| 三又 又三 | |
|---|---|
| 本名 | 三又 忠久(みまた ただひさ) |
| ニックネーム |
又三 ミマタ ハムさん GM(楽屋泥棒マン) |
| 生年月日 | 1967年5月27日(57歳) |
| 出身地 |
|
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 175 cm |
| 言語 | 日本語 |
| 方言 | 共通語 |
| 最終学歴 | 仙台育英学園高等学校卒業[1] |
| 師匠 |
ビートたけし コロッケ 上島竜兵 |
| コンビ名 | ジョーダンズ(1992年 - 2007年) |
| 相方 | 山崎まさや(1992年 - 2007年) |
| 芸風 | 漫才・コントボケ担当(コンビ時代)、物真似、すべり芸、イジられ芸、三又ダンス |
| 事務所 | TAP |
| 活動時期 | 1988年[注 1] - |
| 同期 | 爆笑問題、さまぁ〜ず、月亭方正(コロッケの付き人時代からの同期) |
| 現在の代表番組 | なし |
| 過去の代表番組 |
『三又ノ番組』 『タモリのボキャブラ天国』 |
| 他の活動 | プロレスリングZERO1GM・俳優 |
| 配偶者 | なし(独身) |
| 公式サイト | プロフィール |
| 受賞歴 | |
| |
三又 又三(みまた またぞう、1967年5月27日[1][2] - )は、日本のお笑いタレント、俳優、YouTuber。
株式会社TAP所属。岩手県花巻市出身[1][2]。1992年から2007年まで、山崎まさやを相方にお笑いコンビ・ジョーダンズのボケとして活動。旧芸名および本名は三又 忠久(みまた ただひさ)。血液型O型。
仙台育英学園高等学校卒業[1]。ジョーダンズ結成前はコロッケに弟子入りし、付き人をしていた。当時コロッケにより命名された芸名はハムエッグ。
1992年に山崎まさやとジョーダンズを結成し正式にデビュー。ドラマ『3年B組金八先生』の武田鉄矢演じる坂本金八の物真似で人気を博する[2]。
2004年頃に髪型を長髪から坊主に変更。同年10月、小山ゆうとの交友の縁もあり[要出典]、新宿シアターサンモールで武田鉄矢原作の漫画の舞台版『お〜い!竜馬 −青春篇−』を主演、企画、プロデュース[2][3]。2006年8月に劇団「マッチョドラゴン」を旗揚げした。2007年、ジョーダンズ解散を契機として同年2月より、それまでの芸名を本名の「三又忠久」から三又又三に改めた。以前、六本木でシャンパンバー「Bar MataZo」を経営していた。
2014年より2018年まで、東日本放送で初の冠番組三又ノ番組が放送されていた。同番組で2016年に牛タン大使、ずんだ餅大使、仙台大観音大使、仙台牛大使、山形牛大使、チャチャワールドPR大使を委嘱されているほか、色麻町の1日町長にも就任していた。
| 名称 | 地域 | 種別 | 放送日 | 典拠 |
|---|---|---|---|---|
| 牛タン大使 | 宮城県 | 広報大使 | 2016年 | [4] |
| ずんだ餅大使 | 宮城県 | 広報大使 | 2016年 | [4] |
| 仙台大観音大使 | 宮城県仙台市 | 観光大使 | 2016年 | [4] |
| 仙台牛大使 | 宮城県 | 広報大使 | 2016年 | |
| 山形牛大使 | 山形県 | 広報大使 | 2016年 | |
| チャチャワールド大使 | 宮城県登米市 | 観光大使 | 2016年10月7日 | [5][6] |
| 一日色麻町長 | 宮城県加美郡色麻町 | 名誉町長 | 2017年4月14日 | [7] |
| 富谷市観光大使 | 宮城県富谷市 | 観光大使 | 2017年9月1日 | [8] |
2020年6月23日、YouTubeチャンネル「三又又三チャンネル」を開設しYouTuberデビュー。1か月以内に登録者数が10万人に達した場合は旅に出る、または赤ふんどしを穿いてバンジージャンプを飛ぶとヒカルのチャンネルにて宮迫博之立ち合いのもと、宣言した。
アマチュアレスリングの経験者で、仙台育英学園高校在校中に60kg級で宮城県大会の2位になる[3]。タレント活動するようになってから、これを活かして、『やりすぎコージー』の「やりすぎ格闘王」、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の「芸人格闘王」、『レッスルコロシアム ザ芸能界!最強格闘王者グランプリMAX』『世界衝撃のスゴびっくり!大集合 格闘王スペシャル!!』[10]などテレビ番組の企画でグラップリングを主体とした有名人との試合を行なっている。
立ち技格闘技のシュートボクシングの創始者で会長のシーザー武志とも親交を結んでおり、中継番組の司会や、ゲスト解説者を務めている。シュートボクシングには、アマチュア大会の出場経験もある。
プロレスも好み、新日本プロレスに入団する事も考えていた[3]。2005年2月にさいたまスーパーアリーナで開催されたWWE日本公演にも、観戦に訪れている。
旗揚げした自らの小劇団「マッチョドラゴン」の名前の由来は、藤波辰巳が1985年に発売したシングル『マッチョ・ドラゴン』。
同じ花巻市出身のエル・サムライは小学校の1学年先輩で、少年時代によく遊んでいたとされる。
2017年4月より、プロレスリングZERO1の大会に登場するほか[11]営業活動や道場での練習にも参加し、同年10月より同団体のGMに就任した[12]。
2018年6月、博多スターレーンにて、電流爆破バットデスマッチでプロレスラーとしてもデビュー[13]。その後、ヒールユニット『VOODOO-MURDERS』と結託し悪のGMとしてZERO1正規軍と抗争を展開しかけたが、2020年にZERO1の運営会社が変わり、新たなGMに工藤めぐみが就任。前GMの三又は2020年8月2日の後楽園大会で退任が発表され、VMからも追放となりZERO1から撤退した。
父は医師で実家は開業医[2]、兄は歯科医を営んでいたが、2016年12月28日に白血病で亡くなったと自身のTwitterで公表している。曽祖父は宮沢賢治と親友であったとしている[14]。
以下に代表的なものを挙げる。
もっとも多用する持ちネタの武田鉄矢のものまね芸は、もともとは三又の実姉が非常に得意としており、直々に伝授されたもの。そのため数ある持ちネタの中でも質を落とさないよう気を配り、大切に使っているという。武田鉄矢の有名な台詞である「このバカチンが!」は三又が真似したことが契機で広まったが、あえて実際の言い方とは変えている。また、金八の衣装や鞄は武田鉄矢の妻、節子から贈られた本物である。そのきっかけは、三又が大川明子により武田の舞台へ招待され夫妻と鉢合わした際に挨拶した所、武田から「ああお前か」と言われたが、節子の「若かりし頃のアンタにそっくり」という絶賛で、急に親近感を持たれたことから。
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