大森うたえもん
| 大森 うたえもん | |
|---|---|
| 本名 | 大森 博文(おおもり ひろふみ) |
| ニックネーム |
クンちゃん 軍団の良心 |
| 別名義 | 大森 クンタ(旧芸名) |
| 生年月日 | 1959年5月15日(67歳) |
| 出身地 |
|
| 身長 | 180 cm |
| 言語 | 日本語 |
| 方言 | 共通語 |
| 最終学歴 | 法政大学卒業 |
| 師匠 | ビートたけし |
| コンビ名 | ツーツーレロレロ(1981年 - 1983年) |
| グループ名 | たけし軍団 |
| 相方 | そのまんま東(コンビ時代) |
| 芸風 | 漫才(コンビ時代) |
| 立ち位置 | 右 |
| 事務所 | パワーピット |
| 活動時期 | 1981年 - |
| 同期 |
山田邦子 ヒップアップ コント赤信号 |
| 他の活動 |
タレント 歌手 放送作家 実業家 |
大森 うたえもん(おおもり うたえもん、本名:大森 博文〈おおもり ひろふみ〉、1959年5月15日 - )は、宮崎県を拠点に活動する日本のタレント、歌手、放送作家、実業家。パワーピット所属。
略歴
岡山県出身。岡山市立妹尾中学校、県立岡山操山高校、法政大学卒業。法政大学在学中の1981年、教員試験に落ちたことがきっかけでお笑い芸人になることを決意する。とりあえずテレビ局のADとなり、前説と拍手の練習を公開収録の観客に促す仕事をしていた。ちょうどその頃、約束だった3か月の契約を満了し相方が芸能界を引退したため、次の相方を探していたそのまんま東(東国原英夫)に見出され、お笑いコンビツーツーレロレロに加入した[1]。以後しばらくは大森 クンタの芸名で活動していた。
ツーツーレロレロは日本テレビのオーディション番組『お笑いスター誕生!!』に出演して注目を集め、同じく番組に参加していたカージナルスとも知り合った。軍団の草野球チームに誘う中で、後にたけし軍団に加わりたけしの2番弟子となる[注釈 1]。全員の名前が刷新されたタイミングで、大森がギターを弾きつつ歌を歌うのが大好きなため芸名が大森 うたえもんとなった。東とコンビ結成後、大森は高田文夫の世話役をたけしから命じられていたため、たけし軍団入りはコンビ結成から約1年ほどズレている[2]。
たけし軍団においては、下ネタを連発する他のメンバーとは異なり、パロディや替え歌を中心とした芸風で「軍団の良心」と呼ばれ、『ビートたけしのスポーツ大将』(この時の野球で完全試合を達成した)や『夢がMORI MORI』のスーパーキックベースではチームの主砲として成果をあげた。しかし役者を志して独立を希望し、たけし軍団を離れると同時にオフィス北野(後のTAP)を退社した[注釈 2]。
退所は歌や芝居に力を入れたいという理由で、当時所ジョージの所属事務所から誘われるも、「すぐに抜けるわけにはいかない」と約2年ほど1人での仕事を地方等でこなし、たけしから「所に連絡しておく」との言葉を掛けられ正式移籍した経緯がある[2]。当時は「謀反」との記事も書かれたが、「芸能界で頑張ることが恩返しになると思っていた。謀反という気持ちはない」と2023年のインタビューで否定している[2]。
テレビではメインを張ることがあまりなかったが、地方局ではメインMCを担当することもあり、例として静岡第一テレビの『JanJanサタデー』ではラサール石井の後を受け、1990年4月 - 1991年3月に番組司会を担当した。また、出身地の岡山では『ニョキニョキテレビ・しらべーるの冒険』(岡山放送)の司会を長く務めた。放送作家としての活動もあり、『恋のチューンネップ』などを担当した。
2002年には自ら作詞・作曲を手がけたマキシシングル『Wedding Eve」』をリリース。結婚式で新婦が両親に捧げる歌として、結婚披露宴のゲストとして歌うことも増え、営業も増加した。コーラスには高校の後輩で親交の深いミュージシャンの甲本ヒロトが参加し、カップリングではTHE HIGH-LOWS『千年メダル』のカバー曲が収録されている。
