][16]。
没年齢の27歳は、ロバート・ジョンソンやジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒である(27クラブ)。
後にデイヴ・グロールは、カートの死を次のように回想している。
| カートが死んだ翌日の事を今でも覚えてるんだけど、目を覚まして、コーヒーを作りながら、『あああ、彼はいなくなっちまったんだ』って思ったんだよね……『だけど、俺はまだここにいる』ってね。『一体どうやったら人間がそうやってただ消えてしまえるんだ? そんなのファッキン狂ってるよ』ってね。だって、カートは本当に突然いなくなっちまったわけだからね。だからその日、俺が気付いたのは、自分がそれでも生き残ったっていう事は本当に幸運な事で、これからの毎日、それに感謝して生きていかなくちゃいけないって事だった[17]。 |
2014年3月、シアトル市警が彼の死亡現場に残されていた遺品30点を新たに公開した[18]。
2015年7月、他殺説を訴えるリチャード・リーによって、カートの死亡現場の写真を警察が公開するよう訴える訴訟がなされたが、訴えは棄却された[19]。
2016年3月、シアトル市警が、カートが自ら命を絶つときに使用したショットガンの画像を初めて公開した[20]。
人物
配偶者はホールのコートニー・ラブ。娘はフランシス・ビーン。コートニーとは1992年2月に結婚。式を通してカートはパジャマ姿であった。
一般的には左利きの人物と認識されているが、本来は右利きだった、変則的な左利き、両利きなど様々な説がある。少なくとも食事や筆記は右利きである[21][要出典]。
セクシュアリティ
1992年10月、モンク誌で「あなたはゲイですか」と聞かれたコバーンは、「もしコートニーに惹かれてなかったら、バイセクシャルになってただろうね」と答えている[22]。
別のインタビューでは、『アドヴォケイト』でゲイ・コミュニティとの同一性を述べ、「精神的には間違いなくゲイだし、おそらくバイセクシャルになれる」「コートニーに出会わなければ、おそらくバイセクシャルなライフスタイルを続けてただろうね」としつつ、「女性により性的魅力を感じる」とも述べている[23]。
彼の個人的な日記の一つには、「同性愛嫌悪者を怒らせるために、そうでありたいと思うが、僕はゲイではない」と書かれている[24]。
コバーンはLGBTQ+の権利を擁護し、1992年のオレゴン州の投票用紙9号に反対する慈善事業に出演するためにオレゴン州を訪れたり[23]、LGBTQ+のメンバーがいる地元のバンドをサポートしたりしていた。7歳の頃から「違う」と感じていたと報告し、学校では「ゲイの友達」がいるために同性愛嫌悪のいじめのターゲットになることが多かった[25]。
ニルヴァーナのアルバムインセスティサイドのライナーノーツには、同性愛嫌悪、人種差別、女性差別を非難した文が入っていた[23]。
音楽的嗜好
好きなバンドはブラック・サバス、AC/DC、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、エアロスミス、エコー&ザ・バニーメン、クイーン、セックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴァセリンズ、ピクシーズ、メルヴィンズ、ソニック・ユース、マッドハニー、サウンドガーデンなどのロックバンドを挙げている[10]。彼が好んで聴いていた数々のバンドの曲が話題になり、例としてヴァセリンズやミート・パペッツはバンド・作品ともに注目されることになり、ライブでも共演を果たしている。
マイケル・ジャクソンが好きであり、マイケルの絵を描いたことがある[26]。
パール・ジャムのボーカリストであるエディ・ヴェダーを嫌悪していたが、後に自身と同じ境遇にいることを知り、二人は和解する[27][28][注釈 6]。カートは他にもガンズ・アンド・ローゼズ[注釈 7]やヴァン・ヘイレン、モトリー・クルー、エクストリームなどのヘア・メタル・バンドの多くを、大嫌いだと公言している[29][30]。
好きな映画
コバーンが好んだとされる作品には、1984年のヴィム・ヴェンダース監督作『パリ、テキサス』がある[31]。
陰謀論/他殺説
