佐竹行義

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佐竹行義
時代 鎌倉時代後期
生誕 弘長3年(1263年)
死没 嘉元3年10月12日(1305年10月30日)
別名 彦次郎
墓所 茨城県常陸太田市の勝楽寺(正宗寺)
官位 左衛門尉、常陸介
幕府 鎌倉幕府
氏族 清和源氏佐竹氏
父母 父:佐竹義胤、母:岩崎氏
兄弟 佐竹行義・小川宗義(小河入道義綱)・豊間義煕(彦四郎入道勝義)・稲木義信(義貞)・高部景義
妻 二階堂頼綱の娘
子 貞義、長倉義綱、大内義高、義信、中条貞宗(大塚義治)、高久景義
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佐竹 行義(さたけ ゆきよし)は、鎌倉時代後期にかけての武将。

佐竹氏7代当主で、佐竹義胤の子。

経歴

弘安年間(1278年 - 1284年)、正宗寺の正法院を建立した[1][2]。永仁年間(1293年 - 1299年)には伏見天皇から正法院の勅額を賜った[2]。

脚注

  1. ↑ (2)佐竹氏ゆかりの正宗寺 - 茨城県立歴史館
  2. 1 2 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.19