2007年1月に東国原が宮崎県知事に就任すると、元相方だったことから『サタデースクランブル』の「東国原劇場」のコーナーに不定期に出演[1]。知事にインタビューをするなど、レポーターとしても活動している。東国原の一番弟子でお笑い芸人の早川伸吾とコンビを組んでの出演が多かった。自身も宮崎に移住し、東国原の似顔絵を地元企業などに有料で提供する会社「びっきょ」を立ち上げ社長に就任した[3]。元々は東国原の後援会がやる予定であったが、公職選挙法に抵触するとの指摘から会社名義で提供することとなった(その後、芸能活動に専念するとして2007年10月31日付で退任している)。
さらに自らプロデュースしたラーメンチェーン「そのまんまラーメン」や宮崎県産品ショップ「そのまんま市場」を運営するなど、東国原関係のビジネスを展開したが、東国原は2011年1月に任期1期で知事を退任する[1]。しかし大森はそのまま宮崎に残る選択をした後、地元局の番組にレギュラー出演・ゲスト出演の他、町おこしイベントや企業パーティー等のオファーもあり、合間に宮崎市内の老人ホームへ定期的にボランティア慰問するなどしている[1]。
2023年3月、たけし軍団結成40周年記念舞台「ウスバカゲロウな男たち」のカーテンコールで、東国原英夫(元・そのまんま東)と共に演壇へ登場し、約20年ぶりにたけし軍団結成当初の10人が勢ぞろいした[4]。
著書
- 例ダース―失われたギャーグ(1988年10月、太田出版)
- ノルウェイの大森(1989年10月、太田出版)
雑誌
CD
出演
テレビドラマ
- あぶない少年III(1988年、テレビ東京)
- 西村京太郎サスペンス『殺しのインターチェンジ』(1990年5月14日、関西テレビ)
- 仮面天使ロゼッタ 第5話(1998年8月1日、テレビ東京) - 蟋蟀魔人ギリグラスの人間態 役
- 監察医・室生亜季子 29(2001年1月23日、日本テレビ)
- 早乙女千春の添乗報告書 11(2001年7月2日、TBS)
- 身辺警護 9(2001年12月11日、日本テレビ)
- 紅の紋章(2006年10月 - 11月、東海テレビ)
- 万引きGメン・二階堂雪 15(2007年5月7日、TBS)
- 土曜ワイド劇場西村京太郎サスペンス『鉄道捜査官(8)』(2007年9月29日、テレビ朝日)
- 経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断(2010年5月、テレビ東京)
- タクシードライバーの推理日誌 27『殺意の子守歌』(2010年10月、テレビ朝日)
テレビ
- JanJanサタデー(1990年4月 - 1991年3月、静岡第一テレビ)
- 東国原知事特別出演「よかとこ宮崎SP」(スカイパーフェクTV!・旅チャンネル)
- JAGAJAGA天国(テレビ宮崎)
- 夢がMORI MORI(フジテレビ)
ラジオ
- 大森うたえもんのどけぇいきょーん?!(1990年4月 - 1992年3月、山陽放送)
- 大森うたえもんのハッピーウエディング( - 2008年3月、宮崎放送)
- 大森うたえもん・早川伸吾のエンターテイメントのジョー式(2008年4月 - 、宮崎放送)
- 大森うたえもんの、これがエンターテイメントだジョー!(宮崎サンシャインエフエム)
- うたえもんのラジオでドーヨ?!(宮崎放送)
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 “たけし軍団で活躍 宮崎に移住した大森うたえもんさんは今”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2018年11月19日). 2019年10月22日閲覧。
- 1 2 3 アサヒ芸能編集部「我々はこうして殿の下に集った たけし軍団40周年ドキュメント」徳間書店『アサヒ芸能』2023年5月18日特大号 152‐157頁
- ↑ “日本最大級のタレント情報網 / タレント検索 - タレントデータバンク”. www.talent-databank.co.jp. 2025年6月29日閲覧。
- ↑ “たけし軍団、約20年ぶりに結成メンバー10人が集結 40周年記念舞台に東国原英夫と大森うたえもんが合流”. サンケイスポーツ (2023年3月12日). 2023年3月12日閲覧。