カートの死について、自殺ではなく実は暗殺されたと言う陰謀論も多数ある[32]。この話の発端は、カートが行方不明になった時コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントが主張したことに始まる。トム・グラントの説は、妻であるコートニー・ラブと子守りアシスタントのマイケル・デウィットがカートを暗殺したという説である。
コートニーの動機としては、金銭的な問題だと指摘されている。当時、コートニーはカートと離婚調停中であり、もしカートと離婚することになれば何億ドルという資産が失われることになる。実際にコートニーはこのことに言及しており、その内容はテープに残っている。また、カートが失踪する前、ローマ公演後に自殺未遂をおこしたとされるが、そこにコートニーと離婚したいと言った内容のメモが残っており、コートニーがそのメモを処分した。カートは引退も考えていた。コートニーとしてはカートの隠居や離婚により、莫大な資産を失うということが耐えられないために、子守アシスタントでコートニーの元恋人であるマイケル・デウィットと共謀して行なったとする説である。
この説は、カートの遺書が死について言及をしていない点や現場検証において不可解な点が多数見られることにより、世間に広まる結果となった。
使用機材
ギター
カートは右利きだが、ほとんどのギターはレフティ(左利き用)モデルを使用している。
- フェンダー・ジャガー
- カートが使用したギターの中でも最も有名と思われるギター。ライブやレコーディングで多く使用されている。ネック部にホワイト・バインディングを施された1965年製。オリジナルのジャガーとは大きく異なった仕様になっており、前後のピックアップをディマジオ製のハムバッカー(フロントがPAF、リアがSuper Distortion)に、ピックアップセレクターをトグルスイッチに(ほとんどの時期を上から黒いビニールテープでリアに固定)、ブリッジをシャーラー製のチューン・O・マチックに、コントロールを金属製のノブで2ボリューム・1トーンに、それぞれ変更してある。カートは『L.A.リサイクラー』という新聞でこのギターを見つけ購入。購入時にはすでに上記の改造が施されていた(後にクリフ・リチャードやエヴァリー・ブラザーズと活動していたセッション・ミュージシャン、マーティン・ジェンナーが元の持ち主であることが指摘されている)。イン・ユーテロツアー時にリアピックアップをセイモア・ダンカンのJBに変更した。後にこのギターを再現したジャガーがフェンダーから発売されている。塗装を古びた風合いにした「Road Worn」仕様やレフティ仕様もラインナップに加えられ、メキシコのフェンダー・エンセナダ工場で製造される[要出典]。
- ユニボックス・モズライトのコピーギター"ハイ・フライヤー"
- アルバム『ブリーチ』、シングル「ハートシェイプト・ボックス」などで使用。ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに交換されている[要出典]。
- フェンダー・ムスタング
- ジャガーと並び愛用したモデル。シングル「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」のPVで使用されているのは1969年製のコンペティション・モデル(ボディ左下に描かれたラインが特徴。カラーリングはバーガンディ・ブルー)で、カートが最も愛した物。リアピックアップはセイモア・ダンカンのSHR-1bに、ブリッジはGOTOH社製のチューン・O・マティックに変更されている。この他にも『イン・ユーテロ』ツアーで使用するためにフェンダーUSAにオーダーしフェンダージャパンの元請けであるフジゲンで制作されたムスタングを数本所有している。ピックアップはセイモアダンカンのハムバッカーSH-4(JB)がマウント、ブリッジはチューン・O・マティックタイプの仕様になっている。
- 1992年製フェリントン・カスタム
- ダニー・フェリントンによってカートの為に製作されたカスタムギター。ムスタングをベースとして、ボディの木材にはバスウッド、ネックはメイプル、ローズウッド指板が使用されている。ブリッジはチューン・O・マティック、指板にはハート型のポジション・マーク、ピックアップ・セレクターはストラトスタイルのもの。ピックアップはバルトリーニ。配置はフロント・ミドルがシングルコイル(ミドルピックアップはスラントして取り付けられていた)、リアがハムバッカー。リアピックアップにはコイルタップ回路が付いており、シリーズ接続、パラレル接続、そしてシングルコイル風のサウンドを出すことができるようになっている。これらはボリューム・トーンノブの下に位置するトグルスイッチで操作できるようになっている。カラーリングはベイビーブルー、ピックガードは赤べっ甲柄。
