| 中華人民共和国 陝西省 咸陽市 | |
|---|---|
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| 簡体字 | 咸阳 |
| 繁体字 | 咸陽 |
| 拼音 | Xiányáng |
| カタカナ転写 | シェンヤン |
| 国家 | |
| 省 | 陝西 |
| 行政級別 | 地級市 |
| 建置 | 前353年 |
| 面積 | |
| 総面積 | 10,195 km² |
| 人口 | |
| 総人口(2001) | 501 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 029 |
| 郵便番号 | 712000 |
| ナンバープレート | 陝D |
| 行政区画代碼 | 610400 |
| 公式ウェブサイト: http://www.xianyang.gov.cn/ | |
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咸陽市(かんよう-し)は中華人民共和国陝西省に位置する地級市。
かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」なためにこの名前がついた。
3市轄区・2県級市・9県を管轄する。
| 咸陽市の地図 |
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紀元前352年に秦の孝公が咸陽城を造り、都をここに移した。その後、始皇帝により阿房宮造営の大規模な工事が行われ当時としては稀な巨大都市になっていった。 始皇帝死後も工事は続けられたが、二世皇帝胡亥・三世子嬰の代になっても阿房宮は未完成のままであった。 また始皇帝は直道(ちょくどう)と呼ばれる直線の軍用道路を咸陽から北に700kmも離れた九原郡まで造った[3]。
紀元前206年に阿房宮は項羽により焼き払われたというのが、現代までの定説であったが、2003年に焼き払われてはいないと言う説も登場した。 ちなみに、その後楚漢戦争に勝利した劉邦により、渭水を渡って咸陽南郊の長安(現在の西安市)を前漢王朝が築城し首都に定め、長安が繁栄していった。

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