後藤浩輝

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後藤浩輝
2011年京都大賞典表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県[1]相模原市
(現在の神奈川県相模原市中央区)
出生は神奈川県横浜市
生年月日 (1974-03-19) 1974年3月19日
死没 (2015-02-27) 2015年2月27日(40歳没)
身長 157cm[1]
体重 50kg[1]
血液型 B型[1]
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー[1]
初免許年 1992年
免許区分 平地
騎手引退日 2015年2月27日(死亡)
重賞勝利 53勝(JRA)
G1級勝利 5勝(JRA)
通算勝利 1510勝(うち地方競馬63勝)
経歴
所属 美浦・伊藤正徳(1992.3 - 1995.5)
美浦・フリー(1995.5 - 2015.2.27)
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後藤 浩輝(ごとう ひろき、1974年3月19日[1] - 2015年2月27日[2])は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属していた騎手である。

テレビでの芸能活動のためオスカープロモーションにも所属していた[3][注 1]。妻はタレントの湯原麻利絵[4]。

経歴

デビュー前

少年時代に空手や体操を習っていて[5]、のちにそれらによって反射神経や瞬時の判断力が身につき、騎手になって役に立っていると著書で述べている。相模原市立清新中学校卒業[6]。

母はいわゆる「手に職をつけるべき」という考えをもっており、後藤自身もサラリーマンにはなる気はなかったと述べている[7]。進路を考え始めたときの後藤の考えは自分が好きであった料理を生かしてのフランス料理のコックになることであったが、それを伝えると母はたまたま過去に競馬学校のドキュメンタリー番組を見ていたことから競馬の道に進むことを薦められる[8]。しかし競馬の知識や興味もなかったがとりあえず、高校や専門学校の試験の前に不合格でもいいから受験することとなり見事合格することになる[9]。競馬学校に入るまで乗馬経験もなかった後藤は落馬回数がトップになるほど一番下手であったと述べている[10]。そうしたなかスティーブ・コーゼンのビデオを見たことで「惚れた」と称するほど感銘を受け、意識や取り組みが変わったという[11]。

1992年2月、競馬学校を卒業[12]。

デビューからクラシックレース制覇まで

1992年に美浦の伊藤正徳厩舎所属として騎手デビュー[13]。同期に小林淳一や横山義行、上村洋行などがいる[14]。初騎乗は1992年3月1日、中山競馬第1競走のエンシュードラゴンで16頭立ての6着だった[10][15]。初勝利は同期で最も遅い[16]同年4月4日の中山競馬第4競走で、タイガーリリーに騎乗してのものだった[1]。しかし、1年目から所属する調教師の伊藤と折り合いがつかなくなってしまう[17]。後藤は著書で「岡部幸雄や柴田政人と同じレベルのことを求めている」と語っており[17]、歩き方で注意をされたり[17]、他厩舎の調教にも決して行けず、伊藤自身も後藤に対して「勝てる馬は乗せない」と語っていたという[18]。後藤は減量期間がなくなる3年は我慢して、その後フリーになることを決意するようになる[19]。伊藤はその宣言通り後藤には自厩舎の有力馬には乗せなくなったという[20]。

1994年の福島記念で騎乗したシルクグレイッシュで重賞初勝利[21]。同馬は先輩である小野次郎が騎乗する予定だったが、小野が同日の第4競走で落馬負傷したため急遽乗り替わった。これは50キログラムの負担重量で騎乗できる有力騎手が空いていなかったためである。大和田稔調教師は、後藤と同じ美浦トレーニングセンターの所属であるが、それまで後藤の顔すらも知らなかったという。

1995年に師匠の伊藤との考えの相違からフリーの騎手となる[22][13][注 2]。4年目にして初の21勝を挙げる[24]。翌1996年にはアメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市カルダー競馬場などを拠点に半年間の武者修行に出て[25]、158戦7勝の成績を残す[26]。アメリカから帰国した1997年はアメリカに行く前年の21勝から46勝と倍増[27]。以降は成績を伸ばし、1998年には年間63勝を挙げ、初の関東リーディング・ベスト10に入る(6位)[28]。

