埼玉郡

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埼玉県埼玉郡の範囲

埼玉郡(さいたまぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった郡。埼玉県の県名は当郡名に由来する。

郡域

現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

歴史

郡名の由来

地名は古く、飛鳥時代には「前玉」(さきたま)と書かれていたことが知られているが、語源は定かではない。国衙が置かれていた多摩郡の前を意味するとする説、本居宣長が提唱した「幸魂」(さきみたま)が転じたとする説などがあるがいずれも確証はない。

埼玉古墳群のある行田市埼玉(さきたま)や、隣接する前玉神社(式内社)が地名発祥地に比定されている[1]。

古代

埼玉郡は、7世紀の評制下で設置された前玉評(さきたまのこおり)を前身とする。藤原宮跡から、「前玉評」と書かれた瓦片が見つかっている[2]。また、武蔵国分寺献進瓦や『万葉集』にも「前玉」の文字が見える。

701年の大宝律令制定に伴い、評が郡となり前玉郡が成立した。726年(神亀3年)付の『山背国戸籍帳』(正倉院文書)には「武蔵国前玉郡」とある。一方、『続日本紀』733年(天平5年)条に「武蔵国埼玉郡」の記述があり、少なくとも奈良時代には「埼玉」という表記は使用され始めていたらしい。平安中期成立の『和名類聚抄』では「埼玉」が「佐以多万」と訓じられており、10世紀には「さいたま」という読みが確立していた。郡衙の位置については熊谷市の北島遺跡が有力視されている[3]。

郷

平安中期に成立した『和名類聚抄』に「埼玉郡」の郷として掲載されているのは以下の通り。

  • 大田(おおた)
    • 中世に「大田荘」と称される久喜市鷲宮町からさいたま市岩槻区にかけての地域に比定するのが定説である[4]。
  • 笠原(かさはら)
    • 鴻巣市笠原周辺に比定するのが定説である[4]。
  • 草原(かやはら)
    • 比定地不詳。加須市・羽生市・大利根町とする説や春日部市から越谷市周辺とする説がある[4]。
  • 埼玉(さいたま)
    • 行田市と郡衙があったと推定される熊谷市成田・箱田・平戸を含む地域に比定される[5]。
  • 余戸(あまるべ)
    • 比定地不詳。越谷市周辺とする説と羽生市周辺とする説がある[5]。

式内社

『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。

神名帳 比定社 集成
社名 読み 格 付記 社名 所在地 備考
埼玉郡 4座(並小)
前玉神社 二座サイタマノ小前玉神社埼玉県行田市埼玉
玉敷神社タマシキノ小玉敷神社埼玉県加須市騎西
宮目神社ミヤメノ小(論)宮目神社埼玉県加須市騎西玉敷神社境内社
(論)高城神社埼玉県熊谷市高本
(論)姫宮神社埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮
(論)神明神社埼玉県久喜市菖蒲町上栢間
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    中世

    中世には東西に分割され、騎西郡(寄西郡・埼西郡とも)と騎東郡(荘園名としては太田荘)に分割されていた。従来の研究では東西の境目は元荒川と考えられてきたが、江戸時代初期に行われた利根川や荒川の大改修で付近一帯の河川の流路が大きく変わっているとする筈だとする観点から見直しが行われた結果、現在では歴史河川である日川(にっかわ)が境界線であったと考えられている。日川は江戸時代初期に北側が新川用水の一部とされて備前前堀川に繋げられるなど大きな流路の変更が加えられたために東西境界としての役目を果たせなくなった(水量が減少した南側は18世紀には水田化される)。このためか、寛永年間には騎東郡は用いられなくなり、騎西郡も公文書からは姿を消すことになる[6]。

    現在の越谷市の元荒川左岸側が慶長17年(1612年)以前まで下総国葛飾郡に所属していた[7]。

    近世以降

    所属町村の変遷は北埼玉郡#郡発足までの沿革、南埼玉郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

    参考文献

    • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 11 埼玉県、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。 
    • 旧高旧領取調帳データベース
    • 埼玉県 編『新編埼玉県史 通史編』 1 (原始・古代)、角川書店、1987年3月1日。https://dl.ndl.go.jp/pid/9644162/1/343。 
    • 埼玉県市町村合併史 上・下巻 埼玉県地方課監修
    • 埼玉県市町村誌

    脚注

    1. ↑ 武蔵国・前玉神社(さきたまじんじゃ)埼玉県名発祥の古社前玉神社
    2. ↑ “飛鳥·藤原宮発掘調査概報8” (PDF). 奈良文化財研究所. 2023年12月31日閲覧。
    3. ↑ 埼玉県熊谷市埋蔵文化財調査報告書第5集 20ページ埼玉県熊谷市教育委員会
    4. 1 2 3 埼玉県 1987, p. 623.
    5. 1 2 埼玉県 1987, p. 624.
    6. ↑ 林貴史「騎西郡と騎東郡の領域について-境界としての日川」(初出:『八潮市史研究』13号、八潮市立資料館、1993年/所収:新井浩文 編著『旧国中世重要論文集成 武蔵国』戎光祥出版、2023年 ISBN 978-4-86403-463-0)2023年、P354-368.
    7. 1 2 武井 尚 (1993). 「近世初頭の国境の移動と流路」『中川水系 Ⅲ人文』、117-120頁. 埼玉県
    8. ↑ 村数の数え方には諸説あり、「角川日本地名大辞典」の記述では「旧高旧領取調帳」では19町421村、27万4,658石とある。
    9. ↑ 郡役所半世紀の光芒 郡長たちのアーカイブズ埼玉県立文書館]

    関連項目

    先代
    前玉評
    行政区の変遷
    701年 - 1879年
    次代
    北埼玉郡・南埼玉郡