コロンボ (競走馬)

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コロンボ
欧字表記 Colombo
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1931年3月
死没 1931年
父 Manna
母 Lady Nairne
母の父 Chaucer
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Sir Alec Black
馬主 Lord Glanely
調教師 Thomas Hogg(イギリスの旗 イギリス)
競走成績
生涯成績 11戦9勝
獲得賞金 £26,227[1]
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コロンボ(英語: Colombo、1931年3月[2] - 1954年)は、イギリスの競走馬である。主な勝ち鞍は2000ギニーステークス(1934年)。

来歴

コロンボは大きく力強く、垂れ耳で、額の星があり、左前脚の所謂靴下、右後脚の白い部分などが特徴の鹿毛の馬であった[2]。また、伸びやかかつ軽やかな歩様であった。

海運王アレック・ブラックによって生産されたが、ブラックがコロンボの誕生後まもなく所有馬を売却することを決めた。そのため1932年のドンカスターセールにおいて、510ギニーという比較的安価な価格で[3]、グレイニー卿(英語版)に購入された。

その後、サフォーク州ニューマーケットにいるグレイニー卿の専属調教師、トーマス・ホッグ大尉の下へ送られた[4]。

競走馬時代

2歳(1933年)

4月にニューマーケット競馬場のスプリングステークスでデビュー。未命名であったため"Colt by Manna-Lady Nairne"(マンナとレディネアーンの間の牡馬)として、後の1000ギニーステークス勝ち馬カンパニュラ(英語版)にアタマ差で勝利[5]。

5月17日にはコロンボと命名された上で、ヨーク競馬場のスカボローステークスに出走して勝利。

6月にはロイヤルアスコット開催のニューステークスに勝利。

更に2週間後にはニューマーケット競馬場のフルボーンステークスも勝利。

7月のサンダウン競馬場で高額賞金のナショナルブリーダーズプロデュースステークスに出走すると、牝馬シルバーアラビーを相手に馬なりのまま勝利[2]。

同月下旬にはグッドウッド競馬場の6ハロン戦であるリッチモンドステークスに出走。10度リーディングジョッキーとなったスティーブ・ドノヒュー(英語版)を鞍上に、コヴェントリーステークス勝ち馬でもう1頭の有力牡馬であったメディーヴァルナイトとの対決となったが、コロンボは開始1ハロンで先頭に立つとそのまま危なげなく進み、メディーヴァルナイトに3馬身差を付けて勝利し、実力を証明した[6]。

更にケンプトン競馬場(英語版)のインペリアルプロデュースステークスに出走すると17ポンド軽い斤量のヴァレリウス相手に短アタマ差付け、コースレコードで勝利した[7]。ドノヒューは終盤に迫られても鞭を使わず余裕をみせており、馬主がこれに不満を抱いたことから[8]、翌年はオーストラリア人騎手のレイ・ジョンストン(英語版)を鞍上に起用した[9]。この勝利に記者は強く感銘を受け、コロンボを「今世紀の驚異的な名馬」や「完璧な競走マシン」と評した[10]。スポーティング・ライフ(英語版)はザテトラーク以来最も印象的な2歳馬と称賛した上で、翌年距離を延ばしても血統的には同様の活躍ができるだろうとの見解を示した[3]。コロンボが獲得した賞金17,130ポンドは、イギリス競馬史上、2歳馬としてはオーウェル(英語版)に次ぐ額であった[11]。

同年のフリーハンデキャップにおいて、コロンボは7ポンドという記録的な差を付けて世代最強の2歳馬と評価された[12]。また、7戦全勝という圧倒的な成績からアイシングラス[13]、パーシモン、バヤルド[14]といった名馬たちと比較された[15]。

3歳(1934年)