1999年8月19日、美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」で、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして一方的に暴行を働き負傷させ[29]、翌日のスポーツ新聞各紙のトップ記事となる不祥事を起こした[30]。JRAによる事情聴取の結果、日本中央競馬会競馬施行規程第126条第20号に基づき後藤は騎乗停止となり[29]、その期間は後日に開かれた裁定委員会で8月20日から12月19日までの4か月と決定、これまでに暴力事件を起こした騎手のうちでは最長の騎乗停止期間となった[31]。12月25日に復帰するも、翌26日に進路妨害で3週間の騎乗停止処分を受ける[32]。

翌2000年には、年末の最後まで岡部幸雄や横山典弘と関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初となる年間100勝(最終的には101勝)をマーク[33]。関東リーディングは2位、また初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たす[33]。ダイヤモンドステークスでユーセイトップランに騎乗して東京競馬場の長距離戦ではタブーとされている3コーナーまくりを行い、そのまま先頭でゴールしたのはこの年である[34]。マイルチャンピオンシップ南部杯でゴールドティアラに騎乗して勝利し、統一GIながらも自身初のGI制覇も達成した。

2002年6月2日、安田記念をアドマイヤコジーンに騎乗して制し、中央競馬のGI初勝利[13]。このあとイギリスへ再び3か月の海外遠征にも出る。2004年12月12日には朝日杯フューチュリティステークスでマイネルレコルトに騎乗し、2つ目のJRAのGI勝利を挙げる。2006年11月25日、ジャパンカップダートでアロンダイトに騎乗し3つ目のJRAGI勝利を挙げる。

2007年9月24日から9月28日までアメリカへ競馬視察のため海外出張を行った[35]。11月4日に前年に続き自身4度目となるJRA年間100勝を達成した[36]。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で2位となる97勝を中央で挙げたことから第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへ出場することになり、最終レースで優勝の可能性を残していたが、結果は5着に終わり、優勝騎手と4ポイント差の2位に終わった[37]。ワールドスーパージョッキーズシリーズに先立つ11月10日、東京競馬場でJRA通算1000勝を達成[38]。2007年は、中央競馬の関東でのリーディングジョッキーになった[39]。

2010年6月6日、安田記念をショウワモダンに騎乗して制し、4つ目のJRAのGI勝利を挙げる。

2011年5月22日、エリンコートで優駿牝馬を制し、初のクラシック勝利を挙げた[40]。

首の怪我との闘い

2012年5月6日、シゲルスダチに騎乗したNHKマイルカップで、最後の直線コースで岩田康誠騎乗のマウントシャスタが内側へ急激に斜行した影響を受け落馬。当初、怪我の程度は頚椎捻挫とされていたが、翌7日に東京都内の病院で「頸椎骨折の疑い、頸髄不全損傷」と診断された[41]。事故から4か月後の9月8日に復帰を果たしたが[42]、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に落馬し、当日は騎乗を続けた[43]ものの17日に首の不調を訴え、検査を受けたところ第一、第二頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折と診断され入院する[44]。その後しばらく復帰の目処が立たず、『ウイニング競馬』(テレビ東京)や『みんなのKEIBA』(フジテレビ)のゲスト解説者など、競馬マスコミでの活動がメインになっていた。

2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりに復帰を果たすと、10月14日に復帰後初の重賞挑戦となった盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯でエスポワールシチーに騎乗、スタートを決めるとそのまま逃げ切り、復帰後重賞初制覇を果たした[45][46]。

しかし2014年4月27日の東京競馬第10競走で、ジャングルハヤテに騎乗していたが最後の直線でまたも岩田が騎乗していたリラコサージュが外側に斜行した影響で落馬、再び頸椎骨折の怪我を負い[47]休養を余儀なくされる。一時は引退を考えたが、競馬メディアでの仕事と並行しリハビリを続け11月22日に復帰[48]。2014年11月24日の東京5レースで復帰後初勝利を挙げた際にはスタンドの観客から拍手が沸き起こった[49]。

急死

2015年2月27日8時頃、茨城県稲敷郡阿見町所在の自宅の脱衣所で死亡しているのが、妻の麻利絵によって発見された。40歳没。牛久署の調べでは、事件性はなく縊死であった[50][51]。

