パーシャンガルフ

ウィキペディアから、無料の百科事典
パーシャンガルフ
欧字表記 Persian Gulf
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1940年
死没 1964年7月22日(24歳没)
父 Bahram
母 Double Life
母の父 Bachelor's Double
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Zia Wernher
馬主 Zia Wernher
調教師 Cecil Boyd-Rochfort(イギリスの旗 イギリス)
競走成績
生涯成績 9戦4勝
テンプレートを表示

パーシャンガルフ(英語: Persian Gulf、1940年 - 1964年7月22日)は、イギリスの競走馬である。主な勝ち鞍はコロネーションカップ(1944年)。

来歴

パーシャンガルフは額に星がある鹿毛の馬であり、オーナーブリーダーでロシアのミハイル・ミハイロヴィチ大公の娘のジア・ウェルナー夫人によって生産された。その後、サフォーク州ニューマーケットのセシル・ボイド=ロッチフォート(英語版)調教師の下に送られた[1]。

第二次世界大戦中の競走馬であったため、エプソム競馬場やドンカスター競馬場が閉鎖され、クラシック競走も大半がニューマーケット競馬場で開催されるといった時代の影響を強く受けた[1]。

競走馬時代

3歳(1943年)

成長が遅く、2歳時はレースに出走しなかった。ボイド=ロッチフォート調教師も「厩舎一の素質馬で、将来素晴らしい馬になるだろうが、それは今年ではない」と語っている[2]。

3歳となり、1戦して敗れた後の6月19日には、1.5マイルのダービーステークスに出走。エプソム競馬場の代替としてニューマーケット競馬場で行われ「ニューダービー」と呼ばれたレースには、1万5000人の観客が詰めかけたことから、ニューマーケットの人口は倍増したと報じられ[3]、宿泊施設が全て満室となったため多くの観客が当日の夜を屋外で過ごすこととなった[4]。23頭立てで途中まで先頭を走り、抜かれてからも粘りを見せるとストレートディール(英語版)、ウミダッド、ナスルーラに続く4着[5]。

その後、8月に出走した競走では2着となった[2]。

9月にはやはりセントレジャーステークスが、ニューマーケットの14ハロン戦のニューセントレジャーとして開催された。ここでもヘリンボーン(英語版)、リボン、ストレートディールに続く4着と好走した[6]。

4歳(1944年)

戦時下ということで、レースで3着以内に入った経験のある馬だけが現役続行を許可されることとなっていたが、前年8月に2着に入っていたためパーシャンガルフもその条件を満たした[2]。

同年春には3勝を挙げた[1]。ある記録によれば、ニューマーケット競馬場において2マイル24ヤードを3分07秒6で走破したとされる[7]。

続いてニューマーケット競馬場で行われた14マイル戦のソーニーステークスでは、4ポンド軽い斤量のウミダッド相手にクビ差で敗れた[2]。

6月6日、これもニューマーケット競馬場開催になったコロネーションカップに、ロバート・A・ジョーンズ鞍上で単勝3.5倍に支持されて出走[8]。スタートから先頭に立つと、残り2ハロンで後続を突き放し、ハイチャンセラーに快勝[2]。なお、ウミダッドは3着であった。

6月下旬には中手骨を骨折したため引退となった[1]。

ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書"A Century of Champions"において、タイムフォームのシステムを参考に、パーシャンガルフを20世紀の競走馬ランキングで113位、イギリスかアイルランドで調教された馬の中では49位、そして同世代のの馬の中ではカウントフリート、マーシャス(英語版)に次ぐ3位と評価した[9]。

種牡馬時代

1945年から種牡馬として供用され、リーディングサイアーとはならなかったものの8回に渡って上位12頭に入るなど成功を収めている。1964年7月22日、24歳で死亡した[1]。

代表産駒としては、ダービーステークス勝ち馬パーシアや1000ギニーステークス勝ち馬ザバラ(英語版)、名ステイヤーのザラズーストラ、チャンピオンハードル勝ち馬パーシャンウォー(英語版)などが挙げられる。その他にも、コークアンドオラリーステークスとダイアデムステークスの勝ち馬アバダン、ドンカスターカップ勝ち馬アグリーメント、1954年のダービーステークス2着馬アラビアンナイト、イボアハンデキャップ勝ち馬でダークミラージュ(英語版)の父パーシャンロード、アイリッシュ1000ギニーとロイヤルハントカップの勝ち馬クイーンオブシバ、シャンペンステークス勝ち馬ルスタム、セントジェームズパレスステークス勝ち馬タメルランなどが挙げられる。

また、母父としてもインターメゾ、ダテホーライなどを輩出している[10]。

血統表

パーシャンガルフの血統(出典[§ 1])
父系 バーラム系(ブランドフォード系) [§ 2]
父
Bahram
1932 鹿毛
父の父
Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Friar's Daughter
1921 黒鹿毛
Friar Marcus Cicero
Prim Nun
Garron Lass Roseland
Concertina
母
Double Life
1926 栗毛
Bachelor's Double
1906 栗毛
Tredennis Kendal
St. Marguerite
Lady Bawn Le Noir
Milady
母の母
Saint Joan
1918 鹿毛
Willbrook Grebe
Nora Gough
Flo Desmond Desmond
Flighty Flo
母系 (F-No.)   (FN: 2-i) [§ 3]
5代内の近親交配 St. Simon 5×5、Bend Or 5×5 [§ 4]
出典
  1. ↑ [11][12]
  2. ↑ [11]
  3. ↑ [11][13]
  4. ↑ [11]

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1999). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane's. ISBN 0-354-08536-0
  2. 1 2 3 4 5 “BEST IN ENGLAND: Persian Gulf hailed”. Auckland Star (1944年8月26日). 2026年10月23日閲覧。
  3. ↑ “Straight Deal wins Derby at Newmarket”. Milwaukee Journal. 1943年6月19日. 2011年11月15日閲覧.[リンク切れ]
  4. ↑ “ENGLISH DERBY” (1943年6月21日). 2011年11月15日閲覧。
  5. ↑ “STRAIGHT DEAL'S DERBY”. Courier-Mail (1943年6月21日). 2011年11月15日閲覧。
  6. ↑ Saville, John (2009). Insane and Unseemly: British Racing in World War II. Matador. ISBN 978-1848760-349
  7. ↑ “FRIDAY RACING REVIEW Kolector Back After 6 Months”. Daily News (Perth) (1944年9月22日). 2026年10月23日閲覧。
  8. ↑ Abelson, Edward; Tyrrel, John (1993). The Breedon Book of Horse Racing Records. Breedon Books Publishing. ISBN 978-1-873626-15-3
  9. ↑ Morris, Tony; Randall, John (1999). A Century of Champions. Portway Press. ISBN 1-901570-15-0
  10. ↑ “BMS成績|種牡馬情報|Persian Gulf(GB)”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2026年10月23日閲覧。
  11. 1 2 3 4 “5代血統表 血統情報 Persian Gulf(GB)”. JBISサーチ. 2026年10月23日閲覧。
  12. ↑ “Persian Gulf pedigree”. Equineline (2012年5月8日). 2013年5月30日閲覧。
  13. 1 2 “Crucifix – Family 2-i”. Thoroughbred Bloodlines. 2012年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月3日閲覧。
  14. ↑ Anne Peters Thoroughbred Heritage. “Bahram”. Tbheritage.com. 2012年6月16日閲覧。

外部リンク