宇治神社

中門
所在地 京都府宇治市宇治山田1
位置 北緯34度53分27.77秒 東経135度48分38.52秒 / 北緯34.8910472度 東経135.8107000度 / 34.8910472; 135.8107000 (宇治神社)座標: 北緯34度53分27.77秒 東経135度48分38.52秒 / 北緯34.8910472度 東経135.8107000度 / 34.8910472; 135.8107000 (宇治神社)
主祭神 菟道稚郎子命
社格等 式内社(小)
旧府社
創建 不詳
本殿の様式 三間社流造
別名 離宮明神
例祭 5月8日・6月8日
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鳥居

宇治神社(うじじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。式内社で、旧社格は府社。隣接する宇治上神社とは対をなす。

祭神

祭神は次の1柱。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳で「宇治神社二座」と見える2座のうち1座に比定される。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を1座とすることは動かないものの、もう1座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする諸説がある[3]。

歴史

創建

創建年代などの起源は明らかではない。宇治神社のすぐ近くには宇治上神社があるが(北緯34度53分31.44秒 東経135度48分41.18秒 / 北緯34.8920667度 東経135.8114389度 / 34.8920667; 135.8114389 (宇治上神社))、宇治神社とは二社一体の存在であった[2]。

宇治上神社は、第15代応身天皇の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であり、皇子の菟道稚郎子命の宮居跡と伝えられており、菟道稚郎子命の薨御後に御神霊を祀ったのが始まりである。

宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる[2]。

宇治上神社の境内には「天降石」・「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある[2][3]。

概史

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される[2]。神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。後に近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。

明治以前は宇治神社は「下社」・「若宮」、宇治上神社は「上社」・「本宮」と呼ばれたほか、両社を合わせて「宇治離宮明神」・「宇治離宮八幡宮」と総称された[2]。

明治に入って宇治上神社とは分離し、1911年(明治44年)府社に昇格した。

2018年(平成30年)には台風第21号で大鳥居が土台部分から折れて倒壊する被害に遭った[4]。

神使いの兎

菟道稚郎子命が、河内の国から菟道へ向かわれる途中、道に迷われた。その際、一羽のうさぎが現れ、後からついてこられる命を先導したという古伝から「みかえりうさぎ」といわれ、神使とされている。

現在、宇治神社ではみかえり兎の絵馬やおみくじを頒布しており、毎月一日のみ、ブロンズのみかえりうさぎの置物が現れる[5]。

境内

本殿(重要文化財)

摂末社

祭事

文化財

重要文化財(国指定)

京都府指定有形文化財

宇治市指定有形文化財

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ↑ 宇治神社の案内看板より。
  2. 1 2 3 4 5 6 『京都府の地名』宇治上神社項・宇治神社項。
  3. 1 2 『日本の神々』宇治上神社・宇治神社項。
  4. ↑ “台風21号被害 京都・宇治神社で大鳥居が土台部分から折れる”. 毎日放送 (2018年9月5日). 2018年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月5日閲覧。
  5. ↑ “〜願掛け うさぎさん巡り、「みかえり兎」おみくじ〜”. 宇治神社. 2023年8月6日閲覧。
  6. ↑ 宇治神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  7. ↑ 木造莵道稚郎子命坐像 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
  8. ↑ 平成30年3月23日京都府公報 (PDF) より京都府教育委員会告示第3号(リンクは京都府ホームページ)。
  9. 1 2 宇治市の文化財(宇治市ホームページ)。

参考文献

外部リンク

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