- フェンダー・ジャグスタング
- ジャガーとムスタングを組み合わせたカスタムギター。搭載されたピックアップはディマジオのエヴォリューションハムバッカーとフェンダーのテキサススペシャルのシングルコイル(カートはエヴォリューションを気に入らずすぐにダンカンのJBに交換した)。後にフェンダーによって正規ラインに加えられた。2006年生産中止。ボディの角がカートの泣き所である胃に当たる、ボディが厚すぎるなどの理由で、カート自身はあまり気に入っていなかった模様。
- エピフォン・ET-270
- 日本製のストラトタイプモデル。In BloomのMVで使用。1990年頃からライブで使用し始める。数ヶ月後にステージ上で破壊される[要出典]。
- ステラ・ハーモニー
- 12弦のアコースティックギター。ただしカートはこのギターにナイロン弦を5つしか張っていない。初期のメインアコースティック・ギター。「ポーリー」や「サムシング・イン・ザ・ウェイ」で使用。その後ピックアップと弦を換えて『イン・ユーテロ』でも使用[要出典]。
- エピフォン・FT-79
- マーティンD18-E
- 『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』で使用されたアコースティック・ギター。ピックアップがバルトリーニの3AVに交換されている。世界で306本しかない。「もっとも愛されなかったギター」として有名。
- その他
- この他にもほとんど使用されていないものの、赤いフェンダー・ジャガーや青いテレキャスター、モズライトマークIVの所有が確認されている。また、日本製やメキシコ製のストラトキャスターを多数所有していたが、これらは主にステージ終盤の「破壊用」ギターであった。2023年5月、『ネヴァーマインド』を制作中に破壊されたストラトキャスターがオークションにかけられ60万ドル近くで落札された。このギターは機能しないものの、メンバー全員のサインとカートの親友に向けたメッセージが綴られたものであった[33][34]。
アンプ
- Randall
- Sun-Beta
- 4x12Peavey
- 4x12Bullfrog
- メサ・ブギー・スタジオ・プリアンプ
- Crown Power Amp
- Crest Power Amp
- フェンダー・ベースマン
- Vox AC30
- フェンダー・ツイン・リバーブ
エフェクター
- BOSS DF-2 SUPER Feedbacker & Distortion[35]
- BOSS DS-1 Distortion
- BOSS DS-2 Turbo Distortion[36]
- Electro-Harmonix Big Muff Pi
- Electro-Harmonix Poly Chorus
- 本人はPoly Chorusよりも、Poly Flangeを特に気に入っていたが破壊してしまった。再度入手を試みたが市場にはなかなか出ない生産終了モデルだったため、仕方なくPoly Chorusを使っていた。
- Electro-Harmonix Small Clone
- MXR Phase 100
- ProCo RAT
- Tech 21 Sansamp Classic[36]
映画・フィルム
- 『カート&コートニー』 - Kurt & Courtney(1998年)
- 『ラストデイズ』 - Last Days(2005年、ガス・ヴァン・サント監督) ※カートの死をモチーフとした映画。ソニック・ユースのキム・ゴードンが出演、サーストン・ムーアが制作に参加。
- Kurt Cobain About a Son(2007年、AJ・シュナック監督)
- 『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』 - Kurt Cobain: Montage of Heck (2015年)
- 『ソークト・イン・ブリーチ〜カート・コバーン 死の疑惑〜』 - Soaked in Bleach (2015年)
書籍
- 『Who Killed Kurt Cobain?』(1998年)