既に当該週の2月28日および3月1日開催分の出馬投票が行われており、両日の後藤の騎乗予定馬はすべて「事故のため」との理由で騎手変更となった[52]。

3月3日、葬儀が執り行われ、近親者と競馬関係者が参列した[53]。

4月5日、中山競馬場に献花台が設けられ[54]、最終レース終了後にパドックで「メモリアルセレモニー」を開催[55]。師匠である伊藤正徳調教師、同期の小林淳一元騎手、後輩で家族ぐるみでの交流があったという三浦皇成らが生前の思い出を語り、後藤の両親および妻の麻利絵が弔辞を述べた[55]。最後には、2010年ショウワモダンで安田記念を勝利した際の写真パネルを、当日中山で騎乗したジョッキーにより引退式同様に胴上げし、ファンによる「後藤コール」によって締めくくられた[56][55]。

この突然の死は競馬ファンのみならず、地方競馬を含めた日本の競馬サークルにも大きな衝撃を与え、死去当日からJRA所属騎手の武豊や蛯名正義、福永祐一らのコメントの他にも、NAR所属騎手である達城龍次や安藤洋一らが自身のTwitterで哀悼の意を表明するなど、各方面から追悼コメントが各新聞や各ウェブサイトに掲載されるなどした。

人物・エピソード

  • 騎乗時の帽子の紐は白を使用。
  • 騎手の場合、親族が競馬関係者の場合が多いが、後藤の場合競馬界に全くコネクションはなかった。アメリカに修行に行った時も同様で、「僕の場合競馬学校に入った時から、ステッキ一本で道を切り開くしかないと思っていた」と述べている。
  • 勝利インタビューでパフォーマンスをすることがあった。以下はその一例。
    • 2002年のダイヤモンドステークスを制した際には、テレビの通信販売番組でおなじみだった腹筋強化器具(通称・アブトロニック)をインタビュー中に使用。しかし「宣伝ではないか?」とJRA上層部から注意を受けたとのちに語っている。
    • 2003年のクイーンカップをチューニーで制した際には肩にひよこのフィギュアを乗せ、語尾に「ベイベッ」と言いインタビューに答えた。
    • アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を制した際には「神風」などのハチマキを巻いてインタビューに答えた。
    • アクティブバイオに騎乗しマンハッタンカフェを破った日経賞では額にマジックで「そよ風」と書いてインタビューに答えている。
  • 渡辺美奈代の大ファンで、中学時代は親衛隊に入っていた[57]。競馬学校に入る前にはしばらく会えないからと鞭をプレゼントした。渡辺は現在もその鞭を持っている。
  • レース終了後のイベントに力を入れていた。後藤がイベントに参加する際には「日本騎手クラブ ファンサービス委員会 委員長」と紹介され、騎手代表として最初ないし最後に挨拶することが多かった。ただし、「ファンサービス委員会委員長」は後藤の自称であり、実際にそのような委員会は日本騎手クラブに存在しない[58]。後藤プロデュースによるイベントもたびたび行われていて、主なものは以下のとおり。
    • 2005年10月9日:ジョッキーの野望 秋の陣
      当日行われた毎日王冠終了後、当日東京競馬場で騎乗した騎手を4組に分けたゲーム大会を行った。このイベントには、当日競馬場全体的なゲストであったボブ・サップも参加した。4組は、ハゲ・おさげなどのカツラで分けていた。後藤とともにVTR収録で西田雄一郎騎手が活躍した。
    • 2006年5月または6月頃に実施(2回東京、3回東京):後藤浩輝プロデューストークショー
      毎週2、3名の騎手を呼んでトークを行った。彼らに絵を描かせる企画もあった。
    • 2009年12月27日、2010年12月26日:『Dream Climax グランドフィナーレ ジョッキートーク感謝祭 2009』、『ジョッキー忘年会』
    毎年有馬記念当日にフィナーレを飾るイベントが行われるが、2009年・2010年は後藤プロデュースによるものだった。中山競馬場のパドックの中央にこたつを置き、参加者全員どてらを着て日本酒やビール(サッポロビール黒ラベル有馬記念缶)を飲みながら騎手がトークするものだった。
    2009年の参加者は池添謙一、武豊、内田博幸、三浦皇成、鈴木淑子、井崎脩五郎であり、特に三浦は約1週間前の12月19日に20歳の誕生日を迎えたばかりで、公の場で初めての飲酒となった。
    2010年の参加者はミルコ・デムーロ、横山典弘、内田博幸、福永祐一、池添謙一、鈴木淑子、井崎脩五郎であった。武豊も参加予定であったが、当日騎乗予定だった有馬記念のローズキングダムが疝痛で出走を取り消し、当日は5Rで騎乗が終了してしまった為、後藤への置き手紙を残して不参加となった。
  • 2007年9月12日に千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズの試合開始前に始球式を行った。背番号510番のロッテのホームユニフォームと下半身に白鳥を装着し投球を行った(イメージとしては志村けんの東村山音頭の格好)。
  • 生前に仲の良かった騎手は福永祐一、吉田隼人。特に隼人とは競馬ファン向けのイベントに一緒に出演したことがあるぐらいの仲である[59]。
  • 2008年12月、2010年1月に関西馬の強さ、栗東での調教方法を学ぶため栗東トレーニングセンターに滞在し、調教に乗るなどした[60][61][62]。
  • 2009年フジテレビ系の『みんなのケイバ』でも同年の抱負として「若い芽を潰す」というスローガンを残している。これは三浦皇成や松岡正海らの台頭に危機感を抱いての発言であるとされている[63]。
  • 2010年10月7日から2011年10月28日までtwitterをやっていた。競馬開催日(主に土曜・日曜)以外でもファンから寄せられる質問に返信したりと頻繁に更新していた。
  • 2014年の有馬記念の前日、徹夜で並ぶファンのためにカイロ(直筆サイン入り)の差し入れを行った。
  • 2016年2月27日、藤田伸二は、自身の誕生日と同日である後藤の一周忌の際に、自身のブログで「自殺はアカン」「でも後藤は戻らない…。毎年、俺の誕生日が命日な訳で…。」「せめて今日ぐらいは後藤を思い出してやって欲しい…。俺のクソみたいな誕生日なんてどうでもええわ。」と綴った[64]。

