ビュート伯爵の肖像

ウィキペディアから、無料の百科事典
『ビュート伯爵の肖像』
英語: Portrait of the Earl of Bute
作者ジョシュア・レノルズ
製作年1773年
種類キャンバス上に油彩
寸法236.9 cm × 144.8 cm (93.3 in × 57.0 in)
所蔵ナショナル・ポートレート・ギャラリー、ロンドン

『ビュート伯爵の肖像』(ビュートはくしゃくのしょうぞう、英: Portrait of the Earl of Bute)、または『第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアート』(だいさんだいビュートはくしゃくジョン・ステュアート、英: John Stuart, 3rd Earl of Bute)は、18世紀イギリスの巨匠ジョシュア・レノルズが1773年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である[1]。スコットランドの貴族で政治家であった第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアートを描いている。オリジナル作品は現在もビュート侯爵家[注釈 1]に残されているが、ほぼ同じ別ヴァージョンが1958年にアート・ファンド(英語版)の援助でロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに購入され、現在も同ギャラリーに展示されている[2][3]

作品

ジョシュア・レノルズ『ビュート伯爵の肖像』 (1773年)、ビュート・コレクション

ビュート伯爵は国王ジョージ3世の家庭教師を務め、1762年5月にイギリスの首相になった。首相時代には多くの批判がなされ、とりわけ七年戦争を終結させた1763年のパリ条約の条件については激しい批判が起こって、伯爵は1763年4月に一年も経たないうちに首相を辞した。プロシアを犠牲にしてフランスと和平を結んだことが批判されたのである[3]。また、スコットランド人であったことに加え、ジョージ3世に影響力を持っていたために人気がなかったが、ジョージ3世の信頼は失うことがなかった。なお、彼は植物学者で、美術の庇護者でもあった[3]。

レノルズはジョージ王朝時代の代表的な肖像画家の1人で、1768年以降、ロイヤル・アカデミーの総裁(英語版)であった。レノルズは、授与されたばかりのガーター勲章を身に着けたビュート伯爵を全身像で描いている。伯爵のポーズは、ローマのヴァチカン宮殿にある古代彫刻『ベルヴェデーレのアポロン』に由来する[2]。本作のモデルを務めた時に、伯爵は60歳になっており、公的な生活からは退いていた[4]。

本作は、ビュート侯爵家所蔵のオリジナル作品とはわずかの相違が見られる。オリジナル作品では羽根付き帽子はテーブルの上にあり、木と空は描かれておらず、床はタイル張りである[2]。

脚注

注釈

  1. ↑ 1796年に4代目伯爵がビュート侯爵を叙爵。

出典

  1. ↑ Ingamells p.86
  2. 1 2 3 “John Stuart, 3rd Earl of Bute”. ナショナル・ポートレート・ギャラリー公式サイト (英語). 2026年5月26日閲覧。
  3. 1 2 3 “John Stuart, 3rd Earl of Bute”. ARTUKサイト (英語). 2026年5月26日閲覧。
  4. ↑ Fordham p.176

参考文献

  • Esposito, Donato. Sir Joshua Reynolds: The Acquisition of Genius. Sansom, 2009.
  • Fordham, Douglas. British Art and the Seven Years' War: Allegiance and Autonomy. University of Pennsylvania Press, 2010
  • Ingamells, John. National Portrait Gallery Mid-Georgian Portraits, 1760-1790. National Portrait Gallery, 2004.

外部リンク