- 『Heavier Than Heaven』(2002年、著者チャールズ・R・クロス) ※カート本人の日記内容を含む伝記。
- 『Love & Death』(2004年)
- 『COBAIN UNSEEN カート・コバーン 知られざる素顔』(2009年、著者チャールズ・R・クロス)
ディスコグラフィ
ニルヴァーナ
コラボレーション
- "Scratch It Out / Bikini Twilight" (1989年) ※The Go Teamのシングル
- 『ザ・ワインディング・シート』 - The Winding Sheet (1990年) ※マーク・ラネガンのアルバム。「Down in the Dark」のバック・ボーカル、「Where Did You Sleep Last Night」のギターを担当
- アースのデモ (1990年) ※「Divine Bright Extraction」のリード・ボーカル、「A Bureaucratic Desire For Revenge」のバック・ボーカルを担当。「Private Affair」 (The Saintsのオリジナル)のカヴァーでもリード・ボーカルを担当したが絶対にリリースされなかった
- The "Priest" They Called Him (1993年) ※ウィリアム・S・バロウズとのEP。バックのギター・ノイズを担当
- 『フーディーニ』 - Houdini (1993年) ※メルヴィンズのアルバム。「Sky Pup」でギターを、「Spread Eagle Beagle」でパーカッションを担当
死後のリリース
- アルバム
- 『COBAIN: モンタージュ・オブ・ヘック〜ザ・ホーム・レコーディングス』 - Montage of Heck: The Home Recordings (2015年) ※ソロ・アルバム
- シングル
- "And I Love Her"/"Sappy" (2015年) ※7インチ・ヴァイナル
脚注
注釈
- ↑ 姓について日本では「コバーン」という発音・表記が多いが、発音は「コベイン」とするほうが近い[5]。
- ↑ 後に晩年期のバロウズと対面を果たし、バロウズのポエトリーディングとカートのフィードバックギターによる競演を行った(『the "Priest" they called him』としてCD化されている)。
- ↑ ブラック・フラッグ、ミリオンズ・オブ・デッド・コップス、フリッパーなどが入っていた。中でもブラック・フラッグによる「ダメージドII」、フリッパーによる「サクリファイス」に強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている。
- ↑ ちなみに、このデモテープに収録されている「スパンク・スルー」は、ニルヴァーナ活動停止後に発売されたコンピレーション・アルバム『スリヴァー』に収録されている。
- ↑ 後のインタビューでクリスは、この1年の空白について、自分がカートから渡されたデモテープをなかなか聴かなかったためだ、と語っている。
- ↑ カートの死後、ショックを受けたエディは音楽業を引退しようとも考えていた時期もあったという。ちなみに同バンドのドラマーでもあるマット・キャメロンは『ネヴァーマインド』を「'''あのアルバムは自分にとっていまだに音楽の未来を体現してるんだ。'''」と評価している。
- ↑ 実際はアクセル・ローズは元々ニルヴァーナのファンであったが、カートがガンズを嫌う発言をしたことで関係が悪化したと言われている。カートの死後、アクセルを含めたメンバーとは和解している。
出典
- 1 2 3 4 Summers, Kim. Kurt Cobain|Biography & History - オールミュージック. 2020年5月31日閲覧。
- ↑ 「『7月9日はなんの日?』カート・コバーンの妻、コートニー・ラブの誕生日」『Billboard JAPAN』阪神コンテンツリンク、2017年7月9日。2026年1月20日閲覧。
- ↑ Tae Terai、Saori Nakadozono「カート・コバーン没後30年。娘のフランシス・ビーン・コバーンが追悼メッセージ」『Vogue Japan』Condé Nast Japan、2024年4月8日。2026年1月20日閲覧。
- ↑ "The Kurt Cobain Equipment F.A.Q.". kurtsequipment.com.
