| コシツェ Košice | |||||
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| 位置 | |||||
コシツェの位置 | |||||
| 位置 | |||||
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| 座標 : 北緯48度42分58秒 東経21度15分41秒 / 北緯48.71611度 東経21.26139度 | |||||
| 歴史 | |||||
| 最初に文献に 登場した年 |
1230年 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 県 | |||||
| 郡 | Košice I, Košice II, Košice III, Košice IV | ||||
| 市 | コシツェ | ||||
| 市長 | Richard Raši | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 242.768 km2 | ||||
| 標高 | 206 m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2011年12月31日現在) | ||||
| 市域 | 240,688人 | ||||
| 人口密度 | 991人/km2 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
| 郵便番号 | 040 00 | ||||
| 市外局番 | +421-55 | ||||
| ナンバープレート | KE | ||||
| 公式ウェブサイト : www.kosice.sk | |||||
コシツェ(Košice [ˈkɔʂitse], ハンガリー語:Kassa, ドイツ語:Kaschau [ˈkaʃaʊ̯] (
音声ファイル), ラテン語:Cassovia)とはスロバキア第2の都市。2013年にはフランスのマルセイユとともに欧州文化首都であった。
スロバキア東部に位置する代表的な工業都市。ホルナート川沿いに位置する。ハンガリー国境まで約20キロ、ウクライナの国境まで80キロ程度。近隣の都市としては、約30キロ北にプレショフ、75キロ南西にハンガリーのミシュコルツ、80キロ東にウクライナのウジホロドが位置している。
1290年、ハンガリー王国のもとで都市として認められた。交易路の要衝に位置したため、中世より商工業が発展した。1369年、ラヨシュ1世によりヨーロッパ最古の市章が制定された。現在のコシツェ市章は、この当時の市章にいくつかの変更を加えたものである。[1]
第一次世界大戦後、1918年にはトリアノン条約によってチェコスロバキア領となるが、1938年11月の第一次ウィーン裁定によりハンガリーに編入された[2]。第二次世界大戦末期にはコシツェ臨時政府が建てられ、一時的にチェコスロバキア第三共和国の最初の首都となり[3]、第二次世界大戦後における社会主義政権の方針を定めた「コシツェ政府綱領」が出された。
1993年のチェコ・スロバキア分離にともない、スロバキア領となり、現在に至る。
コシツェは2006年12月の調査で235,596人の人口がある。2001年調査によれば、人口の89.1%がスロバキア人、3.8%がハンガリー人、2.1%がロマ人、1.2%がチェコ人、0.5%がルシン人、0.5%がウクライナ人である。信仰は、58.3%がカトリック教会、19.4%が無宗教、7.%が東方典礼カトリック教会、4.1%がルーテル教会である[4]。
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