佐竹隆義

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佐竹 隆義
時代 平安時代末期
生誕 元永元年(1118年)
死没 寿永2年5月20日(1183年6月11日)
改名 詮義(初名)→ 隆義
別名 四郎(通称)、常陸冠者
墓所 勝楽寺(現・茨城県常陸太田市増井町の正宗寺)
官位 従五位下、常陸介
主君 平清盛 → 平宗盛
氏族 清和源氏義光流(常陸源氏・佐竹氏宗家)
父母 父:佐竹昌義、母:藤原清衡の娘
兄弟 忠義(大掾忠幹)
国分義弘
隆義
袋田義宗
岡田親義
革島義季(革嶋昌成)[1]
娘(吉川経義室)
妻 戸村能通の娘
子 佐竹義政?(兄の説あり)
稲木義清
秀義
松山義房
南酒出季茂
北酒出助義
特記
事項
太田城主、常陸奥七郡支配を確立
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佐竹 隆義(さたけ たかよし)は、平安時代末期の武将。常陸源氏・佐竹氏の第2代当主[2]。新羅三郎源義光の曾孫で、初代当主・佐竹昌義の四男(三男とも)。初名は詮義(あきよし)。通称は四郎。

生涯

太田城進出と奥七郡の支配

元永元年(1118年)、初代当主・佐竹昌義の子として誕生。母は奥州藤原氏の祖・藤原清衡の娘とされる。

隆義は常陸北部の勢力拡大を推し進め、秀郷流藤原氏で代々守護代を務めていた太田城主・藤原通盛(小野崎氏の祖)を服属させて小野台地に移らせ、本拠を馬坂城から太田城(舞鶴城)へと移したと伝えられる。旧拠の馬坂城は次男の稲木義清に与えて稲木氏を興させ、宗家は太田城を拠点として奥七郡(多珂・久慈東・久慈西・佐都東・佐都西・那珂東・那珂西)にまたがる広大な地域支配を確立した。

中央においては平治の乱(1159年)以後、伊勢平氏に臣従して平清盛に接近し、常陸介などの官職を得て在京活動や大番役に従事した[3]。

治承・寿永の乱と金砂城の戦い

治承4年(1180年)、隆義の上洛中に源頼朝が伊豆で挙兵した。佐竹氏は源氏の同族であったが、平氏政権との結びつきが強固であったため頼朝に呼応しなかった[4]。『佐竹家譜』は、この頼朝に対する対抗措置として、隆義が平清盛の奏請により従五位(従五位下)に叙任されたとしている[5]。ただし、『新編常陸国誌』においては、平宗盛の奏請によるとされている[6]。

同年10月、富士川の戦いを経て関東の反対勢力平定を目指す頼朝は、上総広常らの進言を受けて常陸国へ出兵した。11月4日、頼朝軍が常陸国府(後の石岡市)に到達すると、縁戚である広常の招きに応じて会見に向かった佐竹氏の嫡男(あるいは隆義の兄ともされる)義政が、国府近郊の園部川にかかる大矢橋上で広常に謀殺された(大矢橋事件)。

太田城で留守を預かっていた子の秀義らは防戦のため堅固な要塞である金砂城に籠城したが、叔父の佐竹義季が頼朝方に内通して城の裏山へ案内したため、防戦叶わず落城した(金砂城の戦い)[5]。秀義はさらに北方の花園城(武生城とも)へと逃れ、家臣である岩瀬与一太郎義正の懸命の懇願によって追討は回避され、佐竹氏は辛うじて滅亡を免れた。しかし、佐竹氏が誇った奥七郡などの所領の大部分は没収され、八田知家らに与えられた[5]。

晩年

その後、隆義は領国の常陸国に下向したとみられる。佐竹氏は所領を奪われて勢力を減退させたものの、なお奥州の藤原秀衡(隆義の従兄弟・義兄弟にあたる)と結んで頼朝の背後を脅かす存在として警戒されていた。

寿永2年(1183年)7月、木曾義仲の上洛に伴って後白河法皇ら朝廷から上洛を要請された頼朝は、同年10月7日付の書状で、北陸道の義仲や奥州の秀衡とともに、「常陸国の住人佐竹四郎隆義」が背後から鎌倉を襲撃する恐れがあることを主な口実の1つとして挙げ、上洛要請を辞退している(『吾妻鏡』同日条)。頼朝にとって、隆義率いる佐竹氏は奥州藤原氏と並ぶ東国の二大脅威として認識されていたことが窺える。

隆義は同年(1183年)、66歳で死去した(『佐竹家譜』では5月20日没とするため、『吾妻鏡』10月7日条の時点ではすでに死去していたが頼朝側が把握していなかった、あるいは佐竹一族の代名詞として隆義の名が挙げられていたとも考えられている)。

長男の義政は大矢橋で謀殺されており、次男の義清は庶子のため分家して馬坂城に拠り稲木氏の祖となっていたため、三男の秀義が家督を継いだ[6]。秀義はのちに頼朝に帰参し、奥州合戦での軍功を通じて鎌倉御家人としての佐竹氏の再興を果たすこととなる。

系譜

系図

脚注

  1. ↑ 山城国葛野郡川島庄を拠点とした。
  2. ↑ 兄の忠義(大掾忠幹)を第2代当主とし、佐竹隆義を第3代当主とする見解もある(渡部 1980、32-33頁)。
  3. ↑ 渡部 1980、39-40頁
  4. ↑ 渡部 1980、39-40頁
  5. 1 2 3 渡部 1980、41頁
  6. 1 2 渡部 1980、42頁

参考文献

  • 渡部景一『佐竹氏物語』無明舎出版、1980年7月。ISBN 4-89544-133-4。 
  • 洞院公定 著、今泉定介 編『尊卑分脈』吉川弘文館、東京〈故実叢書〉、1899年。 NCID BN12488942。 
  • 木村茂光「金砂合戦と初期頼朝政権の政治史」『帝京史学』29号、2014年。 
  • 『佐竹家譜(上)』(原武男翻刻・編集、加賀谷書店、1973年)
  • 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)
  • 『常陸太田市史 通史編 上巻』(常陸太田市編、1984年)