同年初頭から冬の間の調整は順調で調教での走りも素晴らしいと報じられていた[16]。3歳初戦は4月19日にニューマーケット競馬場で行われたクレイヴンステークスにジョンストン鞍上で出走。20ポンド斤量が軽いアーガー・ハーン3世所有のオスマンパシャを相手に、持ったまま4馬身差を付けて勝利[17]。1マイル戦への適性を示したこの結果は、スポーティング・ライフの特派員などの多数から高く評価された[18]。オーストラリアやフランスで実績を残していたものの、イギリスでの経験不足が懸念されていたジョンストン騎手の騎乗についても話題となった[19]。

2週間後に同競馬場の同距離で行われた2000ギニーステークスにジョンストン鞍上で出走すると、単勝約1.286倍という1896年のセントフラスキン以来の低さで圧倒的本命馬とされた。結果はイーストン(英語版)に1馬身差付けての勝利となり[20]、3着にはバドルディンが入った。

1ヶ月後、1.5マイルのダービーステークスに出走すると、距離の問題がなければ確実だという意見や[7]、2000ギニーステークスを制した名馬がダービーステークスで敗れた例もあるいう指摘がされる中[21]、ジョンストン鞍上で単勝2.375倍の1番人気に支持された。レースでは直線手前で進路を塞がれる形となり、更に前を走っていたドノヒュー鞍上のメディーヴァルナイトが失速した影響も受けた。大きく外側へ持ち出して勝負を挑んだが、既にウィンザーラッドが決定的な差を付けており、力強く伸びたものの、ウィンザーラッド、イーストンに次ぐ3着となった。このジョンストンの騎乗は物議を醸し[22]、ドノヒュー騎手に至っては、仮に自分が鞍上なら勝っただろうと公言して憚らなかった[14]。また、馬主も所有馬の鞍上にジョンストンを起用することを止めた[23]。一方で、直線において問題なく騎乗しており、敗因はスタミナ不足により終盤に持ち味のスピードを活かせなかったことだと見る向きもあった[24]。

再び1マイル戦となるロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスステークスに出走すると、単勝1.2倍の圧倒的な1番人気に支持されたが、逃げるフラメンコを捉えきれず、半馬身差の2着に敗れた。この敗北は、同馬の勝利を疑わずに賭けた人々にとって破滅的な出来事であると評された[25]。その後、セントレジャーステークスに向けて調整されていたものの、膝を負傷したため引退し、種牡馬入りすることとなった[1]。

種牡馬時代

引退後はイギリスのエクスニング(英語版)にある馬主の種馬場で供用された[1]。

代表産駒としては2000ギニーステークス勝ち馬ハッピーナイト(英語版)と1000ギニーステークス勝ち馬ダンシングタイム(英語版)が挙げられる[26][27]。

産駒の1頭ブリティッシュエンパイア(英語版)の父系子孫にはセクレタリアトとの対戦で知られるシャム。

また、日本の天皇賞(秋)の勝ち馬ミツドフアームの母父がコロンボである[28]。

血統表

コロンボの血統(出典[§ 1])
父系 マンナ系(ファラリス系) [§ 2]
父
Manna
1922 鹿毛
父の父
Phalaris
1913 黒鹿毛
Polymelus Cyllene
Maid Marion
Bromus Sainfoin
Cheery
父の母
Waffles
1917 鹿毛
Buckwheat Martagon
Sesmame
Lady Mischief St. Simon
Vain Duchess
母
Lady Nairne
1919 鹿毛
Chaucer
1900 黒鹿毛
St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
母の母
Lammermuir
1914 黒鹿毛
Sunstar Sundridge
Doris
Montem Ladas
Kermesse
母系 (F-No.)   (FN: 11-f) [§ 3]
5代内の近親交配 St. Simon 3×4×5×5、Hampton 5×5 [§ 4]
出典
  1. ↑ [29][30]
  2. ↑ [29]
  3. ↑ [29][31]
  4. ↑ [29]
  • 父マンナは2000ギニーステークスとダービーステークスの勝ち馬。
  • 母レディネアーンもまた、ブラックの所有馬が売却された際にグラネリー卿によって購入された。未勝利馬であったが、その半兄は2000ギニーステークス勝ち馬エランゴワン(英語版)。