- ↑ 「「ネヴァーマインド」の赤ちゃん、性的搾取でニルヴァーナを提訴」『BBCニュース』BBC、2021年8月26日。2026年9月16日閲覧。
- ↑ Moskowitz, David V., ed (2015). The 100 Greatest Bands of All Time: A Guide to the Legends Who Rocked the World. ABC-CLIO. p. 433. ISBN 978-1440803406
- ↑ Halperin, Ian & Wallace, Max (1998). Who Killed Kurt Cobain?. Birch Lane Press. ISBN 1-55972-446-3
- ↑ Cross, p. 7
- ↑ Azerrad 1994, p. 13.
- 1 2 3 Azerrad, Michael (1993). Come as You Are: The Story of Nirvana. New York City: Knopf Doubleday. ISBN 0-385-47199-8
- ↑ “カート・コバーンの死から20年 / シアトル警察は再調査で見つかった未発表の写真を公開”. ロケットニュース (2014年3月24日). 2015年11月29日閲覧。
- ↑ ハリソン、ハンク、"Handy Dandy Dreamachine"、"Lo Times @ High Times"、Love Kills: The Assassination of Kurt Cobain (サクラメント: Arkives Press、2017)、355–366ページ。
- ↑ ボレス、ドン、"Dream Weaver"、LAウィークリー、1996年7月26日-8月1日。
- ↑ アレン、マーク、"Décor by Timothy Leary"、ニューヨーク・タイムズ、2005年1月20日。
- ↑ “ニール・ヤング、カート・コバーンの遺書に歌詞を引用されたのには打ちのめされたと語る”. rockinon.com. 2012年9月28日.
- ↑ “スーパースター列伝 第1回 ニール・ヤング”. 日本コロムビア オフィシャルサイト.
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- ↑ “カート・コバーンの死亡現場に残された遺品を警察が新たに公開”. RO69(アールオーロック) (2014年3月24日). 2015年11月29日閲覧。
- ↑ “カート・コバーンの自殺現場の写真公開を求めていた男の訴えが棄却処分に”. RO69(アールオーロック) (2015年8月5日). 2015年11月29日閲覧。
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- ↑ “The inside story of how Cobain's journals went public”. web.archive.org (2002年11月15日). 2023年11月20日閲覧。
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- ↑ Cobain, Kurt (2002). Journals. New York: Riverhead Books. ISBN 1-57322-232-1. OCLC 50333745
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- ↑ Cross, Charles R. (2001) Heavier Than Heaven New York City Hyperion Books P27
- ↑ カート・コバーンとエディ・ヴェダー(Pearl Jam)の対立 Nihilism Vol.3 2008年10月20日
- ↑ 今日のFB写真:カート・コバーン×エディ・ヴェダー RO69(アールオーロック) 2013年9月10日
- ↑ “Worst/Most hated band” (英語). Talk Tennis (2009年8月22日). 2025年8月19日閲覧。
- ↑ Nirvanaのアルバム「Bleach」の日本語版にはこのようにかかれている
- ↑ Dazed (2017年8月4日). “The legacy of Paris, Texas – Kurt Cobain’s favourite film” (英語). Dazed. 2025年10月6日閲覧。
- ↑ https://www.ranker.com/list/kurt-cobain-murder
- ↑ “カート・コバーンが破壊したギター、競売へ”. AFP (2023年5月4日). 2023年5月4日閲覧。
- ↑ “亡き伝説的歌手が破壊したエレキギター8000万円超で落札!再び組み直された遺品 NYでオークション”. よろず~ニュース (2023年5月23日). 2023年5月23日閲覧。
- ↑ “Kurt Cobain's Tech 21 SansAmp Classic”. https://equipboard.com/. Equipboard Inc.. 2020年9月3日閲覧。
- 1 2 “Kurt Cobain's Tech 21 SansAmp Classic”. https://equipboard.com/. Equipboard Inc.. 2020年9月3日閲覧。
参考文献
- Azerrad, Michael (1994). Come as You Are: The Story of Nirvana. Doubleday. ISBN 0-385-47199-8