不祥事・事故

  • 1999年5月4日、新潟県営競馬の豊栄記念の競走終了後(騎乗馬カツノリズム、11頭中3番人気4着)、検量室内に侵入した観客の中年男性にいきなり「俺の言う通りに乗らないからだ!」と怒鳴りつけられ、殴り掛かられた。観客は取り押さえられ競馬場より退場させられ、一切の入場禁止となった。
  • 1999年8月19日、騎手の吉田豊に対して暴行を働き、騎乗予定のキャンセルに至る怪我を負わせる、俗に言う「木刀事件」を起こす。これにより4か月の騎乗停止処分を受け、謹慎となる(詳細は#経歴を参照)。
  • 2000年5月7日、福島競馬場で、調教師の高市圭二から殴打された。その前日の5月6日の福島メインレース日光特別のレース後、後藤は自らの騎乗馬イシノイーグル(12頭中1番人気2着、優勝馬とは3と1/2馬身差)が落馬したカラ馬アサヒウイニングに不利を受けたとマスコミにコメント。アサヒウイニングを管理していた高市は、自分が責められているものと思い激昂した。なお、高市には過怠金10万円の制裁が科された[65]。
  • 2006年5月14日、東京競馬場のヴィクトリアマイル終了後の検量室前で、激昂した調教師の谷原義明から、手にしていたレーシングプログラムで背中を叩かれた。この競走では谷原が管理するオーゴンサンデーに騎乗したが(18頭中15番人気13着、優勝馬とは1.0秒差)、「後方から追い込みの競馬をするように」という師の指示を破り、レース途中から仕掛ける騎乗をしたためと言われている。なお、谷原には過怠金10万円の制裁が科された[66]。
  • 2008年3月1日、アーリントンカップにおいて、休み明けのお手馬アポロドルチェ(12頭中3番人気、堀井雅広厩舎所属)に騎乗し優勝馬から0.8秒差の9着に敗れた。レース後に「まだ走れる状態ではありません」とコメント。微妙なニュアンスながら陣営批判と判断され、以降、同馬には引退まで一度も騎乗しなかった。