脚注

  1. 1 2 3 “COLOMBO GOES TO STUD”. Evening Post. 22 November 1934. 2012年3月13日閲覧.
  2. 1 2 3 “IN LINE FOR DERBY”. Evening Post. 26 August 1933. 2012年3月13日閲覧.
  3. 1 2 “PRIZE OF SALE-RING”. Evening Post. 11 October 1933. 2012年3月13日閲覧.
  4. ↑ “Captain Thomas Hogg”. Horseracing History Online. 2012年3月27日閲覧。
  5. ↑ “ENGLAND'S CLASSICS”. Evening Post. 20 January 1934. 2012年3月13日閲覧.
  6. ↑ “COLOMBO SCORES AGAIN”. Evening Post. 2 September 1933. 2012年3月13日閲覧.
  7. 1 2 “ENGLISH RACING”. Evening Post. 17 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  8. ↑ Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press. ISBN 1-90157015-0
  9. ↑ “TURF NEWS IN BRIEF”. Evening Post. 10 October 1933. 2012年3月13日閲覧.
  10. ↑ “BRILLIANT COLOMBO”. Evening Post. 2 October 1933. 2012年3月13日閲覧.
  11. ↑ “ENGLAND'S BEST JUVENILE”. Evening Post. 1 December 1933. 2012年3月13日閲覧.
  12. ↑ Morris, Tony; Randall, John (1990). Horse Racing: Records, Facts, Champions (Third ed.). Guinness Publishing. ISBN 0-85112-902-1
  13. ↑ “BEST SINCE ISINGLASS”. Paperspast.natlib.govt.nz. 1 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  14. 1 2 Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane's. ISBN 0-354-08536-0
  15. ↑ “TWO-YEAR-OLD WINNERS”. Evening Post. 25 November 1933. 2012年3月13日閲覧.
  16. ↑ “TURF NEWS IN BRIEF”. Evening Post. 31 March 1934. 2012年3月13日閲覧.
  17. ↑ “WAGERING PARALYSED”. Evening Post. 20 April 1934. 2012年3月13日閲覧.
  18. ↑ “THE DERBY FAVOURITE”. Evening Post. 31 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  19. ↑ “COLOMBO'S JOCKEY”. Evening Post. 19 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  20. ↑ “RACING IN ENGLAND”. Evening Post. 3 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  21. ↑ “COLOMBO AND THE DERBY”. Evening Post. 23 May 1934. 2012年3月13日閲覧.
  22. ↑ “COLOMBO DEFEATED”. Evening Post. 7 June 1934. 2012年3月13日閲覧.
  23. ↑ “TURF NEWS IN BRIEF”. Evening Post. 21 July 1934. 2012年3月13日閲覧.
  24. ↑ “The Race for the Derby”. The Age. 2011年10月31日閲覧。
  25. ↑ “HIS SECOND DEFEAT”. Evening Post. 2 August 1934. 2012年3月13日閲覧.
  26. ↑ “Phalaris Sire Line”. Bloodlines.net. 2021年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月27日閲覧。
  27. ↑ “All Progeny for Colombo – IDSHS(AUS) Online Stud Book”. IDSHS. 2012年3月27日閲覧。
  28. ↑ “ミツドフアーム(AUS)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2026年10月9日閲覧。
  29. 1 2 3 4 “5代血統表 血統情報 Colombo(GB)”. JBISサーチ. 2026年10月9日閲覧。
  30. ↑ Ken McLean (2005). Designing Speed in the Racehorse. Russell Meerdink Company Ltd. p. 57. ISBN 978-0-929346-80-9 2012年3月13日閲覧。
  31. ↑ “Kermesse – Family 11-f”. Bloodlines.net. 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月13日閲覧。

外部リンク