| 函館公園 | |
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函館公園と函館山(2014年8月) | |
| 分類 | 都市公園(総合公園)[1] |
| 所在地 | |
| 座標 | 北緯41度45分24秒 東経140度42分58秒 / 北緯41.75667度 東経140.71611度座標: 北緯41度45分24秒 東経140度42分58秒 / 北緯41.75667度 東経140.71611度 |
| 面積 | 4.8ヘクタール |
| 開園 | 1879年11月3日[2] |
| 設計者 | 浅田清次郎[3] |
| 運営者 | 函館市(指定管理者:函館市公園管理コンソーシアム[4]) |
| 設備・遊具 | ビジターセンター、動物園、博物館、遊園地、噴水、池、花壇 |
| 駐車場 | 障がい者用4台 |
| アクセス |
函館市企業局交通部(函館市電)「青柳町停留場」下車 徒歩3分 函館バス「函館公園」バス停下車 徒歩1分 |
| 告示 | 都市計画決定:昭和30年12月20日建設省告示第1506号[5] |
| 事務所 | 函館公園ビジターセンター |
| 事務所所在地 | 北海道函館市青柳町17番地 |
函館公園(はこだてこうえん)は、北海道函館市にある都市公園(総合公園)。近代日本における代表的な都市公園の1つであり、文化財保護法に基づく登録記念物(名勝地関係)に登録されている[6]。また、「日本の歴史公園100選」や「北の造園遺産」にも選定されている[7][8]。なお、函館公園の敷地は財務省所管の国有財産であり、函館市が無償貸与を受けている[9]。
1873年(明治6年)1月15日、勝区や旧跡を公園とする太政官布告・太政官達が布達され、翌年には府県や港などの人口密集地は住民の賛同を得て公園を設置してほしいと布達された[10]。函館は一般開放できる名所旧跡や広大な寺社境内が存在しない土地柄であり、谷地頭町にある官有地の御用畑とその周辺を公園開設予定地として官民協働で公園を設置しなければならなかった[10]。当初は公園に対するイメージが定着していなかったが、函館に駐在していた英国領事リチャード・ユースデンは「病人にも病院が必要なように健康な人にも休養する場所が必要」という公園の必要性を説き、豪商の渡辺熊四郎は設立費を寄付して公園開設活動に尽力した[10]。
1878年(明治11年)になってようやく公園造成への機運が高まって個人からの寄付も増えたため、土工に着工できる運びとなった[3]。同年には函館在住の俳人狐山堂無外が公園監守に命じられ、園内に居住して管理に当たった[3]。築山を造成する際には函館支庁の官吏が休日に土運びの勤労奉仕したのをはじめ、各町内からも競って奉仕活動に繰り出し、各寺院は檀家を動員、消防組や芸娼妓達も参加したという[3]。このような活発な住民参加によって造成されたことが函館公園の特色であり[3]、日本国内でも類いまれなことである。
1879年(明治12年)5月には開拓使仮博物場が開館して多くの人が公園を訪れるようになり[2]、同年11月3日に開園式が行われた[2]。


北海道内初となる洋式公園であり、洋式石橋の白川橋[2]や動物飼育施設も北海道内初となっている。市立函館博物館は開拓使仮博物場を前身とした日本国内で最も歴史ある地方博物館。旧函館博物館の建物2棟は北海道指定の有形文化財になっている[17]。遊園地の「函館公園こどものくに」にある観覧車は1950年(昭和25年)に七飯村(現在の七飯町)の大沼湖畔に設置され、1965年(昭和40年)に現在地へ移設されたものである。現存する日本国内最古の観覧車であることが判明しており[18][19]、国の登録有形文化財に登録されている[20]。遊園地はレトロな雰囲気の中、13機種の遊戯施設がある。公園造成時に移植したマツ(高田屋の松、鶴亀の松)は高田屋嘉兵衛が築いた屋敷にあったもので、1972年(昭和47年)、「北海道記念保護樹木」に指定された[21]。
函館公園は桜の名所にもなっており、1891年(明治24年)と1894年(明治27年)の2度にわたって商人逸見小右衛門がサクラとウメの木約5,250本を自ら植栽した[22]ことに始まっている。その後の大火で樹木の一部を焼失したが、現在でもソメイヨシノを中心に約420本のサクラの木があり、開花時期には花見電飾が行われる。
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