騎乗成績

成績内容日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1992年3月1日2回中山2日1R4歳未勝利エンシュードラゴン16頭36着
初勝利1992年4月4日3回中山3日4R4歳未勝利タイガーリリー13頭111着
重賞初騎乗1993年2月21日1回小倉8日11R小倉大賞典オシバナ16頭1115着
重賞初勝利1994年11月20日3回福島8日11R福島記念シルクグレイッシュ14頭101着
GI初騎乗[33]1997年5月11日2回東京8日11RNHKマイルカップタイキギャラクシー18頭1016着
GI/JpnI初勝利2000年10月9日7回盛岡6日10Rマイルチャンピオンシップ南部杯ゴールドティアラ14頭21着
中央GI初勝利2002年6月2日4回東京6日11R安田記念アドマイヤコジーン18頭71着

[67]

年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
1992年121114181.066.127.204
1993年193020274.069.179.252
1994年141516219.064.132.205
1995年213229332.063.160.247
1996年61311155.039.123.194
1997年465432475.097.211.278
1998年635274649.097.177.291
1999年615951478.128.251.358
2000年1018669727.139.257.352
2001年948370749.126.236.330
2002年817374644.126.239.354
2003年828662670.122.251.343
2004年1019874812.124.245.336
2005年8710368730.119.260.353
2006年1078385832.129.228.331
2007年11610274858.135.254.340
2008年1078884819.131.238.341
2009年748782839.088.192.290
2010年958081804.118.218.318
2011年627060679.091.194.283
2012年303034321.093.187.293
2013年231320199.116.181.281
2014年344436388.088.201.294
2015年111313115.096.208.322
中央14471405123312949.112.220.315
地方[68]686460491.138.269

主な騎乗馬

GI・JpnI競走勝利

重賞勝利

受賞歴

マスメディア出演

テレビ

CM

出版物

  • 意外に大変。(東邦出版)
  • 後藤チョップ(廣済堂)
  • 後藤浩輝の“戯言”(東邦出版)
  • 後藤浩輝「情熱510%」(報知新聞社) - スポーツ報知でのコラムを夫人が死後まとめたもの。
  • 後藤の語!(UMAJIN) - UMAJINでのコラムをまとめたもの[123]。

ディスコグラフィ

1999年2月に「遥かな君に」で歌手デビュー[33]。曲はテレビ東京『土曜競馬中継』のエンディングテーマに採用された。

同年8月には田中勝春、松永幹夫、蛯名正義、藤田伸二、四位洋文と「J6」なるユニットで「Destination」(作詞:大江千里、作曲:井上大輔)を歌った。全員結婚しており、売り上げはよくなかったと振り返っている[33]。

シングル
  1. 遥かな君に
  2. 虹色の風で
  3. 遥かな君に

コラム

脚注

注釈

  1. ↑ 芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも武幸四郎や田中勝春らがシンクバンクに、藤田菜七子がホリプロに在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。
  2. ↑ のち、吉田豊を暴行した際に伊藤がなるべく制裁が軽くなるように謝罪行脚を行っていたことを調教師の藤沢和雄から聞き和解している[23]

