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奉免町
奉免町の位置(千葉県内)
奉免町
奉免町
奉免町の位置
北緯35度44分34.31秒 東経139度57分29.38秒 / 北緯35.7428639度 東経139.9581611度 / 35.7428639; 139.9581611
国 日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 市川市
人口
(2017年(平成29年)9月30日現在)[1]
 • 合計 1,547人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
272-0803[2]
市外局番 047[3]
ナンバープレート 市川

奉免町(ほうめまち/ほうめんまち)は千葉県市川市の地名。住居表示未実施。郵便番号は272-0803[2]。

地理

市川市北部に位置する。東・北は柏井町、西は南大野、南は北方町と接している。主に住宅地として利用されるが、緑地も残されている。東側をJR武蔵野線が通る。

小字

ここでは、1951年当時存在した小字を北から列挙する。

歴史

地名の由来

奉免山安楽寺と門前の碑

鎌倉時代のことである。難病を患った娘が乳母と共にこの地にたどりつき住み着いた。村人が不審に思い役人に知らせると、しばらくしてその娘は畏くも常磐井殿の姫宮、つまり後深草上皇の皇女であることが判った。そこで鎌倉幕府は村の年貢の奉納を免ずる代わりにこの姫宮の面倒をみるように命じた。かくして村は「奉免」されたのである[4]。こののち姫宮は若宮中山法華経寺の日蓮の説教に接し、病が治ったあともこれに帰依すること篤く、やがて日蓮宗門で最初となる尼寺「奉免山安楽寺」を開山するに至った。皇室ゆかりの寺として、安楽寺の寺紋は菊の御紋となっている[5][6]。

沿革

地名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
奉免町 1951年12月1日 奉免

地名の読み

奉免町の読みについては、「ほうめまち」とする資料と「ほうめんまち」とする資料がある。市川市博物館友の会・市川市教育委員会編『市川市の町名』(1987)には、いずれの読み方もあるとされている。 郵便番号一覧表[7]やインターネット上の地図サイトでは「ほうめまち」の読みを採用しているが、市川市教育センター編の社会科副読本『わたしたちの市川』[8]、『角川日本地名大辞典 千葉県』(角川書店、1984)、『日本歴史地名大系 千葉県の地名』(平凡社、1996)などは「ほうめんまち」の読みを採用している。松戸市本土寺の過去帳には、文明3年(1471年)の記載に「ホウメン」という地名がある[9]。

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。

町丁世帯数人口
奉免町 666世帯 1,547人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。

番地小学校中学校
全域市川市立柏井小学校市川市立第五中学校

施設

脚注

[脚注の使い方]
  1. 1 2 “町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
  2. 1 2 “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ↑ 官物・雑事などの賦課を免除すること – コトバンク
  5. ↑ “歴史や地形に関連した地名町名”. 京葉瓦斯. 2009年4月11日閲覧。「歴史の代表地名に国府台 鬼越と高石神と鬼高」項の最下部 at the Wayback Machine (archived 2010-02-05)
  6. ↑ 参考文献:「市川のむかし話」、「流れついたおひめさま(常盤井の宮)」市川民話の会編集、太平印刷社、1980年7月20日初版
  7. ↑ 日本郵政のサイトを参照。
  8. ↑ 市川市教育センターのサイトを参照。市川市教育センターのサイト at the Wayback Machine (archived 2011-11-25)
  9. ↑ 『角川日本地名大辞典 千葉県』p.762、『日本歴史地名大系 千葉県の地名』(平凡社、1996)p.224
  10. ↑ “小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。

関連項目

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