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 “後藤 浩輝騎手メモリアルセレモニーについて【中山競馬場】”. JRA. 2015年6月5日閲覧。
  2. ↑ 訃報 後藤 浩輝騎手 逝去:JRA
  3. ↑ “後藤浩輝(ごとうひろき)とは - コトバンク”. コトバンク. 2016年4月21日閲覧。
  4. ↑ JRA後藤浩輝騎手とタレントの湯原麻利絵が結婚 - eltha by ORICON NEWS(2010年5月11日)2021年6月17日閲覧。
  5. ↑ 後藤2002、16頁
  6. ↑ “清新中学校の誕生から現在まで”. 相模原市教育委員会. 2016年4月21日閲覧。
  7. ↑ 後藤2002、21頁
  8. ↑ 後藤2002、22-24頁
  9. ↑ 後藤2002、24-29頁
  10. 1 2 後藤2002、33頁
  11. ↑ 後藤2002、34-37頁
  12. ↑ 後藤2002、39頁
  13. 1 2 3 “JRA後藤浩輝騎手が自殺”. 東スポ. 2015年6月5日閲覧。
  14. ↑ “騎手課程卒業者名簿”. JRA. 2016年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月19日閲覧。
  15. ↑ “4歳未勝利|1992年03月01日”. netkeiba.com. 2016年4月19日閲覧。
  16. ↑ 後藤2002、46頁
  17. 1 2 3 後藤2002、48頁
  18. ↑ 後藤2002、49頁
  19. ↑ 後藤2002、50頁
  20. ↑ 後藤2002、50-51頁
  21. ↑ 後藤2002、246頁
  22. ↑ 後藤2002、52頁
  23. ↑ 後藤2002、123-124頁
  24. ↑ 後藤2002、62頁
  25. ↑ 後藤2002、245-246頁
  26. ↑ 後藤2002、97頁
  27. ↑ 後藤2002、102頁
  28. ↑ 後藤2002、246頁
  29. 1 2 『日刊スポーツ』1999年8月21日付24頁「中央競馬 後藤浩輝騎手が同僚の吉田豊騎手に対し暴行 今日から騎乗停止に」
  30. ↑ 後藤2002、114頁
  31. ↑ ニュースぷらざ「後藤騎手4カ月の騎乗停止処分」(競馬道Online競馬ブックコーナー)
  32. ↑ 後藤2002、121頁
  33. 1 2 3 4 5 6 後藤2002、247頁
  34. ↑ 後藤2002、226頁
  35. ↑ “後藤浩輝騎手がアメリカへ出張”. netkeiba.com. 2016年4月21日閲覧。
  36. ↑ “後藤浩輝騎手、年間100勝達成”. netkeiba.com. 2016年4月21日閲覧。
  37. ↑ “WSJS、豪のウィリアムズ騎手が優勝”. netkeiba.com. 2016年4月21日閲覧。
  38. ↑ “【後藤浩輝騎手死去から1年】伝説になったような気がする…伊藤正徳調教師語る”. スポーツ報知. 2016年4月21日閲覧。
  39. ↑ “2007年度 リーディングジョッキー(美浦)”. JRA. 2016年4月21日閲覧。
  40. ↑ “エリンコートVに後藤「感無量」、陣営は2冠へ虎視眈々”. netkeiba.com. 2015年6月5日閲覧。
  41. ↑ 開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第6日(5月6日(日))(JRAニュース)
  42. ↑ 後藤騎手、4ヶ月ぶりに戦列復帰 (netkeiba.comニュース)
  43. ↑ “後藤浩輝騎手、頚椎骨折から復帰も…また落馬ヒヤリ”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月9日) 2012年9月19日閲覧。
  44. ↑ “後藤 春と同じ頸椎骨折「原因は現段階で不明」”. スポーツニッポン新聞社. (2012年9月19日) 2012年9月19日閲覧。
  45. ↑ “エスポワールシチー逃げ切り連覇&後藤浩輝、復帰後初GI制覇!/マイルCS南部杯・盛岡”. netkeiba.com. 2016年4月21日閲覧。
  46. ↑ “【JCダート】エスポ後藤と有終飾る!”. デイリースポーツ. 2016年4月21日閲覧。
  47. ↑ ジャングルハヤテは左寛跛行の障害を負った。またリラコサージュ騎乗の岩田は制裁として9日間の騎乗停止処分を受け、後藤を2度も落馬させ、最後は自殺に追い込んだ主因として競馬ファンや評論家からの批判が岩田に殺到する事態となった。『開催競馬場・今日の出来事 第2回東京第2日(4月27日(日))』 JRA 2014年4月27日 2016年1月10日閲覧。
  48. ↑ 後藤22日復帰 4月に頸椎骨折、一時は「もう駄目だと諦めた」 スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
  49. ↑ 【東京5R新馬戦】後藤うれしい復帰後初勝利、カボスチャン抜け出しV スポニチアネックス 2014年11月24日閲覧
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参考文献

  • 後藤浩輝『意外に大変。』東邦出版、2002年。ISBN 978-4809402739。 

関連項目

外部リンク